三章『頂を目指す日々』
1
翌日。またも朝早くネクに起きてもらったオレはレベリングのため、村から南西の所にある森の奥へと来ていた。
「ふっ!」
「ギャアッ!」
もう慣れた相手で、同レベルになったバトルモンキーに余裕を持って剣を振り下ろしてとどめを刺す。
オレは倒れて黒いモヤを出すモンスターから視線を外し、周囲に向ける。
今のところ次の敵が現れる気配はない。
「今日は、昨日に比べて静かだなあ」
「あれだけ倒した翌日なら当然なのでは?」
「それもそうか」
妙な静けさが少し気にかかったが、ネクの言葉にオレも心配しすぎと思うことにして頭の隅に置いておく。
その後も小休憩を繰り返しながら、バトルモンキーとの戦闘を続け……
今日初めてのレベルアップを果たしたのは正午前のことだった。
「レベルアップ! これでレベル4だ!」
モンスターから出る黒いモヤを吸引した球体が満たされ、明滅を繰り返す右手の甲の勇者魂を確認して、オレはまた一つ強くなった実感を噛み締める。
「レベルアップおめでとうございます!」
「うん。まだまだ足りないけど、とりあえずまた一歩前進だ」
「レオくんが強くなれて、わたしも嬉しいですよ!」
「あれ?」
オレの右手を両手で握ってくるネクの喜ぶ顔から目をそらしつつ、その態度に少し驚く。
たしか、ネクはオレの魔王討伐の旅に反対なんじゃなかったか?
それなのに目の前の女の子は、オレのレベルアップを自分のことのように喜んでいるように見える。
この子は本当になにを考えてるんだろう。
「どうしたんです? そんな意外そうな顔して」
「ネクは俺が強くなったのを喜んでくれるんだなと思って。強くなったら魔王と戦うことになるのに」
「わたしが喜んでいるのはレオくんが嬉しいそうだからですよ? それ以上に嬉しいことなんてないですから」
「それが本当ならもっと他の楽しみも見つけてくれっ!」
「それは無理ですね」
「無理なんだ……」
無慈悲に言い切るネクはなぜか誇らしげに胸を張る。
目の前でその姿勢を取られ、オレは視線の定位置を見失い仕方なく逃げるように横に目を逸らした。
「今日はもう帰りますか、まだ頑張りますか?」
「続けたいのは、山々なんだけど……」
ネクの問いに、オレはすっかり敵の気配が遠くなった周囲の樹上を見上げた。
「今日はもう次の相手が降りてくる気配がないですね」
「ああ、まるでなにかに怯えているようにこの場所を避けているみたいだ」
「あ、もしかして早くも低級モンスターはレオくんの風格に恐れをなしてしまったんじゃないですか」
「風格?」
そうに違いないみたいな顔をするネクにオレは半眼になって聞き返す。
「まさか。力の差はほとんど無いし、モンスターに剣術での実力の差なんて分かるわけないよ」
「ふふっ、ほとんど無いというのはさすがに他の冒険者が聞いても謙遜がすぎると思いますよ?」
「いやいや。今のオレはどっからどう見ても剣くらいしか取り柄のない下級冒険者だよ」
「う〜ん……じゃあそういうことにしておきましょうか」
ネクはなにか言おうとして、結局オレの意見に納得していた。
──パキッ。
直後。
前方の木々に覆われ遠くまで見渡すことのできない暗がりから踏みしめた枝の折れる音が鳴った。
「っ!?」
「どうやらレオくんの特技を存分に発揮できるお相手の登場ですよ」
暗闇から姿を現したのは、体長約1.8メートル。四足歩行の大型猿系モンスター。
「ファイティングゴリラ……!?」
しかもシルバーハンド!?
通常の黒い体毛に同族同士の争いで他個体を十体以上負かした上位個体にのみ現れる前腕の銀色の体毛。
通常のファイティングゴリラの討伐推薦レベルは6。
対して、シルバーハンドの討伐推薦レベルは……レベル8。
他の魔物が寄って来なくなったのは、コイツを恐れたせいか。
こちらを睨むファイティングゴリラが戦闘態勢に入り、後ろ足のみで体を支え、太い前足を顔の前に持ち上げてファイティングポーズを取る。
果たして、今のオレに唯一残された“経験”だけでこの敵に勝てるだろうか?
