第三章 「Dear my sister ~ありがとう~ 」
「う~ん、今日もいい天気だね~♪」
奏が実にご機嫌な様子で歩いている。
その後ろには、征、葉月、そして俺と、いつものメンバーが続いている。
「・・・暑い」
俺の隣からごもっともな言葉が聞こえてきた。
「はい、お兄様」
その声を聞いた葉月がハンカチを手渡す。
「サンキュー」
征は素直にそれを受け取ると、大して汗もかいていない額にポンポンとあてた。
「・・・暑い」
・・・ダメだこいつ
いつものテンションはどこへやら。今日の征は仮面すら外れた、実に堕落した奴と化していた。
・・・まぁ確かに、暑いけどな。
「もう、皆元気がないよー」
前を行っていた奏が小走りに戻ってきた。
「・・・何でお前はそんなに元気なんだよ」
征がジト目で奏に告げる。
「だって今日でやっと補習が終わるんだよ。これで明日から皆と遊べるよ!」
ああ、それでそんなに元気なわけね。
「しっかし、何でまた俺まで駆り出されなきゃならんのだ?」
今度は俺が征にジト目を向ける。
「そんな睨むなよ。マジで人手が足りなくてさ」
征がホントにすまなそうな顔をしてそう言った。
「まぁ一度や二度じゃないからな、今更って感じだし、別に気にしてねーよ」
「そうですよ、お兄様。今日は私も手伝うので、少しは早く終わると思いますよ?」
「ああ、ありがとな二人共」
しばらくそんな調子で歩いていくと、前方から早く早くと奏が手をパタパタさせて呼んできた。
「見てみてお兄ちゃん。綺麗なリンドウが咲いてるよ」
「!!」
奏の言葉に、つい先日のことが思い出された。
(奏もこんな気持ちだったのだろうか)
そう自分を責めていた俺の手を、葉月が、優しく温かな彼女の手が包んでくれたんだ。
だから俺は、普通に返すことができた。
「ホントだな、綺麗な青紫だ」
俺達がその花に見入っていると、後ろから葉月たちが追いついてきた。
「お、ホントだ。一輪だけ咲いてるな」
・・・さっきの奏もだったけど、まだ蕾である花に『咲いている』という表現は、正直どうなのだろうか?
「・・・・・・」
同意する征に対して、葉月は征の後ろで複雑そうな顔をして黙っていた。
(ひょっとして・・・昨日のこと、気にしてるのか?)
俺が見ていることに気づいた葉月は、尚も複雑な表情を浮かべたままだ。
(まったく・・・お前が気にすることじゃないのに)
未だ花、というか、この家の庭を見ている二人を尻目に、俺は葉月に近づいた。
「・・・翔君」
バツが悪そうに、葉月は目を逸らす。
「・・・ホント、お前は周りに気を使いすぎなんだよ」
「・・・あ」
昨日、彼女がしてくれたように、今度は俺が彼女の手を包んだ。
「俺は、もう大丈夫だから」
そう言って笑ってみせる。
「お前のおかげだ」
「え?」
何故そこで不思議そうな顔をする・・・
「・・・いやまぁとにかく、ありがとう。それと、あんまり周りに気を使いすぎるなよ」
俺は手を握ったままそう言った。
「私、そんなに気を使ってますか?」
「おいおい、自覚ないのかよ」
俺は呆れたように溜め息を一つついた。
「まぁ、それが葉月のいいところなんだから、いいじゃねーか」
「お兄様、いつの間に・・・」
いつの間にか、二人ともこっちを見ていた。
「でも、お兄ちゃんの言うこともわかるよ。お姉ちゃん、私たち以外の人にも、自分の思ったままを言ったほうがいいと思うな」
「よくわからないのですが、まぁ・・・わかりました」
葉月が首を捻りつつも頷く。
「まぁ、それはひとまず置いておくとしてだ」
「うんうん」
『?』
二人の視線が俺達をじっと見ている・・・何なんだ?
