メガオクトパスvsギガスクイッド
深夜二時、第三海洋研究船の《いそしお》は、太平洋の真ん中で観測任務を行っていた。
艦橋には副主任の三崎准教授が詰めていた。モニターには、深海音波探査装置の反応が映っている。深度3,800メートル付近。何かが、蠢いていた。
「……また出たか。あの“ノイズ”だ」
数日前から、装置には意味不明な干渉波が現れていた。それは機械の故障ではなく、明らかに「動いている何か」の痕跡だった。
「三崎さん、今の……映像に入ってます!」
若手研究員の早川がモニターを指差した。ぼやけた映像に、一瞬だけ巨大な影が映る。
それは、腕のようなものを無数に持ち、海底に沿って滑るように動いていた。
「タコ……? いや、デカすぎる……」
三崎は息を呑んだ。巨大ダコとして有名なダイオウホウズキイカでも、最大で20メートル未満。しかし今映った影は、どう見ても30メートルは超えていた。
と、そのとき——別の影が出現した。
モニターに、槍のような触腕を持つ、細長い輪郭が映る。目が光り、まるで水を切り裂くように高速で動いていた。
「イカ、ですか……!?」
「まさか……タコとイカ、両方……?」
映像は途切れた。
そして、次の瞬間——
《いそしお》が大きく傾いた。
「な、何だ!? 衝撃が……!」
艦内アラームが鳴り響く。ガラスのような音を立てて船体が軋む。外を確認するため、三崎たちは急いで甲板へ向かった。
暗い海面に、巨大な影がうねっていた。
まず見えたのは、黒紫色のタコだった。吸盤の直径は人間の胴ほどもあり、触腕が海面を叩くたびに水柱が上がる。その足元には、細く鋭い触腕を高速で突き刺してくるイカの姿。
「戦ってるのか……!?」
タコとイカが、船のすぐ近くで死闘を繰り広げていた。イカの触腕がタコの眼を狙い、タコは吸盤で絡め取って海中に引きずり込もうとする。まるで、古代の神々が争っているかのような凄まじい戦い。
だが、その一撃が——
《いそしお》を巻き込んだ。
イカの触腕が甲板を貫き、コンテナが吹き飛ぶ。船体が傾き、叫び声が飛び交う。
「退避! 全員、退避——!」
三崎が叫ぶより早く、タコの巨大な足が船を巻き込み始めた。
「やばい……このままじゃ沈む!」
早川が掴まった柵ごと持ち上げられ、海中へと投げ出された。
「早川ァッ!!」
三崎が叫ぶも、すでに姿は見えなかった。彼は目の前で繰り広げられる異形の争いに、立ち尽くすしかなかった。
イカの眼が光る。タコの頭部を突き刺すように突進。だがタコは足を広げ、イカを包み込む。まるで、締め付ける蛇のように。
「これは……縄張り争い……?」
三崎はふと気づいた。二体の怪物は、人間を狙っているのではない。互いを、深海の王と認めていないのだ。
だが、そんなことはどうでもよかった。彼らの戦いに巻き込まれた人間は、ただの餌に過ぎない。
やがて、タコは船の下に潜り込んだ。船体が大きく揺れる。エンジン音が止まり、照明が一つずつ消えていく。
そのときだった。
海が、光った。
深海用探査ドローンが、自動起動して爆発的な閃光を放ったのだ。タコとイカが一瞬怯んだように見えた。
「今だ、脱出するぞ!」
生き残ったクルー数人と共に、三崎は救命ボートへ向かう。
だが——
海面が、裂けた。
二体とも、海中に消えた。
静寂が訪れた。
—
翌朝。
救助隊が到着したとき、《いそしお》は船体の半分が破壊され、転覆寸前で漂っていた。
海面には吸盤の跡、そして赤黒い液体が大量に浮いていた。
生存者は三崎を含む三名のみ。
—
後日。
三崎は政府の施設に拘束され、口外を禁止された。
「ありえない」と誰もが言う。
「タコとイカが争ってる? 怪物が30メートル? バカな」
けれど、三崎は夢に見る。
目の前で触腕が交錯し、咆哮とも呻きともつかぬ音を響かせるあの光景を。
そして今も——
海の底で、決着のつかなかった戦いが続いているのだと、確信していた。