三章『頂を目指す日々』④
4
それから何度目かの遭遇戦を繰り返し、松明の光を頼りに歩いていた洞窟の通路の先でオレたちは真四角の広いフロアに出た。
そこには多くの男達の亡骸と金貨が床に広がっており。
積み上がったそれらの上。そこで横になってくつろいでいたサキュバスがオレを視界に捉えて腰を持ち上げる。
「あらあら? 珍しくこっちに冒険者の肉が来てくれたのね」
「サキュバスは、一匹か……」
この服も呼べない薄布を纏う頭の左右に角の生えた淫らな女のモンスターは決して戦闘力が高いモンスターというわけではない。
それを加味してなお、ギルドが設定している討伐推薦レベルは10。
冒険者を誑かすサキュバスの魅了は強力で、抵抗力の低い者では抗う方法はほとんどない。
下級冒険者が一人で出会ったなら逃げるのが正攻法!
「やられる前にやるっ!」
「うふ。慌てないで坊や、貴方の相手はこの子達からよ」
駆け出したオレを前に、嘲笑うサキュバスが合図を出すように指を鳴らす。
次の瞬間。
正方形のフロアの四つ角で、骨の山を吹き飛ばし下に潜んでいた四匹のハーピィが羽根を広げて同時に姿を見せた。
「なっ!?」
すでに囲まれていた!?
人型のモンスター特有の狡猾な罠。
サキュバスに斬りかかろうとしていたオレは怪音波を奏でる楽団の中心に立つ形となる。
「ここに冒険者が来ないのは、別に私達が弱いからじゃないのよ?」
「「キィアアアアアアアアアアアア!!」」
複数のハーピィによって押し寄せる鼓膜を引き裂く音の波にオレはたまらずその場で足を止めてしまう。
「ぐぅぅ!」
まずい! このままじゃ少しずつ命を削られて終わっちまう! どうにかこの音波を止めて今すぐ中心から脱出しないと!
ぶつかり合う音波の中で突破口を探し、剣の柄を握りしめて一匹のハーピィの方を睨む。
「ムダよ」
そんなオレが命懸けの突貫を仕掛ける前に、サキュバスが瞳にハートを浮かべた邪眼でオレを見据える。
「〈チャーム〉」
サキュバスのその声と共に怪音波が止んだ。
静かになった部屋の中。膝をついたオレの元へゆっくりとサキュバスが近づいてくる。
「驚いた、足を犠牲にして魅了に逆らったのね」
足の甲に剣を突き刺したオレを見てサキュバスは目を丸くする。
「へへ、このくらいの覚悟はできてるんだよ……」
〈チャーム〉はたしかに強力だが、術中に嵌める際に激しい痛みや苦しみ、大きな音がなどが重なると効力が薄まるという側面がある。
「オマエがオレに魅了をかけるなら、怪音波が止むはずだと思っていたぜ!」
──キンッ!。
隙をつき低い姿勢から斬り上げた攻撃が敵に到達し、甲高い金属音が鳴る。
「うふふ」
「っ!?」
驚きを隠せないオレの剣を、サキュバスは背に隠し待っていたレイピアで受け止めていた。
ダメージを負い、消耗したオレと女の姿であろうとモンスターの筋力を持つサキュバスでは、純粋な力の差であちらに軍配が上がる。
「私が驚いたと言ったのは……」
サキュバスはオレの首に手をかけ、握り潰そうかという握力で掴む。
「貴方の、ムダな足掻きによ」
「がっ!」
首を握る力が増し、呼吸が苦しくなる。
「知っているかしら冒険者さん」
「っ?」
「魅了の最も効力が増すかけ方は直接入れてあげることなのよ?」
「!?」
サキュバスが〈チャーム〉を直接かけようと口づけをしようと額を近づけてくる。
「大丈夫よ。幸福に包まれながら殺してあげるわ」
「……!」
至近距離で湧き上がらせる殺気に悪寒が走った。
そのままオレはなす術も無くサキュバスの口づけを受け入れるしかなかっ──
「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「なんですって──ゴブッ!?」
オレとサキュバスの額の距離が無に直前。
背後から飛び込んできたネクの拳がサキュバスをフロアの端まで吹っ飛ばして盛大に壁へと激突させた。
壁から剥がれ落ちて金塊の山の上に倒れたサキュバスからは黒いモヤが立ちのぼっている。
一撃!?
身のこなしから只者ではないと思っていたが、たったひと殴りでモンスターを倒してしまうとは……
驚愕を隠せないオレは、右腕を伸ばして荒い息で立っているネクをまじまじと見た。
出会いが出会いなだけに、こんなにちゃんと見るのは初めてだった。
だからその右手の甲で光る透き通るように白い宝石のような装飾品が、オレの右手の甲にあるのと同じ。勇者魂だということに、この時初めて気がついた。
ネクが、教会の人間が冒険者!?
