【城戸編496】一・三塁シチュ製造機だった日本最強打者ヤング時代!
これは、「40億の凡打製造機」こと最弱イ軍の四番城戸がまだ3年目の若手時代の話――。
当時の城戸は、高打率を売りにした強打の二番打者として、マ軍で売り出し中。同じく大卒3年目の俊足加倉井と、一・二番コンビを組んでいたものである。
そして、そのシーズン最終盤に話題になったのが、一塁に加倉井を置いて城戸がバントし、加倉井が俊足を飛ばして三塁到達、相手が焦ってファンブルして城戸も一塁セーフになるという、繋ぎのスーパープレー。このシーズン限りで何故か見られなくなってしまったが、その驚異的なコンビネーションは、長くマ軍ファンの記憶に刻まれたのである。
だが、当時の真相がマスゴミによる加倉井の取材で明らかになり、誰もがおったまげ不可避に追い込まれたのであった。曰く、
「ああ、城戸とのコンビで一、三塁になる奴ね。あんなものは城戸の嫌がらせ、全くとんでもない野郎ですよ。あの時、ワイの盗塁王と城戸の犠打王の両方のタイトルがギリギリ圏内でね。マ軍内でのインセンティブの枠の問題(自分だけタイトル獲った方が額がデカい)もあって、2人とも必死。ワイもタイトルとお小遣い絶対欲しいから塁に出たら全球盗塁態勢だし、城戸もワイに絶対盗塁させないように状況無視で初球からバントだしで、もうメチャクチャだったわね。それで対戦相手が焦って守備でもたつくもんだから、三塁コーチが腕ぐるぐる回しよって、ワイも三盗狙いで二塁に留まりたいところを罰金嫌だから三塁まで行かざるを得なくてなあ。城戸の方もバントが無駄にヒットになったり失策判定されたりで犠打カウントされてなかったから、まあびっくりするぐらいのLose-Loseやったわな。うん、当然両方ともタイトル取れなんだ(震え声)」




