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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

追放先から追放されました

作者: 泉川葉月

「トリシャ、今日からあなたの居場所はここではありません」

「院長先生、それはどういうことですか…?」

「今日限りで、この修道院から出て行ってもらいます」


 わたくし元・公爵令嬢トリシャ。

 追放先から追放されてしまいましたわ!



‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥



 事の起こりは一週間前の夜会でのことでしたわ。


「トリシャ!貴様との婚約を破棄する!!お前のような口煩い性悪女は修道院に追放だ!!!」

「承知致しました。謹んで拝命致しました」

「おっオイ待てコラァ!まだ言い足りないことがっ!」

「フロイド様ぁ〜。これでアタシ、フロイド様の婚約者になったんですよねぇ〜」


 さっさと踵を返して退出するわたくしの背中に、馬鹿で…王太子殿下と殿下のお気に入りの男爵令嬢の声が聞こえてきます。でも、もうどうでも良いのです。わたくしはすっかり疲れ果てていました。


 わたくしの一つ年上のフロイド王太子殿下とは五歳の頃に婚約者となり、それから十二年。ずっと彼を支えて来ましたわ。


 転んで号泣する殿下の鼻水を拭いてやり。

 弟君に理不尽に威張り散らす殿下を諌め。

 勉強から逃げ出す殿下を捕獲し。

 虫が頭に付いたと暴れる殿下の髪を整えたり。


 自分の妃教育の合間に甲斐甲斐しく殿下の世話を焼くわたくしには、いつしか「オカン」と言うあだ名が付いておりましたわ!


 ですが、そんな日々とはもうおさらばです。

 こうして婚約破棄されたのですから!


 追放されて家に戻れないのは悲しいですが、王族に婚約破棄されたわたくしなどにまともな縁談など来ないでしょう。それならば余生を神の花嫁となって、慎ましく過ごすのも良いのかも知れません。


 ただひとつ。

 そんなわたくしにも心残りがあります。それは、この広い世界を旅することが出来なかった事。


 妃教育や殿下のお世話に追われ、わたくしは自分の時間をゆっくり過ごす事が出来ませんでしたわ。

 就寝前の僅かな時間が唯一のプライベートタイム。その時間に世界中の旅行記や、外国の観光地のガイドブックを読み漁るのが唯一の楽しみでしたの。


 いつか王妃となった時に、公務とはいえ憧れの外国に行ける。そんな希望を胸に秘め、勉強に殿下のお世話にと邁進していましたが…その夢も露と消えてしまいました。


 追放先に移送の道中。馬車の窓から見える景色は物珍しさでいっぱいでした。王宮に缶詰めだったわたくしは、物心ついた頃から王都から出る事はありませんでした。

 追放先である海辺の小さな教会への道のりが、わたくしにとっては初めての旅行だったのです。そしてこれが最初で最後の…


 …はずだったのですが。



‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥



「お嬢様、僕は道中の案内をさせて頂きますサミーと申します。どうぞ宜しく」


 ぶっきらぼうに挨拶する少年は、新しく移送される修道院までの案内役兼お目付け役。

 わたくしは海辺の修道院から、遥か北にある修道院に移送される事になりました。この村から王都までは馬車で一日程度の距離。殿下はわたくしを出来るだけ遠ざけておきたいのでしょう。


 サミーは平民が着るゆったりとした服装。背丈はわたくしより高いですが…年頃はわたくしと同じ位に思える雰囲気です。長い前髪で顔を隠していて、表情を伺い知る事は出来ませんが。


「よろしくお願いしますわ、サミーさん」

「サミーと呼び捨てを。お貴族様にさん呼ばわりされるのは居心地悪いですから」


 わたくしはまだ、正式に貴族籍から抜けていなかったみたいです。修道院での奉仕の時間が短かったり、与えられた部屋が何だか豪華な気がしたのも、そのせいだった様です。妙だと思っていました。

 と、言うことは…


 わたくし、一週間シスター体験入門をしたただの客人でしたわ!