死霊術でリンクできる範囲内でネクがオレとモンスターから出来るかぎり離れた。
「わたしは後ろで見ています。ギブアップの時は言ってくださいね!」
「ああ、やってやるさ! 回収が無理そうなら一人でも逃げてくれ!」
生き返ってから初めての中型モンスターとの戦闘。
低級モンスターと違い、力も戦略も厄介さを増していく中型相手の戦いに慣れるには絶好の機会だった。
是が非でも経験値にして、オレはさらに上に行く!
「ウホッウホッウホッ!」
縄張りで好き勝手しているオレとネクに、ファイティングゴリラが胸を叩いて威嚇する。
「今のオレがどこまでできるのかっ」
祈りを始めたネクを背に、オレは敵に向かう。
「試してやる!」
「ウホッウホッ!」
オレの接近に身構えたファイティングゴリラが戦闘態勢に入って、上半身を丸めて左右に揺らす。
こちらの出方を観察するように腕の間から覗く敵へ、オレは速度を落とさず真っ直ぐに突き進む!
「来ないなら、こっちからいくぞ!」
水平に構えた剣身を突き出し、速度を乗せた突きを敵の額へ繰り出す。
「ハァ!」
瞬間。揺れていた敵の動きがピタッと止まる。
敵は、オレが繰り出した剣先を片腕を盾にして防ぐ。
「剣が顔まで到達できなかったのは仕方ないとして、腕を一本潰せたのは幸運だっだよ」
「ウヒー?」
「?」
ファイティングゴリラは剣の突き刺さった左腕を軽く振ると、ニターと不気味な笑いを浮かべた。
その笑顔に嫌な予感が加速する。
「なんだ?」
オレの訝しむ視線の先。ファイティングゴリラが腕に力を込め、筋肉をガチガチに硬直させた。
「その為に、腕の筋肉で受け止めたのか!」
「イヒー!」
してやったりな鳴き声をあげる敵を前にオレはやっと焦りを覚える。
まずい、コイツの目の前で足を止めるのは確実にまずい!
一度距離を取るため、オレは敵の腕から剣を引き抜こうと手を伸ばす。
抜けない!?
しかし、硬直した筋肉に挟まれた刃はビクともしない。
今のオレの筋力ではレベルボーナスを加味しても、引き抜くのに数秒はかかりだった。
額に一筋の汗が伝った。
相手とのレベル差を考えると体術で致命傷を与えるのは無謀だろう。
けど剣を引き抜くには力が、せめて大きな隙でもないと……
剣の柄に掴み、考えを巡らせるオレの耳朶を目の前の敵から追い討ちをかける鳴き声が叩く。
「ウー!」
ファイティングゴリラが無傷の右腕を引き、握り締めた渾身の拳を叩き込むための構えを取る。
「──っ!」
これは、まずい!!
考えずとも直感でわかる。
この一撃を今の体でモロに受ければ、全身の骨が砕けてしまうと。
「ホォォォォ!!」
硬い銀の体毛が覆う右腕が、さっきのお返しとばかりにオレの顔面に飛び込む。
「っクソ!」
剣を放し、自分の頭ほどある大きさの拳を横に飛び退いてかわす。
勢い余った拳は避けたオレの後ろの木に直撃し、衝撃で窪んだ分厚い幹がへし折れる。
一瞬にして粗い木材へと変わった物がゆっくりと傾き、爆音と共に地を揺らした。
デカい図体と木を殴り倒すパワー。
やっぱり今のオレが真正面から挑むのはかなり危ない敵だ。
加えて、剣まで取られちゃったんだよなぁ……
この状況。もう勝機は無いと判断されてもおかしくない。
オレは一応まだやれることを伝えるため、後方に待機するネクへ振り向く。
「ネク、まだ大丈夫だ! 援護はしなくていい!」
「はい、手助けなんてしないですよ。このくらいで」
「あ、そう」
「こんなのレオくんにとってピンチでもなんでもありませんからね!」
「ええ……」
ネクが期待に満ちた熱視線をオレの背に注いでいる。これでもう助けなどは頼めそうもないことが今確定してしまった。
うぅ、ファンの信頼が重い……
本当はもう少し頑張って無理だったら助けを求めようかと考えていたんだけど、まあこうなったら仕方ない。
できる限り足掻いて、その後のことはまたその時だ。
心を決め、深呼吸をして敵に向き直る。
「まず、その剣は返してもらうぜ?」
「ウッホ?」
「それは故郷で託された大切な物なんだ!」
「ウホッウホッ」
取ってみろとおちょくるように左腕を高く挙げて振るモンスターへ。
オレは剣の刺さった腕側に回り込んで接近する。
武器を奪えたのは計画通りなんだろうけど……!