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、何時まで手を握ってるつもり?」
『あ!』
慌てて同時に手を離すが、既に時遅し。
「ねえ、お兄ちゃん?」
「な、何かな、奏・・・」
別に疚しいことなんてない筈なのに、何故か俺はたじたじになっていた。
「葉月、今日手伝ってほしいことなんだが」
「はい、お兄様」
「・・・ってぅおい!?」
二人は俺と葉月を残して、今日の打ち合わせをしながら戦線を離脱していた。
「お・に・い・ちゃん?」
「ま、待て、奏! 誤解だ! お前は盛大な勘違いをしている!」
「問答は無用なんだよ!!」
「何でだーーーー!!?」
この壮絶な追いかけっこ。決着がつくまで一分とかからなかったのは、もはや言うまでもないだろう・・・。
その頃、ある一件の家の2階窓から、彼らを『視』つめる少女の人影があった。
「また--の--に--れ--の-な」
その呟きは微かで、よく聞き取れない。
そして、彼らもまた、窓から覗く少女に気づくことはなかった。
[Hazuki Side]
「図書室なんて、いつ以来でしょうか」
両手に抱えた本の束をカウンターに置くと、私は室内を見渡します。
夏休みということもあり、図書室内は普段以上に閑散としています。
とはいえ、騒ぐような場所ではないので、当たり前なんでしょうけど。
ドササアァァー!
「っ!」
静まり返っていたせいか、突然の音にビックリしてしまいました。
「いったぁー」
「え?」
本が倒れたような音の方から、女子の声が聞こえてきました。
私は慌てて様子を見に行くと、そこには以外な人物がいました。
「・・・西原さん?」
「はい?」
やっぱりそうです。実際に話したのは、翔君と以前一緒にいたのを見た時だけですけど、クラスメイトの名前くらいはさすがに覚えていました。
「えと、大丈夫ですか?」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
「・・・?」
私は彼女の反応に、少しだけ違和感を感じました。
「私のこと、覚えてます?」
「え、えと、柚原君とよく一緒にいる人ですよね?」
どうして翔君を覚えていて、私を覚えていないのでしょう・・・。
「ええ、姫宮葉月です。・・・といいますか、名前を覚えられていないって、ちょっとショックなんですけれど」
ボソっと呟いていた声が聞こえたのか、西原さんは頭を下げてきました。
「ご、ごめんなさい。私、物を記憶するのが苦手で・・・」
・・・どうしてか、今のは嘘だと直感的に思いました。いえ、あながち嘘ではないのでしょうが・・・深く追求すべきではないと判断し、詮索はやめました。
「まあ私も自分からクラスの人達と交流を持ってはいないので、自業自得な気がしないでもないですけど・・・」
「そうなの?」
「ええ。・・・っと、とりあえずこれ、片付けましょうか」
落ちた本を元に戻し、私は本来の業務に戻ります。
西原さんは、「ありがとう」と言った後、新たに見つけた本を、1番奥の机で読みはじめました。
カウンターから書庫の配置リストを取り出し、全部揃っているかどうかの確認をするのがお兄様から頼まれた私の仕事です。
にしてもこの学園、何でこんなに図書室が広いのでしょうか?
翔君は生徒会室での書類整理が終わり次第、手伝ってくれるみたいですが、さすがに2、30分で来てくれるとは思えませんし・・・
「まぁ、やれるだけやっておきましょう。大変ですけど」
私はとりあえず、リストを一枚目から最後までざっと目を通します。
ちょうど半分くらいまで来た時でしょうか、人の気配を感じました。
「勝手に弄ったら怒られるよ?」
声の主は、いつの間にか本を読み終わったのか、これから帰ろうとしている西原さんでした。
「勝手じゃないですよ。今日はおに、・・・兄に頼まれて手伝いをしにきたんです」
「お兄さん?」
そうか、私を覚えていないのなら、他学年であるお兄様を覚えているはずないですよね。
「はい、兄は生徒会長なんです。人手が足りないということもあって、こうして時々ですけど、私達が手伝ってるんですよ」
「私達?」
「ああ、私達というのは柚原兄妹のことです」
「柚原・・・」
「彼らとは幼い頃からの付き合いなんですよ。だから彼らも兄を手伝ってくれています」
「そうだったんだ・・・うん、納得した」
「納得?」
一体何に納得したのでしょうか?