 御者が手際良く馬車に荷物を積み込み、出発準備完了です。ここからは御者とサミーとの三人旅です。道中は、各地を巡礼しながら北上する予定だそう。これも修道女になるための修行の一環なのでしょう…


「最初の目的地はイッバーラキ国、イッバーラギ(     ・)と発音すると失礼に当たるので気をつけて下さい」


 サミーが淡々と説明します。


 世界中の旅行記を読み尽くしたわたくしが、国の名前を間違えるなんて!そんな初歩的なミスはしなくってよ!!

 ですが、気になることが。


「どなたかと会う約束が?」


 発音が注意事項とは…?もしかして現地の方と会話する機会があると言うことなのかしら?


「イッバーラキ国の前国王の側近、ミットー・ミツックニ元副将軍との会食予定があります」

「何故っ?!」


 どうしてそんなに偉い方とのアポイントがあるのでしょう?わたくし、追放されるのに!


「会食では最近和解した隣国トゥッチギー国から輸入している、若者に人気のギョゥザァと言う料理を振る舞って頂けるそうですよ」

「わたくし、イッバーラキ国の伝統料理ナットゥーなる豆料理もいただきたい——じゃなくて!!」

「ミツックニ元副将軍は諸国漫遊がご趣味らしく、色々なお話が聞けると思いますよ」

「あらそれは素敵」


 ミツックニ元副将軍との会食はとても楽しいひとときでしたわ。各国に存在するエチゴーヤという組織は、地域のダイカーンなる役人と癒着しているという有益な情報も聞けました。



‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥



「次の目的地はアッオーモリィ国です…ってお嬢様聞いてます?」


 途中で立ち寄ったフックーシマ国で購入した可愛らしい牛の置物を指でベコベコしながら、ミッヤーギ国でマサームネ王から旅のお供にといただいたギュータンジャーキーをもぐもぐ…これ止まりませんわ。


「アッオーモリィから海を渡れば、目的地のホカーイドゥに入ります」

「…いよいよその時が来てしまったのね」


 わたくしの旅もそこで終わり。この楽しかった時間ももうすぐ消えてしまうのです。


「まずエリモー岬から北上しまして、トカッチーでワイン工場の見学、お嬢様は未成年なのでぶどうジュースをご堪能ください。それからフラーノーでラベンダー栽培の見学後、アカーン湖で現地にしか存在しない生物とのふれあい体験、その後更に北上しながら幾つかの温泉に入って頂いたのち、カニ食べ放題ツアー」

「ちょぉぉーっと待てぇぇぇーい!!!」


 思わず淑女に在るまじき声が出てしまいましたわ!


「わたくし、修道院に行くんですのよねぇ?!」

「そうですよ」

「どう考えても旅行」

「巡礼です」

「巡礼?」

「そうです。巡礼です」


 サミーが長い前髪の隙間から、鋭い眼光を放ってわたくしに訴えかけて来ます。怖いですわ。


「それに、目的地はハッコダッテーです」

「…そう……ハッコダッテーですのね」


 その昔、大きな戦があった古都。多くの人が尊い命を散らした地。

 その地にある修道院は、一度入ったら出る事が出来ない厳格な戒律。戒律を犯した者には、ハラキリなる刑が執行される恐ろしい修道院との噂です。


「残り少ない道中ですが、あなたがいてくれてとても楽しかったわ。最後までよろしくお願いしますね、サミー」

「…承知しました、お嬢様」


 ワッカナーイの岬で買った海に浮かぶ氷の形を模した美しい色の飴を堪能しながら、道中の景色を瞼に焼き付く様に眺めます。サッポーロでは不思議と癖になる味のスープパスタの食べくらべをし、わたくしたちは遂にハッコダッテーに到着したのです。


