【イ軍編3152】日本の捕手にサインを任せた頑固新外人
「3Aレベルの捕手のリードなんて、アテにならんやろ! サインはワイが出す、後で一覧渡すから、必死こいて覚えてどうぞ」
と、初回のバッテリーミーティングでぶち上げたのは、大投壊時代の最弱イ軍に、シーズン途中の5月で緊急加入したファーカー。メジャー1勝(7敗 防御率29.43)のプライドが言わせたか、上から大きく出たものである。
それでも3Aでは通算防御率5点台とイ軍からすれば主力に成り得る実績の持ち主だけに、ひとまずはファーカーがサインを出すという事で落ち着いたのであった――――が、一か月が経過し、
「元メジャーをどうリードすればいいか、日本の野球を進化させる為には任せる部分も必要やろ。プロ野球の未来を考える、ワイの屍を越えていけ(震え声)」
と、ファーカーが言い出して、最終的には捕手がサインを出す形となったのであった。
後年、イ軍消滅後に、とあるヒマなイ軍オタが元所属選手にインタビューをしていく企画で当時を振り返ったファーカーが、真相を明かして曰く、
「ワイが入った直後は遊撃手の草加部が過労で入院しとって、守備がザルもザルでの~。打たせて取るタイプのワイやが、打ち取った筈の打球が全部抜けていきよって、もうサイン出すのが怖くなってな。イップスになってもうて、配球を捕手に任せざるを得んかったんや(憤怒震え声)」