「ウッホー!」
当然、敵の間合いに入れば銀色の体毛をまとった剛腕が飛んでくる。
上体を動かさず、腕を回転させて素早く打つ左の拳をオレはスレスレの所でかわした。
「ヴッ!?」
「ジャブを避けられて驚いているのか?」
自慢のパンチを避けたオレを見て、腹を立てたファイティングゴリラが怒りに任せて闇雲にジャブを繰り返す。
「ウホッウホッ!」
そんな敵に対し、オレは常に敵の右側に移動して左拳の最短距離で攻撃を避けながら、目の前で動き続ける剣の柄を引き抜くチャンスを伺う。
少しの間止まってくれれば、両手で強引に引き抜くのも無理じゃない。
けど、もちろん敵には右腕もある。
露骨に剣を取りに行けば、オレもさっきの木と同じように一発でダウンしてしまうだろう。
相手もいい加減うっとうしく思ったのか、右腕も使って強引に数発の連打を打ってくる。
「ウホホー!」
「見え見えだ!」
その連打もオレは難なくかわす。
敵は驚愕の表情をしているが、こんなの当然だ。
自分の左側にいる敵を殴るには大きく腰を捻って打つ必要がある。攻撃の予備動作が見えていれば、避けるのは難しくはない。
ならば予備動作のほとんど無い素早いジャブはどうしてかわせるのか、というと。
それは敵自身が剣という重りを加えたことによって速度が落ちて、なんとか避けられる速度に自ら調整してくれていたからだ。
「ほらほら、もっと打ってこい!」
「ウホウホッウホウホッウホウホッウホウホッ」
軽やかに足を動かしてかわし続けるオレに、ファイティングゴリラはガムシャラに腕を振り続けている。
モンスターの動きに疲労が、表情に自慢の拳が一発も当たらず困惑の色が見え始める。
それもそうだろう。
この森でのし上がってきた自慢の拳が、弱そうな冒険者に全く当たらず、倒せるイメージが遠のくほど自身も溺れ落ちていく。
剣しか無いオレにはたった一つの特技が通用しない、その無力感が痛いほどわかる。
けど、オレはその壁を仲間たちと乗り越えた!
「ウホー!」
またもファイティングゴリラの右腕が虚しく空を切る。
その際、右に向かって短く跳ぶオレと同時。ファイティングゴリラが鏡写しのようにオレと同じ方向へと跳んだ。
「っ!?」
「ウホッ」
しかし、オレが木と木の間の空間に着地した時。
真似したファイティングゴリラはおもいっきり横に生えていた木にぶつかっていた。
普通ならここはモンスターの間抜けな行動に笑うところだ。
けど、オレは反対に敵の行動に関心してしまっていた。
「……なるほどな」
今、ファイティングゴリラの左手側には大きな木の根が張っており、オレはこれ以上ヤツの右に回り込むことはできない。
次の一撃。オレは強制的に敵の左側に避けるしかなくなる。
真正面から右拳が飛んでくる。
「ウホッ!」
「くっ!」
それを左に跳んでかわす。
が、それこそがファイティングゴリラの仕掛けた罠だった。
「ウー!」
「なっ!?」
飛び退いたオレに、ファイティングゴリラがすでに溜めていた左拳が猛々しい鳴き声と共に火を吹く。
「ホォォォォ!」
周到におびき寄せられ、必殺の一撃がこの身を砕かんと迫る。
脳裏に浮かぶのは直撃し、糸の切れた人形のように地に転がる自分の姿。
ボロボロになり、動けなくなったオレに顔が蒼白になったネクが駆け寄る光景は容易に想像できた。
ネクはオレが死体に戻った後。冷静な頭で一人で逃げてくれるだろうか。
彼女は馬鹿ではないと思う。しかしなぜだろう、ネクは逃げずにオレの死体を回収せんと必死になってしまう気がした。
ネクまでこの拳の餌食になってしまったら、オレは死んでも死に切れないというのに……
