ささやかな余白
僕の人生が終わる。
十六年という年月が、長いか短いかはわからない。
ただ、僕の人生というノートは、最後のページだ。
屋上から地面までの数秒、ささやかな余白を残すのみだ。
これは事故だ。
学校の屋上で、風に飛ばされた答案用紙を必死に取り戻そうとしただけだ。
もう少し点数が良ければ、ここまで無理をしなかっただろう。
そもそも点数の確認を、人がいない屋上まで来てする必要もなかった。
この恥ずかしい紙きれが遺書代わりとなるのは、死んでも死にきれない。
だが、僕の人生は終わる。
四階の窓から校舎の中が見える。
教室と反対の通路側なので、観客が少ないのは不幸中の幸いだ。
一人の女子と目が合う。
ギョッとした彼女の名は、蓮見かおりさん。
彼女は僕に告白をしてくれたことがある。
「冬也君のこと、前からいいなって思ってて……」
モテキが異常に短かった僕にとって、甘い記憶はそれだけだ。
それも、あの謎の少女に邪魔された。
「消えて! かみつくわよ!」
僕の後ろから急に現れた、ギザギザ歯の少女が口汚く罵る。
蓮見さんは悲鳴を上げながら走って逃げた。
僕自身も驚いたが、僕の驚きは蓮見さんとは違う。
この少女が、僕以外にも見えたことに驚いていたのだ。
てっきり僕にだけ見える、イマジナリーフレンドだと思っていたから。
ちなみに蓮見さんは、それ以来僕に近寄らなくなった。
いつからこの少女は存在していたのだろう?
目の前を三階の窓が通り過ぎていく。
ひどくゆっくりと時間が過ぎる。
これが走馬灯というやつか。
中学生の頃には、その存在が僕には自然なものになっていた。
時折姿を見せる少女は、僕と同じスピードで成長しているように見える。
ギザギザの歯をむき出して笑う少女は、とてもかわいい。
しかし、まわりの誰からも気付かれない少女のことは、自分自身のためにも秘密にしていた。
二階の窓が僕を映す。
僕の人生が終わろうとしている。
ささやかな余白は黒く塗りつぶされる。
いや、そこには少女の笑顔が書き込まれるのか?
それならば、それで良いと思う。
満面の笑顔で、ギザギザの歯を見せる少女は、誰だったのだろうか。
「ニカちゃんは、幽霊じゃないぞ!」
僕の叫ぶ声が聞こえて、思い出した。
病室だ。
小学生の僕が入院している。
六人部屋のベッドは、同年代の子供ばかりだった。
やせ細り、歯がボロボロで目のギョロっとした少女は、幽霊と呼ばれていた。
おなかに力を入れて叫んだせいか、そのまま僕は熱を出して寝込んでしまった。
それが理由かわからないが、少女はもう幽霊と言われることは無くなった。
それ以前に、少女が僕以外と話すのを見たことは無かったけれど。
彼女の病気が何であったのかを僕は知らない。
彼女は消えてしまったから。
だが、彼女が消える瞬間を僕は見ている。
誰もが寝静まった深夜。
少女のベッドの上にその人はいた。
暗闇に浮かぶ青白い顔は、子供の僕ですらハッとするほど美しかった。
性別すら超越した美は、全ての思考を停止させるようで、僕はボーっと見ほれていた。
「この子の病は、人間に癒せるものではないのでね」
その人は少女を抱きかかえながら、独り言のようにつぶやく。
やさしく包み込むように抱かれた少女は、安心したように微笑んでいる。
だから、それで良いと思った。
少女が、僕の方に手を伸ばす。
「いつかきっと、私があなたを見つけるから、待っていてね」
そして少女は消えた。
翌日病院中が大騒ぎになったが、僕は結末を知らない。
その日は僕の退院する日だったので、その後の情報は入ってこなかったのだ。
一階の窓から見える保健室を見て、病院のことを思い出したのだろうか。
最後に少女のことを思い出せて、僕の心はスッキリした。
地面に迫るスピードはあいかわらずゆっくりで、地面に広がっていく僕の影すらじっくり観察できる。
このまま地面にキスして終わりか。
少し残念な気もするが、あまり実感もわかないまま両親や友人たちに心の中でお別れをする。
その時、自分の影から二本の腕が伸びてきた。
その細い腕は、僕の頭を抱きしめるように包み込むと、ボクと一緒に影より深くに沈み込んでいく。
「あれ?」
学校の屋上で、仰向けに寝転んでいた。
「やっと君も、わたしを見つけたね」
いつの間にか真っ暗になった周りを見渡すと、薄暗い星明りの下で一人の少女がたっていた。
それが、あの少女だとすぐにわかる。
ニヤリと笑う唇からのぞくのはギザギザした歯で、とくに犬歯は鋭くとがっていた。