ep.4 〜ふたたびのしろいたぬき〜
この草原の空は暗く、空には星が瞬いていた。
草原の中にぽつん、とある家からは柔らかいオレンジ色の灯りが漏れていた。
「おばぁちゃ~ん!たぬきさんのおはなしして〜!」
老婆の横たわるベッドに、小さい女の子が飛び込む。
「おやおや…ふふ。またあの話をして欲しいのかい?…さぁ、隣へおいで」
ベッドの端をあけ、かけられた布団をまくると、女の子はするりと潜り込んだ。
「ふふーん。たぬきさんのおはなし、たのしいの〜!」
にこやかに話す女の子に、老婆も顔を綻ばせた。
「そうね…今日はどんな話をしようかねぇ…」
少し悩むように呟く。
「さいしょにあったはなし、ききたい!」
「あぁ…その話かい?あれはねぇ………」
ーーーーーーーーーー
「そっかぁ…。あ、じゃあ…あのねこさんが…?」
女の子が指をさした小さい机には、茶色の猫の写真が飾られていた。
「あぁ、そうだよ。そう言えばうまれる前だったねぇ…みぃくんがいた頃は、毎晩のように会いに行っていたよ」
懐かしむような遠い目で写真を見る老婆は、どこか寂しそうだった。
「いまは…あいにいかないの?」
「そうだねぇ…。行きたいけれど…もう行き方を忘れちゃったんだよ…。覚えているのは…」
そう言って老婆はベッドから出る。部屋の壁一面の本棚に並べられている本を眺めて。
「あぁ、あった。…ほら。これじゃよ」
女の子に差し出された本は、ところどころが掠れていた。
「ひとり…ぐらし……?」
「おぉ、読めるのかい…?お婆ちゃんにはね、もう読むことは出来ないんだよ。開けてごらん?」
言われて、女の子は本を開く。
「んん……よくわかんない、けど…んん…?」
少し難しい本のようで、女の子は首をかしげながら本を眺めている。
しばらく読もうとしていたけれど。
「ふぁ……ふみゅ…」
どうやら限界のようだった。目をこすりながらも読もうとする女の子に。
「ふふ、今夜はおしまいにしようね。さぁ…。本は枕元に置いておいて、明日また読むことにしようね」
「んん…んーんー……」
寝ぼけながらも本を離そうとしない女の子に、老婆は軽くため息を吐く。
「わかったよ…ほら、そのまま持ってて良いから、横におなり?」
言われて、女の子は倒れ込むように枕に沈む。すぐに寝息が聞こえてきた。
「ふふ…しかし懐かしいねぇ…」
老婆は力の抜けた女の子の手から本を取り、パラパラとめくっていく。
「やっぱり今の私には…読めないねぇ…。何が書いてあったのかな…?」
諦めるように本を閉じ、女の子の枕もとに置く。老婆もベッドに潜る。
「それにしても…」
老婆は女の子の寝顔を眺めながら、思う。
長い金色の髪、空のような青色の瞳。本を手放そうとしないところもまた…。
「ふふ…。なんてね…」
少し笑みをこぼしながら、女の子に布団をかけなおす。
「おやすみ…。よき夢を」
ーーーーーーーーーー
「……ちゃん…。…おばぁちゃん…!」
体を揺すられる感覚に、老婆は目を開けた。
「おばぁちゃん…!ねぇ…ここどこぉ…?」
見ると、涙目の女の子が胸元にしがみついている。
「おやおや…大丈夫かい?」
頭を撫でながら、体を起こす。辺りを見渡すと…。
「ここは…森…?」
星空が瞬き、辺りを木々で覆われた草原。
「まさか……」
女の子と一緒に立ち上がり、また辺りを見渡す。
「おばぁちゃん…いっしょにおへやにいたよね…?」
不安そうに見上げる女の子の頭を優しく撫でながら。
「そうだねぇ…。でも、私は少し懐かしい場所に来たような気がするよ」
きっと、この先に。そう言って、女の子の手を引いた。女の子は、片手で本を抱きしめるようにかかえている。
しばらく歩くと、森が開ける。満天の星空には、月はなかった。
「あぁ………やっぱり……」
老婆は小さく呟いた。
「おばぁちゃん、あそこ!なんかいる!」
女の子が指をさした先には、小さくあかりが灯っていた。
「あぁ、そうだね…。行ってみようねぇ…」
胸の高鳴りを感じながら、それでもゆっくりと歩いていく。本当にあの場所なのだろうか。もしそうでも、忘れられていたら…なんて。
ある程度近付いて、老婆はふと立ち止まる。
「あぁ……あぁ……」
視線の先には、かがり火が燃えている。その周りには丸太が横たわり、そこに座るモノたちの影がゆらゆらと揺れていた。
「あっ…!あのひと…!」
女の子はそう叫ぶと、突然老婆の手を振りほどき走り出した。
「えっ…あ、待って……!」
老婆も早足で追いかける。徐々に近付いていくにつれ、影がより鮮明に見えるようになっていった。
女の子は丸太に座るモノと話しているようだ。ふと振り返り、老婆を指をさす。
「おばぁちゃ~ん!このひとだよね〜?」
遠くから叫ぶ女の子の声に、老婆の心臓が跳ねる。
老婆は不安になったようで、動けないでいた。
すると、女の子と話していた影がすっと手を挙げ、手招きをした。
その手に導かれるように歩き出し、近付いていく老婆。
女の子のそばに座る彼女は、あの時の記憶のまま。月のような白い髪。たぬきの耳としっぽ。
星空の様な瞳と、空のような青色の瞳が合う。彼女の目は少し細められて、口元には笑みが浮かぶ。老婆もまた笑みを浮かべたけれど、目にはひとすじ、流れるものがあった。
ふたりは少しうつむき、ふふっ…と声をこぼす。
そしてまた、顔を上げたふたりは。
「「ちゎ。ひさしぶりだね」」
そう言って、互いの手を握った。
「本当にひさしぶり。…大きくなったね」
「えぇ、本当にひさしぶり。たぬきさんはかわらないね」
「ふゃ〜ん!成長してないってこと〜!?」
「違うってばぁ!あの頃と同じくらい素敵だよってこと!」
「ふぇ…?えへへ、うれしーっ」
時を感じさせない軽口を交わしていると、女の子が老婆の袖を引いた。
「おばぁちゃん。このひとね、わたしをおばぁちゃんかなっていったの!」
そう言われたたぬきは少しギョッとしたように。
「アッアッアッ、それはぁ…、それはぁ…!えっと…その…そっくりだったんだもん…」
少し苦笑いを返した老婆。
「アハハ…確かに似てるわよねぇ…」
「わたしおばぁちゃんじゃないもーん!」
「ははっ、そうだよねぇ〜」
なんて、そんな風に笑い合いながら。
この夜は、きっとまだまだ続いていく。
久しぶりでも、あの場所へ行ったなら。
白いたぬきは、今宵もあの場所で笑う。
よき夜と、よき夢を祈りながら。




