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それでも、私はまだここにいる

掲載日:2026/05/07

なんでこうなったんだろう、って思う夜がある。

寝る前、電気を消して、静かになった部屋の中で。

あるいは仕事帰り、暗い道をひとりで車を走らせている時。

似た車を見かけた時や、何気なく開いたSNSの中に、見覚えのある名前を見つけた時。


ふとした瞬間に、過去が勝手に浮かび上がってくる。


——あの頃のこととか、あの人のこととか。


今の私は、貯金もなく、三人の息子を扶養に入れている。

女手ひとつでここまで育ててきたけど、正直、楽になった実感なんて一度もない。


長男は高校を辞めて、バイト程度。

次男は家からほとんど出ない。

三男だけが定時制に通っている。


ちゃんとやれているのか、と聞かれたら、答えに困る。


仕事は、ただ近いからという理由で選んだ職場。

まともな職員なんてほとんどいない環境で、生活のためだけに働いている。


五年前には、乳がんの宣告を受けた。

遺伝性のものだと分かって、左胸を全摘、リンパも取った。

右胸と卵巣も、リスクを減らすために摘出した。


今も薬を飲み続けている。


ここまでくると、さすがに思う。

——私、前世で何したんだろう、って。


笑えない冗談みたいな人生だ。


それでも毎日は続くし、私は今日も働いて、帰って、また明日を迎える。


全部投げ出してしまいたいと思う日もある。

いっそ、このまま終われたらどれだけ楽か、と考えることもある。


でも、終わらせられない理由も、ちゃんとある。


三人の息子。


あの子たちを置いていくわけにはいかない。


だから私は、今日も生きている。


——こんなふうになるなんて、あの頃の私は、きっと何も考えていなかった。




あの頃の私は、本当に何も考えていなかった。


将来のこととか、まともに働くこととか、そういう“普通の人生”の輪郭すら、ぼんやりしていたと思う。

ただ、その場その場で楽しければいい。好きな人と一緒にいられればいい。

それくらいの感覚で生きていた。


きっかけは、よくある話だと思う。


街で声をかけられて、なんとなく連絡を取るようになって、気がつけばその人の周りの人たちとも繋がっていた。

その中のひとりと付き合うようになった。


今思えば、まともな人たちじゃなかった。

でも当時の私には、それが少し大人で、少し危なくて、魅力的に見えた。


「金、稼がない?」


軽い調子で言われたその一言に、深い意味なんて考えなかった。


風俗。


良いイメージじゃないことくらい、分かっていたはずなのに。

その時の私は、“彼のためになるなら”という理由だけで、自分を納得させていた。


母には置き手紙を残した。

ちゃんとした言葉なんて書けなかったと思う。

とにかく、持てるだけの荷物を持って、家を出た。


あれが、最初の大きな間違いだったのかもしれない。


でも、その時はそんなふうに思うことすらなかった。


流されるままに働いて、流されるままに時間が過ぎていった。

昼も夜も曖昧で、何をしているのか、自分でもよく分からない日が続いた。


二十歳で辞めると決めて、本当にきっちり辞めた。

その頃には、スナックでも働いていた。


ある日、ママにガラスの灰皿を投げつけられた。

理由なんて、もう覚えていない。

ただ、その瞬間の音と、空気の張り詰めた感じだけは、やけに鮮明に残っている。


それでも私は、その場所から離れなかった。


いや、離れられなかったのかもしれない。


そんな生活の中で、ひとりの男と出会った。

店で働いていたボーイだった。


それが、その後の人生を大きく変えることになる。


——子どもができた。


最初の妊娠は、流産だった。

何が起きたのか、ちゃんと理解する前に終わってしまった。


二度目の妊娠の時、彼に言われた。


「堕ろしてくれ」


言い方は、もっと軽かった気がする。

でも、意味は同じだった。


その時の私は、拒否することもできなかった。

それが当たり前のように感じてしまっていた。


三度目の妊娠が分かった時、ようやく思った。


——この人とは無理だ。


別れよう、一人で産んで育てようと決めた。


でも、その前に、話が勝手に進んでいた。


彼が、自分の母親に連絡していた。


気づけば、結婚することになっていた。


逃げるタイミングは、もうなかった。




結婚生活は、思っていたものとは違った。


彼は八歳年上で、いわゆる“オレ様”タイプだった。

子育てにも、積極的とは言えなかった。


それでも私は、ちゃんとやろうとした。


三人の息子に恵まれて、家のことも、仕事も、全部こなした。

同じ敷地内に住む義家族とも、うまくやっていたと思う。


“良い嫁”でいようとした。


そうしていれば、いつか本当に良い家族になれるんじゃないかと思っていた。


でも、現実は違った。


ある日、彼が仕事だと言って出ていた日に、パチンコに行っていることを知った。


何かが、音を立てて崩れた気がした。


積み重ねてきたものが、一気にどうでもよくなった。


離婚しよう、と決めた。


話し合いは、うまくいかなかった。


その日は、次男が熱を出して幼稚園を休んでいた。


その目の前で、私は——殺されかけた。


細かいことは、もう思い出したくない。


ただ、あの時の恐怖だけは、体に残っている。


私は、携帯と財布と、子どもたちだけを連れて家を出た。


行き先は、実家しかなかった。


あの時の判断が正しかったのかどうか、今でも分からない。


でも、あのままそこにいたら、今の私はここにいなかったと思う。




ここで一度、人生が切り替わった。


そう思いたかった。


でも、本当の意味で変わるのは、もう少し後の話になる。





地元に戻ってからの生活は、現実そのものだった。


働かないといけない。

でも、子どもが小さいと、それだけで雇ってくれる場所は限られる。


何件も面接を受けて、何度も断られて、

ようやく決まったのが、パチンコ屋だった。


やったこともない仕事だったけど、選んでいる余裕なんてなかった。