「柚原君と話すとき、必ずと言っていいほど、姫宮さんや奏さんの話が出てくるから」
「・・・確かに翔君や奏とは幼なじみですし、普段はほとんど一緒にいますからね」
そう、私達は親と接した時間よりも、四人でいた時間の方がずっと長いので、もう一つの家族のような意識がいつの間にか定着しているのです。
だから、翔君の話の中に私が出てきても、別に不自然でも何でもありません。
そういう意識が強かったからこそ、私は次に西原さんが発した言葉にすごく驚いてしまいました。
「姫宮さんは、柚原君と付き合ってるんだね」
・・・・・・
「え、ええーーーー!!?」
[Hazuki Side END]
「何か今日の葉月、少しおかしかったな・・・(あぁ醤油とって)」
奏の作ってくれた夕飯を食べながら誰ともなく呟いた。
「そう? 私は今朝会ったきり、お姉ちゃんには会ってないからわかんないけど・・・(はい醤油)」
「(サンキュ)・・・何か思ったより早く書類整理終わったから、図書室に葉月を手伝いに行ったんだけど・・・」
「けど?」
「何故か西原と一緒にいて、突然顔を真っ赤にしてた」
「えっとー・・・状況がさっぱりわかんないんだけど」
「俺もだ」
だって、それ以上何をどう説明すればいいかわかんないし・・・
「ところで、西原さんって誰?」
・・・あぁ、そっか。こいつは西原と直接会ったことがなかったんだっけ。
「俺と葉月のクラスメイトの女子。たまに話すくらいで俺もよくは知らないけど、葉月とはまた別の意味で人とあまり関わらない雰囲気のある子だよ」
「ふーん、だから図書室にいたのかな?」
「それもあるかも知れんが、アイツは本が命みたいな奴だからな」
本当はそれだけじゃないのだが、それはアイツとの約束があるので話さないほうがいいだろう。
「ねえお兄ちゃん、もうちょっと図書室でのこと詳しく教えてよ」
・・・と、言われてもなぁ。
・
・
・
俺が図書室を訪れて葉月たちを手伝ってる間、葉月の様子はどこかおかしかった。
何というか、事あるごとに俺のほうを見てる気がしたんだ。
気になってそっちを見ると、葉月は俺と目が合った瞬間、慌てたように目を逸らして仕事をし始めた。
・・・仕事が終わるまで、ずっとこんな調子だった。
「よし、終わったな。葉月、そろそろ生徒会室に・・・」
「ご、ごめんなさい翔君。私、ちょっとこの後楽奏部の部長に呼ばれてるんです。だから先に帰ってていいですよ」
「ん、そうなのか?」
「ええ。ちょっと時間もあれなので、先に抜けますね。西原さんも、今日はありがとうございました」
「ううん、気にしないで。どうせ暇だったから」
「そ、それじゃあ、お疲れ様でした」
台詞もそこそこに、葉月は急ぎ足で図書室を出ていった。
「・・・なあ、西原」
「ん、何?」
「葉月と、何かあった?」
「んーあったと言えばあったし、なかったと言えばなかったかなあ」
(どっちだよ・・・)
「私が言うことじゃないかな」
(やっぱ何かあったんじゃねーかよ)
「だって・・・無用なライバルは作りたくないし、ね」
「ん、何だ? よく聞こえなかったんだけど」
「ううん、別に何でも」
・・・??
