【イ軍編1663】マウンドの詐欺師、最後の戦い
42歳にして、現役生活初の重傷。
いくら不摂生でも右腕だけは異常に気を遣っていた「歩く違法投球」こと最弱イ軍の右腕エース神崎であるが、プロ生活23年、6年連続200イニングオーバー×2回等による長年の勤続疲労で、遂に右肘がパンク。
トミー・ジョン手術を受けて一年半のリハビリで復帰したものの、長期離脱の焦りから飛ばし過ぎてしまった結果、球速が最速125kmまで低下してしまったものである。
諦めの悪い神崎もいよいよ投手生命が尽きたかと思われたが、全く同じ握りと軌道で球速を20km落としていくチェンジアップ「スーパーチェンジ」で復活。防御率5点前後をフラフラしつつも、イ軍のローテーションに返り咲いたのであった。
後年出版した自伝で、神崎は当時の苦労を次のように回想し、引退して尚、ファンをおったまげさせたのである――。
「あの時は球速落ちるしチェンジアップも駄目になるしで本当に辛かった。スーパーチェンジとか言って誤魔化してたけど、実はほぼ棒球で同じ遅さの球しか投げてないのよ。各地の球場設備担当に協力(意味深)してもらって、ポイントで球速表示を意図的に下げてイメージで幻惑してただけだからね。そこの匙加減だけは自信あったから、引退までの3年間、何とかバレずに頑張れたわね」