その場所で、彼と出会った。


ひとつ年下の男。


最初は、ただの同僚だった。

でも、話すうちに気づいた。


この人は、今まで出会ってきた人たちと、何かが違う。


物の見方も、考え方も、言葉の選び方も。

知らない世界を見せてくる人だった。


気づけば、惹かれていた。


知れば知るほど、自分にないものを持っているように見えた。

だから余計に、離れられなくなった。


でも、その関係は最初から歪んでいた。


私には、三人の子どもがいる。

彼には、妻と、子どもがいる。


それでも、止められなかった。


何度も終わらせようとした。

そのたびに、うまくいかなかった。


一緒にいる時間は、嘘みたいに満たされていた。


たくさん話して、たくさん出かけて、

笑って、触れて、確かめ合って。


“本当の家族みたいだね”


そんな言葉を、どちらからともなく口にしていた。


都合のいい関係だって分かっていたのに、

その時間だけは、本物だと思いたかった。


最初の数年は、幸せだったと思う。


でも、その“最初の数年”が、全部だった。




現実に引き戻されたのは、少しずつだった。


私は、子どもを育てるために、資格を取ろうと決めた。

看護学校に入って、必死で勉強した。


あの頃の私は、ちゃんと前を向こうとしていたと思う。


やっとの思いで資格を取って、働き始めた、その時だった。


乳がん。


現実が、また一気に重くなった。


彼に伝えた時、正直、終わると思った。


これ以上、巻き込めないと思ったから。


でも彼は言った。


「支えるよ」


その言葉を、信じた。


信じたかった。




でも、何かが変わり始めていた。


彼は、SNSの配信にのめり込んでいった。


最初は、ただの趣味みたいなものだったはずなのに、

気づけば生活の中心になっていた。


会う時間は減っていった。

話す内容も、どこか上の空だった。


私が体調を崩していても、

画面の向こうの“誰か”の方が優先されていた。


違和感はあった。


でも、それでも私は、まだ信じようとしていた。




決定的だったのは、体の異変だった。


病院で告げられた言葉は、聞き慣れないものだったけど、意味はすぐに分かった。


性病。


頭が真っ白になった。


問い詰めた時、彼は認めた。


浮気していた。


「やり直したい」


そう言われた時、すぐには切れなかった。


ここまでの時間を、全部無駄にするのが怖かった。

まだどこかで、信じていた。


でも、現実は何も変わらなかった。


むしろ、悪くなっていった。


彼は相変わらず、配信を優先していた。

私の知らない誰かに向けて、言葉を投げて、笑っていた。


その裏で、私はまた別の性病を告げられた。


もう、問い詰める気力もなかった。


その頃には、彼はもう、いなかった。


音信不通。


終わりは、驚くほどあっけなかった。




残ったのは、感情だけだった。


怒り。

悔しさ。

情けなさ。

それでも消えない、未練。


頭では分かっている。


終わってよかった関係だって。

むしろ、もっと早く終わるべきだったって。


それでも、ふとした瞬間に思い出す。


あの時間が、嘘だったとは思えなくて。


だから余計に、苦しい。




彼は今も、どこかで配信をしている。


画面の向こうで、誰かに優しくして、

誰かに必要とされている。


それを知ってしまうたびに、胸の奥がざわつく。


なんで、あの人が。


なんで、何もなかったみたいに。


そんな感情が、消えない。




それでも、私はここにいる。


三人の息子を養って、

仕事に行って、

ちゃんと生活している。


ボロボロでも、続いている。




全部、自分のせいだと思おうとした。


そう思った方が、楽だったから。


でも本当は、たぶん違う。


間違えたこともある。

見る目がなかったのも事実だと思う。


それでも、それだけじゃない。


ただ、誰かをちゃんと好きになっただけだった。


信じたかっただけだった。


それだけだったのに。




それでも、終わりじゃない。


終わりにしない。


ここで全部終わらせたら、

今までの自分が、全部無駄になる気がするから。




私の人生は、たぶん、うまくいってない。


それでも。


それでもまだ、続いている。


ここまで読んでくれた人へ。


この話は、特別な誰かの話じゃない。

どこにでもあるような、でも当事者にとってはどうしようもなく重たい現実の話です。


人を好きになることは、悪いことじゃない。

信じることも、間違いじゃない。


ただ、その気持ちが強すぎた時、

気づかないうちに、自分を削ってしまうことがある。


気づいた時にはもう抜け出せなくなっていたり、

頭では分かっているのに、心がついてこなかったりする。


いわゆる“沼”って、そういうものなんだと思う。


この物語の中で起きたことは、全部本当にあったこと。

でも、これはただの過去の記録じゃない。


今もどこかで、同じように苦しんでいる人がいると思う。


もしこの中に、少しでも自分と重なる部分があったなら。

「おかしいかも」と思えたなら。

それは、抜け出すきっかけになるかもしれない。


無理に強くならなくていい。

すぐに忘れなくてもいい。


でも、自分を後回しにし続ける必要はない。


誰かの言葉や態度よりも、

自分が感じている違和感を、大事にしてほしい。


それはたぶん、間違っていないから。




そして、これは自分自身にも向けて書いている。


まだ引きずっている。

まだ思い出して苦しくなる。


それでもいいと思っている。


なかったことにしなくていい。

全部含めて、自分の人生だから。


それでも、ここまで来た。


ボロボロでも、ちゃんと生きている。


だからもう少しだけ、続けてみようと思う。


いつか、心からそう思える日が来るかどうかは分からない。

でも、少なくとも今は——


私はまだ、ここにいる。

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