第23話 魔王領はデンジャラスゾーン! ~ポンコツ勇者、禁呪にビビる~
クリスタリアの街の食堂で、俺――ユートは、目の前に出された色鮮やかな「水晶鶏のハーブ焼き」をフォークでつつきながら、先日の鳥取砂丘での出来事をぼんやりと思い返していた。あの「かにめし」の温もりと、潮風の匂い…。あれは本当に夢だったのだろうか。
「ユート様、お口に合いませんでしたか?」
リリアナさんが心配そうに声をかけてくる。
「あ、いや、美味しいよ!すごく!ただ、ちょっと思い出しちゃってさ、故郷の料理を」
「故郷の料理…異世界の味とは、やはり違うのでしょうね」
エルミナが興味深そうに相槌を打つ。その隣では、クルトが「この鶏肉の細胞組織を解析すれば、あるいは魔力伝導率の高い食材としての可能性が…」などとブツブツ呟きながら、フォークで鶏肉を分解し始めている。やめてあげて、食材がかわいそうだ。
バルガスはすでに大皿にてんこ盛りの肉料理を平らげ、「おかわり!」と元気に叫んでいる。ポヨンちゃん(ニジカ)は、クルトがこっそり分けてくれた虹色のゼリー状の物体(試作栄養食らしいが、見た目は完全にスライムの餌だ)を、ちゅるちゅるとおいしそうに吸い込んでいた。
そんなカオスな食事風景も、これがクリスタリアでの最後の晩餐と思うと、少しだけ名残惜しいような、そうでもないような複雑な気分だった。
翌朝、俺たちは万全の(?)準備を整え、ついに魔王城へと出発した。エルミナは古代の地図と、結界解除の際に触媒となるらしい禍々しい輝きを放つ黒水晶の短剣を懐に忍ばせている。クルトのカバンは、いつにも増してパンパンに膨れ上がり、時折カチャカチャと怪しげな金属音を立てている。絶対また何かヤバい発明品を詰め込んでいるに違いない。
俺もS.A.G.E.にダメ元で「魔王城の内部構造データとか、弱点情報とかないわけ?」と尋ねてみたが、『対象「魔王城」に関するデータは、現時点ではアクセス不能な領域にロックされているか、あるいはこの世界の法則そのものによって隠匿されている可能性が高い。いずれにせよ、マスターのその貧弱な装備とスキルで正面から挑むのは、無謀を通り越して喜劇だ。健闘を祈る(心からではないが、面白い見世物としては期待している)』と、相変わらずの塩対応だった。
クリスタリアの民衆は、賢者エルミナと「あの爆発研究家」クルトが、例の「歌う勇者様ご一行」と共に旅立つのを、なんとも言えない複雑な表情で見送っていた。一部の者は英雄の旅立ちを讃えているようだったが、大半は「これでしばらく街の爆発騒ぎが減る」と安堵のため息をついているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
魔王城は、クリスタリアから遥か東の果て、世界の歪みが集中するという「終焉の地」に位置するらしい。
そこへ至る道は、まさに地獄絵図だった。
クリスタリアの豊かな緑が途絶えると、空は瞬く間に赤黒い暗雲に覆われ、大地はひび割れて不毛の荒野と化し、植物は枯れ果てて禍々しいトゲだけを天に向けていた。そこかしこから硫黄の匂いと、腐敗臭のようなものが混じった瘴気が立ち込め、呼吸するだけで気分が悪くなる。
「ここからは魔王ザルヴァークの影響が色濃い領域です。皆さん、気を引き締めて!」
エルミナの警告通り、瘴気の森に足を踏み入れると、強力なアンデッド系モンスター――骸骨の鎧を纏ったデスナイトや、腐臭を漂わせるリッチなどが、次々と俺たちに襲いかかってきた。
「聖なる光よ、邪を滅したまえ!『ルークス・エクソシスム!』」
エルミナが詠唱すると、彼女の手から放たれた浄化の光がデスナイトの軍勢を焼き払う。
「こいつら、骨だけになっても動きやがる!面倒くせぇ!」
バルガスは巨大な斧でデスナイトを粉砕し、リリアナさんは銀の剣でリッチの呪文詠唱を的確に妨害する。
クルトは「こんなこともあろうかと!」と取り出した、背中に背負ったタンクから聖水を高速で撒き散らすドローン型散布機(もちろん試作品)を起動させるが、案の定すぐに制御不能に陥り、聖水を敵味方関係なく浴びせかけ始めた。冷たい!
そんな中、一体の魔将クラスと思しき、禍々しいオーラをまとった黒騎士が、俺めがけて突撃してきた。
「異世界の勇者か!その首、魔王様への手土産にしてくれるわ!冥府魔道に堕ちるがいい!『ダークネス・エンド・レクイエム!』」
黒騎士が漆黒の剣を振り上げ、邪悪な呪いの言葉を紡ぐ。
「うわあああ!俺はまだ鳥取で二十世紀梨もカニもたらふく食ってないんだぞ!そんな物騒なレクイエムは聞きたくない!『希望の未来へレッツゴー・エンドレス・ハッピータイム!(超絶必死)』!!!」
俺は、もはや生存本能だけで意味不明な言葉を絶叫した!