教会の聖女や牧師、その他の教会に属する者はその村や街において怪我人や病人を癒す役割も担っており。複数人が協力することで魔物除けの結界を張ることもできる事から、身分の上でも役割の重要性の上でも争いの前線に立つようなことはありえない。
役割としては、戦うためになる冒険者とは真逆もいい所だ。
ネクは元シスターと言っていた。
そうか、冒険が彼女が聖職者を辞めた理由なのか。
けどそれとは別にオレにはもう一つ重大な驚きがあった。
この子、今のオレが足元に及ばないくらい強いだろ!?
素手の一撃でサキュバスの生命の灯を消したネクを、オレはぎこちない動作で見た。
「すみまさん。わたしの夢が危うかったので取り乱しました」
「……ネク、キミは一体何者なんだ?」
「ずっと言ってますよ? レオくんの古参ファンの元シスターだって」
「それだけで十分、存在の謎が多すぎるんだよなぁ」
もしかしてあれなのか、勇者のサンが聖剣と光の斬撃や弾を使っていたから教会には元々勇者だけじゃなく、そのパーティーのことを知っている者が沢山いたとかそういうことなのかな。
「あ! あと名誉の言っておくと今のは筋力アップの魔法を使っただけで、わたしはただのパンチでサキュバスを仕留めたわけではないんですからねっ! 絶対に勘違いしないでください!」
「う、うん? わかったよ」
それが一体なんの名誉を守る発言なのかよく分からないが、ネクの必死の形相にオレはとりあえず首を縦に振る。
「ふう。これであらぬ誤解の種は取り払えました」
「う、うん」
「では……ここからはわたしに任せてくださいね!」
前に進み出て、振り返りながら笑うネクに向けてオレは手を挙げる。
「まだ戦えるって言いたいところだけど……頼んだ」
「はいっ!」
差し出した手を軽く叩いたネクは快音を響かせてタッチ交代する。
「〈スティール・ボディ〉」
呪文を唱え、銀色のオーラのようなものがネクの全身を包む。この効力が続く限り彼女が唯一着ているただの修道服でさえ、鋼鉄の剣でも切り裂けはしないだろう。
回復に筋力アップ、防御力アップの魔法まで使えるとは……ネクは支援特化の術者としてはもう文句のつけようがないな。
「わたしが黙って見ていたのはレオくんのレベルアップを邪魔しないため。ですが、あなた達は一線を越えました」
背中越しに聞くネクのその声はオレが初めて聞く、苛立ちを滲ませた激しい怒りに満ちた声だった。
指揮をとる者を失ったハーピィは、構わずにフロアの中心に居るオレたちへ開いた口を向ける。
「「ギィアアアアアアアア!」」
「小鳥のさえずり程度で、わたしをどうにかできると思わないでくださいね?」
音波攻撃の中心で耳を必死で塞ぐオレの前で何事もなく立っているネクは、次の瞬間。
地を蹴って正方形のフロアの一角で鳴き続けるハーピィのもとへ凄まじい速度で迫っていく。
突っ込んだネクはまたも何も持たぬ拳でモンスターを殴りつける。
「はあぁぁぁぁっ!」
「ギェッ!?」
殴られたハーピィの頭部はありえない程深く凹み。苦悶の表情を浮かべたまま壁の激突して動かなくなった。
その光景にオレは何度見ても驚きを隠せなかった。
いくら鍛え上げた腕力のある冒険者だとしても、低級モンスターを体術のみで倒すのは推薦レベルとの差が10以上は必要なんだ。
なのにネクは中型まで拳で、しかも一撃で吹き飛ばして見せた。
そう考えるとネクはレベル20を優に超えていると思っていいだろう。
レベル20……つまりこの大陸における上級冒険者の最低基準レベルを、だ。
それはもはやオレがネクを守る必要など皆無な証なんだけど……
自分の中で余計にネクがオレを蘇らせた理由が分からなくなっていた。
その後。少しの間に疑問が増えすぎたオレが、ぐるぐると考えながら見ていた光景はただの暴力だった。
そよ風でも吹いているのかと錯覚するほど涼しい顔で怪音波の中を走って近づいてくるネクに、ハーピィは無駄だと悟りながらも自分の最大の攻撃を出し続け。
それを物ともしないネクの拳に頭蓋を叩き壊されていくという悲惨なもので。
四匹のハーピィを倒すのに、ネクは五分とかからなかった。




