【イ軍編2886】監督の塩対応で第二の人生を切り開いたニキ
元サ軍で打撃タイトル7つの獲得歴があり、兼任監督までやった河田。しかし、本人の不倫三刀流をきっかけとした前夫人との離婚問題が拗れてイメージダウンを恐れた球団から解任され、流れ流れて最弱イ軍に拾われたものである。
あまりにも大物過ぎて、監督以下首脳陣からは主に嫉妬が原因で様々な行動制限が付けられるなど冷遇される中、通年で打率2割6分、10本塁打と、イ軍では強打の五番打者としてシーズンを全う。イ軍OBの十字架を背負いながらも、引退後は何とか解説者の職にありついたのであった。
後年、当人が自費出版した自伝で、当時のイ軍監督について、しみじみと謝意を述べたのである。曰く、
「イ軍に加入当初、チームのヤングからようけアドバイスを求められての~。ワイも指導者転身を意識する歳やったから快く教えてやっとったんやが、ワイの人気に鬼嫉妬した当時の監督から『河やん、他にちゃんとコーチもおるんやから、選手が混乱する。悪いけど教えるんはNGで』言うてストップされたんやね。ツーケーのホール小さ過ぎィ! と憤慨したもんやが、結果的にはこれで助かった。イ軍のヤングなんて数合わせ指名で何をどうしても育たないんやが、もしワイが指導なんてしとったら、全てがワイのせいにされてた危険性∞やからね。そんなこんなでワイ自身の評価はそれほど落とさずに再就職活動出来たから、その後も何とか球界に残れたわ(震え声)」