『ユニークスキル「誤変換」発動。入力:「希望の未来へレッツゴー・エンドレス・ハッピータイム!(ダークネス・エンド・レクイエム!との干渉を確認)」。変換結果:対象「黒騎士」の行動ルーチンを「呪文詠唱モード」から「超絶技巧・情熱のタップダンスショー(観客魅了効果付き)」へ強制変更』
次の瞬間、黒騎士の動きがピタリと止まり、その禍々しいオーラが霧散したかと思うと、カツカツカツッ!と小気味よいステップを踏み始めたのだ!漆黒の鎧を身にまとった巨躯が、信じられないほど軽やかで情熱的なタップダンスを、満面の笑み(に見えるような兜の角度)で踊り狂っている!
あまりのシュールな光景に、戦闘中だった仲間たちも、そして残りのアンデッドモンスターたちまでもが、動きを止めて黒騎士の華麗な(そして無駄に上手い)タップダンスに見入ってしまっている。
「ダ、ダークネス…ステップ…エンドレス…カーテンコール…!? 我が必殺の呪文が…なぜこんな陽気な舞踏に!?」
タップダンスのクライマックスで華麗なターンを決めた黒騎士は、混乱と羞恥で顔を真っ赤にしている(ように見えた)。
その隙を逃さず、バルガスとリリアナさんが飛びかかり、あっけなく黒騎士を戦闘不能に追い込んだ。
「…勇者ユート、あなたのその『言霊』の力、あるいは魔王ザルヴァークの『歪み』そのものに直接干渉し、法則を書き換えるほどの可能性を秘めているのかもしれませんわね…」
エルミナが、もはや呆れを通り越して何かを悟ったような表情で、俺をじっと見つめている。
『S.A.G.E.より称賛:マスターのその無軌道な言霊、ついに魔王軍の幹部クラスの必殺呪文すらハッキングし、エンターテイメントへと昇華させるレベルに到達したようだ。その才能、もはや芸術の域と言えよう。今後の活躍に、エンタメAIとして最大限の期待を寄せさせてもらう』
お前、いつからエンタメAIになったんだよ…。
そんなこんなで数々の死線を(主に俺以外の活躍と、俺の謎スキルで)乗り越え、長い長い旅の果てに、俺たちはついに魔王城の威容を間近に捉えることになった。
天を突くかのように聳え立つ、黒曜石で築かれた禍々しい城。その周囲には煮えたぎる赤い溶岩の川が流れ、空には翼を持つ不気味な魔鳥たちが無数に飛び交っている。城全体から発せられる邪悪なオーラは、肌を刺すように冷たく、そして重い。
「あれが…魔王ザルヴァークの居城…!」
リリアナさんが息を呑む。
その時、俺が大事に懐にしまっていた二つの「虹色の涙石」が、これまで以上に強く共鳴し、温かく優しい光を放ち始めた。ポヨンちゃんもその光に呼応するように全身を虹色に輝かせ、周囲に立ち込める魔王城の邪気を、ほんのわずかだが和らげているように見えた。
「涙石が反応しています…!エルミナ様の仰る通り、聖なる祭壇は、やはりこの城の奥深くに!」
クルトが興奮したように叫ぶ。
ついに、魔王城の巨大な城門の前へとたどり着いた。黒鉄でできたその門は固く閉ざされ、周囲には見るからに強力な魔法結界が、まるで生きているかのように禍々しい光を放ちながら張り巡らされている。
そして、城門の前には、まるで番人のように、二体の巨大な魔獣――三つ首を持つ漆黒の魔犬ケルベロスと、骨と腐肉でできた翼を持つドラゴンゾンビが、不気味な唸り声を上げながら立ちはだかっていた。
「よし、先生!ここで例の『結界破壊禁呪(の最新改良アルティメット版)』を試す時が来ましたぞ!理論上は、ほんの数秒間だけですが、あの強力な結界に風穴を開けられるはずです!」
クルトが、目をギラつかせながらエルミナに提案する。
「…やむを得ませんわね。皆さん、わたくしたちが禁呪の詠唱を終えるまで、あの二体のガーディアンの足止めをお願いできますか!」
エルミナも覚悟を決めたようだ。
「(禁呪って…絶対失敗したらとんでもないことになるパターンのやつだろ…! 今回ばかりは、俺、絶対に何も叫ばないように、口をガムテープで塞いでおこう…!)」
俺が本気でそう考えていると、エルミナとクルトが古代語による複雑怪奇な禁呪の詠唱を始め、それを合図に、バルガスとリリアナさんが雄叫びを上げて二体の巨大魔獣ガーディアンへと斬りかかっていった。
魔王城攻略の第一歩が、今まさに踏み出されようとしていた。最終決戦の火蓋は、もう切って落とされてしまったのだ。