「──なんてな」
「ホッ!?」
オレは視界に飛び込んでくる砲弾のような一撃に向かい。
前進した。
「届けてくれてありがとな!」
真横を通り過ぎようとする左腕から飛び出す剣の柄を両手で握り。
打ち抜く拳の勢いを借りて、ファイティングゴリラの筋肉を自慢の体毛ごと肩まで一気に切り裂く。
「ウキャァァァァァァァァ!?」
「今のオレの力じゃ切れなかった……だから力を分けてもらったよ」
パックリと裂けた左腕をだらんと垂らしたファイティングゴリラにオレの声は届いておらず、壮絶な鳴き声をあげて痛みに苦しみ悶えている。
一頻り叫喚を上げたモンスターは、こちらを血走った眼で見た。
「フッフッ……ウホォォォォォォォォ!!」
片腕を失い、追い詰められたファイティングゴリラ。しかしそれゆえに最も恐ろしく獰猛な本能が目を覚ます。
構えを捨て、血走った眼で掴みかかろうとするモンスター。
「これで」
迫る巨大な影に、オレは体毛の無い頭部に刃を突き刺し、
「終わりだ!!」
下方に円弧を描いて剣を切り下ろした。
「ヴ、ヴボォ……」
巨体が膝をつき、崩れ落ちたモンスターから大量の黒いモヤが溢れ出す。そのモヤで右手の勇者魂が一気に満たされ、光が明滅する。
「……よし!」
今日二度目のレベルアップ!
格上に勝利し掴んだ確かな手応えに、気づけばオレは胸の前でガッツポーズをしていた。
と、そこでネクの拍手が聞こえて、ハッとして我に返る。
「今のレオくんにとって相当に格上を倒してのレベルアップ。お見事です!」
「あ、ああ。戦闘経験だけは覚えててよかったよ」
素直に褒めてくるネクの方を見れず、目をそらしながら答える。
オレは全くの凡才だけど、今のは積み上げてきたものがあったからなんとか勝てた、という戦いだった。
逆に言えば、何も覚えていなければシルバーハンドじゃなくても一瞬でペシャンコにされていただろう。
「レオくんのはただの経験ではなく、死地で約一年間も戦い続けた経験ですからね」
「死なないように必死だっただけだよ」
オレには他の三人のような目標も使命もなかったし、勇者に誘われたから同行しただけだ。
実際、最初は邪魔にならないように戦うので精一杯だった。
自慢できるような物なんて何一つない。
「……大変な一年だったのですね」
「まあね」
「今日は、もう帰りますか?」
「そうだね。コイツの死骸のせいで、他のモンスターはしばらく寄ってきそうにないし、帰ろうか」
オレはファイティングゴリラの死骸を〈冒険者の種火〉で燃やし、歩き出そうと踏み出して、
「おっ、と」
見事に一歩目でよろけて転びそうになった。
「えっ大丈夫ですか?」
「ごめんごめん。久しぶりに追い詰められて疲れただけ」
「あ、じゃあわたしが抱えて行きますよ」
「いや断るよ! なんでなんの疑問もなさそうに言ってんの!」
「え、大丈夫ですよ? わたしこれでもわりと力持ちですし、レオくんの身長だったら持ちやすそうですから」
「ゔっ……」
自分が小柄であることは自覚しているし、言われても事実としか思わないけれど。
そこまでさらっと女の子に言われると心にクルものがある!!
「さあさあ、遠慮しないでください!」
「いやだ! ネクに抱えられるくらいなら足が傷だらけでも歩くね!」
「え……どうしたんですか。もしかしてわたし、なにか失礼なこと言いましたか?」
「いいや! なんでもないから行こう!」
「待ってください! 怒らせたのなら謝りますから〜」
本当はずかずかと前に進んで行きたい。
だけどオレとネクは離れすぎることができないので、ついてくるネクの歩幅に合わせてゆっくりとずかずか歩いた。