「それじゃ、そろそろ家の門限があるから。じゃあね、柚原君」
「あ、ああ。またな」
・
・
・
「なるほどなるほど。よーくわかったよ」
「ええ!?マジでか・・・」
「はぁ・・・やっぱりお兄ちゃんって鈍感だよね・・・(私のときだってそうだったし・・・)」
奏が首を振りながら溜め息をつく。一体何だっていうんだよ・・・
「私が言うことじゃないよ」
数時間前の西原にも同じことを言われた。
「何でだ? わかってるなら教えてくれたっていいじゃ・・・」
俺がそう追求しようとした刹那、
「・・・お兄ちゃん」
「っ!」
奏の声のトーンが急に下がり、俺の目を真剣に見つめてくる。
それは、普段の明るさとは似て非なるもの・・・俺達にさえ滅多に見せることのない、奏のもう1つの顔だった。
「確かに私は、お姉ちゃんの変化の答えがわかったと思うよ。そして、その答えが頭痛とか風邪とか、何でもないものなら、私だって普通に教えるよ。だけどこれは・・・私が教えていいものじゃない」
あまりの真剣な奏の表情と、急に温度が下がったような空間。
「本当は、お兄ちゃんも気づいてるはずだよ? ただ、それを見ようとしていないだけ・・・」
俺は奏に答えるための言葉すら失っていた。
「ねえ、お兄ちゃん・・・」
そこで奏は一度言葉を切り、そして告げた。
「逃げちゃ、ダメだよ」
・・・
それからどれだけの時間が経ったのだろう。
おそらく数分も経っていないのだろうが、俺には何時間も経っているように思えてならなかった。
「お兄ちゃん、ご飯冷めちゃうよ」
その呼んだ奏の声は、いつもの明るい奏に戻っていた。
「・・・ごめんね」
「・・・何がだ?」
「私も意地悪で言ってるんじゃないんだ・・・ただこれは、お兄ちゃんが自分で気がつかなきゃいけないことだから・・・」
奏の声は、徐々に涙を帯びていった。
「・・・お、お兄ちゃん?」
俺の手は自然と奏の頭を撫でていた。
「・・・何でお前が泣くんだよ」
「だ、だって私・・・」
まったくこいつは・・・一体どこまで俺に優しいんだよ。
俺に対して言った言葉を、まるで自分の痛みのように感じてくれる。
そんな奏だからこそ、俺は・・・
「お前は何も悪くないよ。むしろお前が断然正しいんだ。だから・・・ありがとな、俺を咎めてくれて」
奏を安心させるように、笑いかけた。
すると奏も、どこかふっ切れたように笑ってくれた。
「しっかし、久しぶりに見たな。あんなに真剣な奏は」
自分の部屋に戻った俺は、飯のときの奏を思い返していた。
「最後に見たのは・・・中2の時か」
当時のことを思い出して、俺は少しだけ苦笑したが、すぐに頭を切り替える。
思い出されるのは最後の言葉。
「逃げちゃ、ダメだよ」
「逃げてる、か」
何でその言葉を俺に言ったのかは、何となく・・・いや、きっちり理解出来てる。
奏は、俺の気持ちに薄々気づいているのだろう。
そして、そのことで俺が躊躇っていることも・・・。
「奏、本当にお前は、俺の最高の妹だよ」
葉月も俺と同じかもしれないし、もしかしたら全くの勘違いかもしれない。
でも・・・
奏は『奏』の答えを示してくれた。そして、それを決断するまでの道のりは、決して軽いものじゃなかったはずだ。
だからこそ、奏に応えるためにも、
今度は俺が『俺』の答えを示す番だ。
更新が遅れてすみませんでした。
この第三話では、二つほど伏線を入れてます故、その辺りを推察しながら、これからもご愛読いただければと思います。