 ようやく辿り着いたハッコダッテーの修道院はとても荘厳な雰囲気でした。


「では僕が手続きに行って参りますので、ここでお待ち下さい」

「わかったわ、サミー」


 馬車の中で待機すること数刻、サミーが戻って来ました。


「…大変ですお嬢様」

「どうしたのです?サミー」

「……、されました」

「えっ?よく聞こえないわ?」

「追放、されました」

「追放?何を?どこから??」


 わたくしの頭の中はハテナマークでいっぱいです。


「ハッコダッテーから追放されましたぁぁぁ」

「入ってもない修道院から追放されるってどういう事ぉぉぉぉ?!」


 わたくしは絶叫してしまいました。遠路はるばる覚悟を決めて——いや道中はかなり楽しかったですけれども。俗世とお別れをするつもりでここまで辿り着いたのに!!


「お嬢様の様な方は受け入れられないとの一点張りでして」

「まだ修行が足りないということかしら?」

「さぁ…その辺は何とも……」


 王族から嫌われた高位貴族など、厄介者でしかないですし。それとも旅こ…巡礼が足りなかったのかしら?


「ハッコダッテーの院長から、紹介状を預かっています。この地では受け入れられないから、西の帝国キョウットの修道院を訪ねるように、と」

「何故追放されたのかは分からないけれど…行くところが無いよりはマシですわ」


 こうしてわたくし達はハッコダッテーの修道院に一歩も足を踏み入れる事なく、この地を後にする事になりました。ハッコダッテー山からの夜景は涙が出るほど綺麗でしたわ!



‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥



「今日の宿飯はキッリィターンポポポです」

「しったげうんめぇ」


「スキー!」

「スキースキー!!」


「ソバァは!」

「コシが命っ!!」


「ビワーコの水」

「止めたろかー?」


 わたくし達は各地を巡礼し、キョウット帝国に到着しました。巡礼ったら巡礼です!


 キョウット帝国の修道院。院長の案内で、わたくし達は敷地内を見学させていただいています。歴史を感じさせる境内はワービーサービィの美しさ。追放とはいえ、こんなにも素敵な所で過ごすことが出来るなんて!わたくしは期待に胸を膨らませておりました。


「では、ここで昼食に致しましょう」


 一通りの見学を終えると昼食となりました。院長に連れられて通されたのは食堂。タッターミという草を編んだ床材の香りが素敵な、それは広い大食堂です。その一角に既に用意されているのは、わたくし達三人分の——


 BUBUZUKE(ぶぶ漬け)!!


「院長先生、こっこれは…?」

「BUBUZUKE どす」


 これは帝国キョウットに伝わる都市伝説!

 『Get out BUBUZUKE』!!


 ホストからの「早よカエレ」のサインである食事。これを出された客人は、さっさと退出せねばならないのですわ!


「そのぉ…つまりぃ…?」

「BUBUZUKE どす」


 …都市伝説を目の当たりにできた感動はありますが、実際やられると精神が抉られますわね。


「…しょ、紹介状があるとありがたいのですが…」

「既にご用意してございます」


 仕事が早いですわね!

 サミーと御者の(じい)が我関せずの顔でBUBUZUKEを堪能しているのも腹立たしいですわ!!


「ツーテンカァーク!」


「コウーベビィィィフッ」


「オッコノミィヤキィ」


「メンタィーコ」


「クマモント城!」



‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥



 ザッパーン。

 ザバーン。

 寄せては返す波の音。


 白い砂浜に置かれたビーチベッドに横たわりながら、青い水平線の彼方に沈む夕日を眺める優雅なひととき。波の音とどこからともなく流れて来る南国の楽器の音色が最高の贅沢。


「…何故わたくしはオッキナーワにいるのかしら?」

「それは御者の爺が『行きたい』と提案したからですよ」

「いやまぁそうなんだけど」


 キョウットから追い出されたわたくし達が次に目指したのは、古の神々が住まう都ザキミヤ。

 例の如く問答無用で追い返されたわたくし達は、次の目的地から外れて、南の島へ立ち寄ることに致しました。どうせ次も追い出されるんだから、ちょっと寄り道しても平気じゃない?なんて思ってないですわよ!


