モアとユートピア・チケット
「行けるよ。きっと。」
顔を見上げると、彼女は微笑んでいた。
微笑みは安心を与えるものだと思っていた。しかし、一向に安心はやってこない。
行ける。あれこれ考えてみたけれど、分からなかった。だから、私は問うた。自然と口に出していた。
「どこに?」
聞いてみた。クス、と聞こえた。すぐに答えが返ってきた。それは素晴らしい答えだった。聞いた瞬間に希望が溢れ出してきた。枯渇したと思っていたのに。まだあったんだ、と更に嬉しくなった。
それから。何をしていても。脳裏にはずっとある。あのときのあの言葉が脳に刻み込まれている。
「ユートピア。」
ユートピア。理想郷。その素晴らしい単語が世の中になかなか適応出来ずにいた私に存在意義をくれた。
行ってみたい。きっとここよりもマシなはずだから。当時の私はそう思っていた。
それから三年くらい経ったと思う。今でも考えは変わらない。ここよりもずっとマシ。
あれは夢だったのか。事実だったと信じたい。そもそも彼女が誰だか知らない。どういう経緯で話をしたんだったか。当時のことは曖昧になっているものの、確かに会話をしたという自信がある。
教室から外を見る。快晴と桜が綺麗だ。今日で呆気なく高校は終わる。共に過ごしたクラスメイト。いや、同じ空間にいた人たちか。先生。いや、同じ空間にいた大人か。
教室内はガヤガヤと騒がしい。卒業式なんてみんな三回目だというのに。まだ味がするのか。違うか。私が味わい方を知らないだけか。
集団行動はずっと苦手だった。会話は最小限で済ませて、空気のように存在した。空気は嫌われないが好かれもしない。生きている実感はない。そんな三年間だった。
彼女は今の私くらいの年齢だった気がする。もうそろそろ出てきてもいいんじゃないかな。
私は念じる。魔女みたいな漆黒の服を着ていたあのお姉さんへ。早く迎えにこいって。念じる。早く。
私を。そのユートピアとやらへ連れていって。
強く念じた。昨日よりも今日。あの今日よりも今日。強く。念じた。
いつもと違う感覚がした。世界が停止したような静寂が訪れた。ガヤガヤという音はしなくなった。少し経つと、ビリビリと空間が引き裂かれる音がした。
あのときと一緒だ。そうだ。最初から知っていた。彼女は確かに存在する。記憶が鮮明になっていく。
そして、彼女が空間の裂け目から現れた。私を見つけて言った。
「やあ。久しぶりだね。モア。」
久しぶりに名前を呼ばれた気がした。音のない停止した世界だというのに、爽快な風が吹いてきたように心地良かった。
「本当に久しぶり。待ったよ。」
「もっと願えば、もっと早くに会えたのに。強く願うこと。それがユートピアへ行くための唯一の手段。って言ったじゃん。」
あのときの黒衣を纏っている。それに。そうだ。肩まで伸びた金髪。名前は・・・。
「そうだ!コレット!さっきまで全然、思い出せなかったよ!」
「へ!?・・・あっ!そうか!・・・やば。記憶を消しすぎちゃったのかも。ま、いいか。行こっか。話はそれから。」
コレットは驚いたり、閃いたり、深刻そうな顔をしたりして、最後には落ち着いた。いや、それよりも。
「行けるの!?ついに!?ユートピアへ?」
漠然とした期待が一気に現実味を帯びてきた。ユートピアへ近づいた気がして嬉しくなった。
「落ち着け、落ち着け。行くから。」
「どこに?」
あのときと同じ質問をした。クス、と聞こえた。
「ユートピア。安心した?だけど、ちょっとだけ行く前に。空でも飛びますか。どう?」
「別にいいけど。」
早くユートピアに行きたかったけれど、嫌な気はしなかった。嬉しさを抑えて、渋々、という感じを醸し出しながら了承した。
「ありがと。じゃあ手。ええと、モアの世界なら。箒、がいいよね。たぶん。はい。」
コレットが差し出した手を握る。ぐいっと引き寄せられて、一緒に箒に跨ると私達は空に浮いて窓から出発した。
上昇につれて小さくなる桜の木、校舎、校庭。やった。やった。やっとだ。やった!
突然現れた箒に驚きもせずそれらを見送りながら、幸福を噛み締める・・・。あぁ。私は彼女の背中に顔をうずめる。
「泣きすぎ。まあ、無理もないか。お疲れ様だったね。卒業おめでとう。」
私には完全たる世界への冷笑と失望がある。つまり、私には資格がある。持っていた。ユートピア行きのチケットを。
私にとっての卒業式も今日だった。そう、今日この日に皮肉にも冷笑した世界から祝福を受けたのだ。さようなら、何も期待出来ない世界さん。




