【相原編②】糞指導地獄対策
イ軍のエース相原がプロ入りして3年目の時分。
この頃から既に頭角を現してはいたものの、シーズン成績では3勝13敗と二桁負け越しを記録し、毎度恒例の若手が駄目になるパターンかと思われていた(とはいうものの、防御率はギリギリ3点台に留まっており、まともなチームなら貯金を作れるレベルではあった)。
それが証拠に、相原が野球の練習そっちのけで演劇教室に通う姿が目撃され、イケメン高身長の外見スペックを武器に、俳優転向を進めているとの噂がまことしやかに流れたのであった。
だがしかし、結局相原はそのままプロ野球の世界に残った。打てない捕れない走れないイ軍ナインや糞采配を連発する監督、そして意味不明な指令を連発する素人フロント陣に散々足を引っ張られつつも、この年を境にエースとして大成。球界を代表する投手へと飛躍していくのである。
後年、回顧録を出版した時に、演劇教室の真相が明らかにされたのであった。
「あー、演劇のアレね。行った行った。コーチやOB連中がその時々で脈絡の無い事ばっか指導してきやがってな。俺も若かかったしその都度反抗しちゃあ揉めてで、ちょっとノイローゼ気味になっちまったのよ。で、耳栓してやり過ごそうってんで、聞いてるフリの演技を勉強したんだよ藁。それで当時の指導者連中の話を穏便にスルー出来るようになって勝ち始めたというワケだ藁」