「どうですか、この旅は?」

「遂に旅行と認めたわね?!」

「違いますよ、巡礼の旅です」

「誤魔化したわね」

「…気は晴れましたか?」


 サミーが長い前髪の向こうから、わたくしの気持ちを見透かす様な視線を送って来ます。


「…晴れた、と言ったら嘘になるわね」


 たくさん旅をする事が出来ました。

 本で読んだわたくしが見たかったもの、体験してみたかった事が次々と叶っています。なのに、心の奥底まで満たされないこの気持ちは何なのでしょう。


「サミーと爺には当てのない旅に付き合わせる事になって、申し訳なく思っているわ」

「気にしないで下さい。僕も爺もそれなりに楽しんでいますから」


 暗くなって来たビーチには篝火が灯され、火の周りでは陽気な音楽に合わせて多くの人々が踊っています。


「爺が真ん中で踊っているわね」

「いつの間に覚えたんでしょうね」

「それなりどころか、かなり楽しんでるわね」


 御者の爺がオッキナーワ伝統の『Yes,Sirおじ様』ダンスを踊っています。


「爺、ニイガッターでのスキーの腕前も凄かったわよね」

「ワンエイティ決めてましたもんね」


 ご老体によるジャンプからの百八十度回転は度肝抜かれましたわ!!


「爺みたいに、心からこの旅を楽しめれば良かったのだけれど」


 踊りの輪から抜け出した爺は、大蛇が漬けられたお酒を呑んでいます。現地に馴染む早さがえげつないですわ。


「…旅、止めちゃおうかしら」


 王太子の婚約者、公爵令嬢、学生。

 なりたくてなった立場ではではないけれど、責任を持って精一杯こなして来たつもりでした。


 『皆に恥じない様に』

 『皆の手本となる様に』


 幼い頃から、両親や周りの大人たちに言われて来ました。背筋を伸ばし、毅然と、優雅に。そして摯実である事を求められて来ました。


 愉しげに人々と交流する爺を見ていると、色々な事がどうでもよくなって来ます。


「三人でここに住むのも悪くないですね」

「それじゃあ、サミーと爺が怒られてしまうわ」

「大丈夫ですよ。将来、馬鹿で…王太子殿下が将来治める王国にいるよりずっと良いです」

「そうね。馬鹿で…王太子殿下の言う事を素直に聞く必要もないのよね」


 王命で決められたわたくしとの婚約を破棄したのは、十中八九王太子殿下の独断でしょう。

 わたくしはそれを理解した上で、殿下の案に乗ったのです。


「何もかも捨てて逃げてしまったけれど…この胸の内の虚しさが消えないのは、わたくしが結局、何ひとつ成し遂げていないからなのでしょうね」


 わたくしは満天の星空を眺めます。サミーの視線を感じますが、上を見ていないと涙が溢れそうです。


「旅、続けるんですか?」


 サミーが確かめるように聞いて来ます。


「ええ。せめてこの旅だけは成し遂げたいわ。ついて来てくれる?」

「……承知しました」


 爺が千鳥足で『Yes,Sirおじ様ダンス超高速Ver.』の輪に混ざっています。


「…大丈夫かしら?」

「…そろそろ止めて来ます」


 立ち上がったサミーが、こちらを振り返りました。


「地の果てだって行きますよ、お嬢様と一緒なら」


 海風に吹かれた前髪が一瞬だけ舞い上がりました。

 それは何処かで見た事のある碧い瞳——



‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥



「カッツーォ!」

「一本釣りぃ!!」


「ウドゥーンも!」

「コシが命っ!!」


「セット大橋!」

「ナルートウズシーオ!!」


「シカセンベィ」

「食べたくなるヨネ」


 ザキミヤ国から紹介されたトリプル国の修道院からも拒絶されたわたくし達一行は、マウントフッズィを眺めながら足湯に浸かっていますわ。


「足湯に浸かりながらいただく氷菓子(アイスクリーム)…控えめに言って最アンド高ですわ」

「温泉玉子も美味しいですよ」


 足湯から上がると、爺が温泉マンジューとやらを無心で食べていました。ひとつ貰おうかしら?


