第一話 隠れた夜明け
いつだっておなじだ。
いつだって、おなじだ…。
わたしはここで生きて、ここで死んでいく。
そう、しんじてきた。
高みなんて望まない。
ずっと、ずっと、緩やかに朽ちていく。
海だってそう。
荒れ狂う津波も、いつしか優しくなる。
結局は、終わってしまう。
ならば、手を伸ばすことなんて意味はない。
初めから何も、無ければ…。
少女は見つめた。水平線の彼方のずっとずっと向こう側を。青々とした空に雲がただよう。まるで、透き通る水の中を泳ぐ魚のように。満ちては引いていく波には水鏡が時折顔を出した。風が耳のよこでささやいて、肌をふわりとなでてゆく。この風も、空も、海も、みんな外を見てきたんだ。そう少女は思った。自分がここで外を眺めている間に、みんなは自分の知らない景色を見ている。便りも書いてくれなくて、感想も言ってくれなくて。寂しさを誤魔化そうとして、温かさを求めるように、そっと手を伸ばす。その手はするりと空を切り、残ったのは冷たい指先だけだった。
「こんなところにいたのかい。さあ、実験を始めよう。」
白い妖精は少女をさらった。さくりさくりと砂に埋もれる足音は、波にのまれて消えていく。だれも少女を見つけてはくれない。それでも、少女は何も言わずに手を引かれている。泣き言も、弱音も吐かないで。深い深い森の奥、その姿は消えてしまった。
・・・・・・
靴音がカツカツと音を立てて、建物の中を木霊して、ブレることなく進みゆく。暗くて不気味な廊下の先に。しかし、勇気を胸に秘めることはない。ましてや恐怖などは微塵も抱かない。
しばらくの後、扉が見えてくる。鈍い色の鉄扉。中から声が聞こえてくる。慌ただしい、落ち着きなんてない声の数々。靴音は吸い込まれるみたいにその扉の前にやってくる。それに気づくと、扉は快く彼らを通してあげた。
・・・・・・・・・
扉の先は、近未来的なパネルとモニターだらけの奇妙な部屋だった。あちこちから電子音が聞こえきて、藍色の中で光る白色が騒がしいという感想を持つ。その上、部屋の外からでも伺えた人々の忙しない様子が、予想通り広がっていた。誰かは分厚いファイルを何個も何個も重ねて運び、誰かはひたすらに白く光るパネルを触りながら頭を掻きむしり、誰かはもう一人と弾丸トークで気が狂いそうになっている。
「来たか、ゲイツ。」
そして、彼らはとある男と対峙した。まっすぐな目に、堂々とした態度。低く重い声を響かせた彼こそ、ここ連邦特務機関を統括する司令官ジョン・レビッチ。唯一、彼だけがこの空間でどっしりと構えていた。
そして、彼らはその言葉を聞いた後、彼に対して敬礼をする。手は空を、足は地を突き刺す槍のように。靴音は最後に盛大な音を鳴らしてようやく、役目を終えて大人しくなる。
「連邦特務機関捜査部第ニ課アドルフ・ゲイツ、潜入捜査より帰還いたしました。」
「同じく、連邦特務機関捜査部第二課デボラ・ゲイツ、潜入捜査より帰還いたしました。」
緑髪を整えて、垂れて傾く目の中に輝く緑色の瞳。そして、光を浴びて煌めく黄色の髪に、輝く青い瞳。以前の相貌とは一風変わった2人がそこにいた。
「さっそくだが、今回の潜入捜査の全容を話せ。」
「「ハッ。」」
そうして、2人は事実を話し出した。高次元ヒューマノイド計画,被験体,局長ザッケハルト。おとぎ話の彼方向こう側にあるような夢物語。でも、残虐非道な悪夢の前兆。次々と語られる厄介事にジョンは頭を抱えた。それは非現実的であるからか、あるいはその凶悪性ゆえか。2人が報告を終えた後、彼は2人の方へと頭を上げて、ため息混じりに話をする。
「まったく、クローン実験自体が科学的禁忌だと言うのに、それを組織はこれまでの常識を覆すほどの偉業を成し遂げた挙句に、それらを兵器として運用しようなど。」
一つの国を壊滅させるなど簡単にやってのけてしまうであろう計画は、とても人一人が受け止めるにはかなり無理があるようだ。しかし、何一つ嘘のない正真正銘の事実であり、その鍵となる素体を奪取した。結局、何が何でも認めるしかないのだ。
「さらには奴の行方も分からず、そもそもとしてこちらの動きが最初から把握していた上で利用されていたとは…。内通者がいるのか、あるいは奴らの裏が何かしらこちらの情報を掴んでいたか。」
彼の苦難はさらに重くのしかかった。大犯罪者が行方不明というだけでなく、最初から潜入捜査がバレていたという、メンツ丸潰れの事態が発覚したのだ。