「次の目的地は…エイトプリンス宮殿です。お嬢様、本当に宜しいのですか?」


 サミーが心配そうに聞いて来ます。


「この旅だけは何があっても成し遂げたいと思っていたの。だから、大丈夫」

「断罪されるかも知れないのですよ?」


 エイトプリンス宮殿。

 そこはわたくしが殿下に婚約破棄を突きつけられた地。トリプル国の修道院で受け取った手紙は、国王陛下からの帰還命令でした。各地の修道院を訪ねる事になったのも、わたくしの断罪方法を決定する為の時間稼ぎだったのかも知れません。


「それかまた馬鹿殿下の婚約者にされるかも知れないですよ?」

「遂にはっきり馬鹿って言ったわね?」

「事実ですから」

「否定はしないですわ」


 殿下と共に過ごした十二年。恋心が根付く事はありませんでした。それでも将来の家族として、一緒に過ごす未来は描いていたのです。


「…男爵令嬢と一緒にいる殿下を見た時、わたくしは嫉妬したの」

「ご令嬢に、ですか?」

「いいえ。殿下に、よ」

「何故?」

「殿下ばかり狡い。いつも好き放題。自由にしていて羨ましいって」


 サミーが黙ってわたくしを見つめているのを感じます。


「わたくし、ずっと自由が欲しいと思っていたの」


 偶々婚約者に選ばれ、幼い頃から国の為に献身を求められて来ました。


 『出来て当たり前』

 『やって当然の事』

 『上に立つ者としての義務』


 褒められなくても。嫌われ役になっても。

 周りから求められる事を、ずっと無我夢中でやって来ました。わたくしが我慢するのは仕方がない事と思っていました。気持ちを押し殺し、必死で頑張って来ました。


「でもこの旅に出て気づいたわ。そうじゃなかった」


 皆と一緒に笑いあい。

 美味しい物を食べて感動し。

 美しい景色の中で、思い切りはしゃいで。

 爺の身体能力にサミーと二人、恐れ慄き。


 わたくしが本当にしたかったこと。

 それは誰かと一緒に笑ったり、喜んだり、驚いたり——自分の気持ちを分かち合いたかった。ただそれだけでした。


「ずっと淋しかったのだわ、わたくし」

 

 目の前がふと暗くなり、わたくしは温かいものに包まれていました。サミーの穏やかな鼓動を耳に感じます。サミーの優しい声色が、わたくしの頭上から聞こえます。


「…我慢しなくて、いい」


 わたくしは声を上げて泣きました。



‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥



 久方ぶりに帰って来たエイトプリンス宮殿。

 自分の気持ちに整理がついたわたくしは、今度は己に課された義務と向き合う為、こうしてこの地に戻る事を選択しました。


「よぅトリシャ!久しぶりだなぁ!!ちったぁ気晴らし出来たか?あぁん?」


 ざっくばらんに語りかけるこの方は、エイトプリンス国王陛下です。決してお怒りになっている訳ではなく、この話し方が通常モードです。メイスを肩でトントンとリズミカルに叩きながら、玉座の上にしゃがみ込んでいらっしゃいます。昼夜問わず色付き眼鏡(サングラス)を掛けているのも標準装備です。


 どうやら陛下は、わたくしの行き詰まった気持ちにお気付きになっていた様です。


「しんどい時は、馬でぶっ飛ばすのが一番ってなもんよ!どうだったか?スレイプニル(俺の愛馬)共はよぉ?」


 まさか陛下の所有のお馬さん達だったとは!

 お馬さんの足の数が多いのも、普通の馬車よりやたら速いと思ったのも気のせいじゃなかったですわ!!


 そしてわたくし自分でも知らぬ間に、暴走公爵令嬢(レディース)デビューしていましたわ!!!


「…この度はフロイド殿下のお気持ちに添えず、申し訳ございませんでした」


 わたくしは誠心誠意陛下に謝罪します。見た目は強面ですが、陛下は身内と決めた者には懐の広いとてもお優しい方です。


「んなこたぁ良いってことよ。悪ぃのは全部あいつだ。んで、シメといたから」


 陛下が顎をしゃくって指した部屋の角には、顔面ボコボコのフロイド殿下の様なボロ雑巾がガタガタと震えておりました。…陛下は仁義を軽んじる者に対しては、愛の鉄槌を下す方でもあります。


「俺の若ぇ頃よりはマシな奴だったからよ、成長すりゃあ一丁前になるかと思ったんだが…悪かったな!お前ぇに恥かかせちまった」


 ボロ雑巾(フロイド殿下)が口をパクパクさせて、何かを訴えかけてきます。

 TA・SU・KE・TE?

 よく分かりません。


「…わたくしの様な者にその様な勿体なきお言葉…有難く存じます」

「トリシャは良い女になったなぁ!それでこそ、この俺が見込んだ女だな!!」


 陛下はわたくしの出奔をお許し下さったようでした。陛下愛用の釘付きメイスの餌食になりたくなかったので一安心ですわ!


「んでよぉ。優しいお前ぇにこれ以上甘えんのは悪ぃんだけどよ。これからはサミュエルを王太子にすっから、トリシャにはサミュエルの婚約者になってくんねぇか?」

「えっ?サミュエル殿下ですか?!」


 サミュエル殿下はフロイド殿下の弟君で、わたくしとは同い年です。

 幼い頃は暴れ回るフロイド殿下を二人で諌め、周囲に頭を下げ、時には証拠を隠滅して回ったいわば戦友の様な方です。わたくしが王妃教育と学園入学で忙しくなった頃にいつの間にか騎士学校に入学され、しばらく疎遠になっていた方が…一体何故?


「オラ、サミュエル!後はテメエで落とし前つけろ!!」


 陛下がそう言った後、わたくしの目の前に現れたのは——


「サミーが…サミュエル殿下だったの?」


 長い前髪をスッキリと上げ、碧い瞳を真っ直ぐにわたくしに向けたサミーがいました。


「黙っててごめん。ずっとトリシャの事が好きだったんだ。馬鹿兄貴(フロイド)の婚約者だったから諦めようと思ったけど…あいつにずっと邪険にされてるトリシャが見てられなくて、父上に言ったんだ。トリシャと結婚させてくれって」


 陛下がニヤニヤしながらこちらを見ています。


「父上から出された条件は、『トリシャを心身共に支えられる(オトコ)になる事』。やっと騎士団長に勝てたんだ。時間が掛かってしまってごめん」


 昔は同じくらいだった背丈は、サミュエル殿下の方が頭ひとつ高くなり、騎士服の上からも分かるがっしりとした身体は、フロイド殿下にギタギタにされていたあの頃の欠片もありません。


「…君が淋しい思いをしてる時に、側に居られなくてごめん」


 厳しい妃教育で落ち込む事が何度もありました。殿下の尻拭いで挫けそうになる事もありました。そして旅に出てからは、見えない未来への不安で弱音を吐きたい日もありました。


「でも、これからはそんな思いは絶対にさせない!」


 辛い時、悲しい時、さりげなくわたくしの気持ちを汲んで支えてくれたのは、サミュエル殿下…サミーでした。


「トリシャ、僕と結婚してください」


 この地に戻ると決意した時、わたくしは王太子妃の座を辞そうと思っていました。もう、ひとりで立っていられる自信がなかったから。

 でも…!


「わたくしもサミュエル殿下となら、共に歩んで行きたいです!!」



‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥*‥



 こうしてわたくし達は、晴れて婚約者となりました。幸せで穏やかな日々が続いていると、あの婚約破棄騒動から一連の旅の日々が、とても不可解なものに思えて来ます。


「サミュエル殿下」

「違うでしょ、トリィ」

「…サミー」

「正解」


 サミーがわたくしのおでこにチュッとリップを落とします。サミーもわたくしのことをトリィと愛称で呼びます。甘すぎてまだ慣れませんわ!