それは他の部署の信頼や自分たちのプライドに泥を塗ったことを意味し、楽観的に考えることなど到底できない。そのこともあって、司令室はこのように騒がしくなっている。いつもは余裕のある教室の空気が、試験期間にガラリと緊迫感をもつように。
「いずれにせよ、問題は山積みだ。お前たちはしばらく休息を取れ。これから忙しくなる。」
そう指示を出すジョンの顔には明らかに疲れが見えた。あたりを見渡せばジョン以外にも何人か、いやほぼ全員の目元にクマができている。ろくに休息も取れていないのに、事態が事態なため、休むこともできていないのだろう。2人はそんな中で休暇を取ることになったため、少し罪悪感を感じてしまうこととなった。
彼らが司令室から出た後の道中、彼らは今後の動きや被験体について少々困ったかのように話し込んでいた。
「あの子たちの扱いについては一応"保留"ってことになったから良かったものの、管理は一層厳しくなりそうだね。」
「仕方ない、と簡単に言えればどれほど良かったか。正直あの子たちをもっと自由にさせてあげたいっていうのが本音よ。」
そう、彼らは被験体の扱いについて苦言を呈していた。やっとの思いに出た彼らに待ち受けるのは、結局さらに堅固な牢獄だったのだろう。自由を望んだ彼らの努力は徒労に終わってしまったのかと思う彼らの胸は締め付けられる。
「幸いなのは面会は許されているってことかな。それだけでも、まだ完全に隔絶されたわけじゃない。でしょ、姉さん。」
「ええ、そうね。けど、もっと外の世界を見せてあげられるように頑張らないと。」
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ここで少々余談を挟むとしよう。
アスラナ,ゼンク。
彼らの本名はそれぞれデボラ,アドルフという。
そして、彼らは何を隠そう血の繋がった姉弟である。
2人はここアースクウェン共和連邦の
政府直属である特務機関Honds Of Nation、
通称ハウンドとよばれる組織に所属している。
警察と軍隊が合併し、
それぞれの役割が部署化されたものだ。
捜査部は主に、
一般的な事件や特務を扱う上で情報収集を行い、
必要があれば武力行使も行う部隊である。
彼らが所属するのはその第二課。
公安のように秘匿で捜査にあたる場所だ。
まだまだ歴は浅いもののその手腕が認められたため、
今回の任務にあたったというわけである。
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「それにザッケハルトはなぜあの場に現れなかったんだろう。」
「それはあたしも気になってた。奴が自らのシステムでくたばるような奴じゃないことくらい分かっている。」
あの後、ザッケハルトに関する情報はピタリと止んだ。その痕跡に至るまで噂話にもあがらない。脱出した後の空爆で彼は死んだのであろうか。それとも…。
「今は待つしかないね。けど、それよりも重要なのは…。」
「ああ、アンセスの処遇か。」
・・・・・
灰色を見てるとむなしくなるのはどうしてだろうか。
寂しいと感じるのはどうしてだろうか。
鮮やかじゃない。
華麗でもない。
飾らない中途半端。
普通と呼ぶには異質な、そんな色。
誰にも染まることもないから、誰にも愛されない。
そう望んだとしても、帰ってくるのは沈黙だけ。
誰も見てはくれない。
そんな灰色に囲まれた彼を理解しているのは、いったい誰なんだろう。
薄暗く光る箱の中、彼は椅子に座り、目の前の人物と対峙していた。
彼はひたすらにその尋問に対して回答するだけ。
気が狂いそうになるほど、何度も何度も。
同じ光景、同じ行動、同じ沈黙。
そうして彼の目からは光が消えた。
「何度も言うようですまないが、君の力はとてつもなく凶暴で、抑えの効かないものだ。だから、ここでしばらく繋がれておくれ。」
目の前の人物は、感情のこもっていない気だるげな声で彼に言う。彼を遠ざけていることは明らかだった。けれども、彼はそれに対してどうこう言うつもりもない。
「さっそくだが、君の力についてだ。君の力は、君が1番分かっているとは思っていたが、聴取の記録を見ると意外とそうでもなさそうだ。よって、一から確認させてもらおうか。」
そうしてその人物は口にした。今まで明かされなかった彼自身も知り得なかった真実を。
"あらゆる環境に適応する能力"
それが君の持つ本来の力だ。
〜第二章 楽園の姫は海に溺れる〜