「あの巡礼の旅って、結局何だったのですか?」


 サミーとわたくしの心の距離を縮めるだけにしては、些か大掛りな気がするのです。


「トリィはずっと旅に出たがってたでしょ?」

「そうですね。ずっと王都から出られなかったから…」


 学園の友人達は長期休暇には領地に帰省したり、旅行したりと楽しんでいました。しかしわたくしにはそれが許されませんでした。何しろ王太子殿下のお世話(子守り)があったので!


「だから頑張ってるトリィに、一番喜んでくれそうなプレゼントがしたかったんだ。兄貴とトリィの婚約解消ができたら、療養を兼ねて旅行をプレゼントしようと思ってたんだよ」


 サミーは少し落ち込んだ様な表情で語ります。


「馬鹿兄貴が、あんな形で一方的に婚約破棄宣言するとは思わなかった…こっちの段取りもまだ不完全だったし、兄貴が何をするか分からない状態だったから、トリィには事情を告げられないし。結局逃げる様に旅立つ羽目になってしまって…」


 ボートブリッジ村の修道女体験は、フロイド殿下へのカモフラージュと、旅の準備時間を稼ぐ為の措置だったみたいです。


「では、各地の修道院を追い出されていたのは?」


 行く先々で門前払いをされていたのも疑問です。


「トリィを修道院に入れる気なんて勿論なかったから、普通に中を見学させて貰う予定だったんだ」


 サミーが苦笑しながら言葉を続けます。


非常識な速度で走る(爆走スレイプニル)馬車で乗り付けちゃったから、フツーに警戒されて見学できなかっただけ」


 ただの危険人物扱いでしたわ!


「色々ありましたけど、楽しかったから大丈夫ですわ。わたくしの大好きな冒険者様が立ち寄った地をたくさん訪ねる事が出来たのですもの!」


 わたくしはとあるトレジャーハンター様に憧れ、彼の書いた旅行記は全巻読破していました。それらの本は、全てサミーからプレゼントされたものです。

 そして旅で立ち寄った地の多くは、思い返すとその旅行記に記されていた所が多かった様な気がします。


「もしかして、あの旅行記をなぞって旅をしてくれていたのですか?」


「うん、そうだよ。実はね、あの旅行記書いたの僕のおじい様なんだ」


 まさかの前・国王陛下でしたわ!


「それから御者の爺。あれ、おじい様」

「作者と巡る聖地巡礼(・・・・)の旅だったってことぉ?!」


 元・冒険者ならあの身のこなしも納得ですわ!

 後でサインを貰いに行かなければ!!


「ねぇ…新婚旅行はどこに行きたい?」


 サミーがわたくしをぎゅっと抱き寄せて言います。


「古城巡りや農場体験なんて楽しそうです」

「鉄工業や採掘見学も面白そうだね」

「わたくし『ザガミの海賊』様にもお会いしたいわ!」

「ジャンピング・スワローズ船長かな?ジロッチョー・オヤーブン殿との和平交渉が落ち着いたら会いに行こう」


 わたくしもサミーをぎゅっと抱き返します。

 微笑み合った視線が絡み合い、わたくし達は——



 追放先で追放されたら、新しい婚約者ができました。



数ある作品の中からお読みいただき、ありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
地名と人名と名物に気を取られて本筋が中々頭に入らず5回も読み直す事になりました件に遺憾の意を表明致します(訳・いいぞもっとやれ)
勢いと語呂のセンスでニッポーン全国走り切った快作!
テンプレな流れではあるのですが、地名と物語の疾走感だけでこんなにも忌避感なく爽やかな読後を迎えられるものなのだと驚きました。 とてもすっきりとした気持ちで最初から最後まで読んで楽しめました。
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