正真正銘の終焉
「世界の滅亡」を定義するとしたら、それはどの時点にそうなった、といえるのだろう。
定義したところで、その言葉を使う者ももう、ほとんどいないわけだが。
半機械のわたしと、わたしが育てた正真正銘最後の人類のイマ、この世界にはもう、たった二人だけだ。
わたしたちがひたすら旅する世界の人工物たちは、年々、崩壊が進んでいる。
十歳になったイマに、この子が少し大きくなったら言わなければ、と決めていた話をした。
「イマ、あなたは二十歳になったら、わたしと同じようになるために、半機械化処置を受けるのよ」
「どうして?」
「二十歳のまま、寿命を保つためよ。わたしとあなたで交代ごうたいに整備しあったら、二人で半永久的に生きられるわ」
「じゃあ、先生とずっと一緒ってこと?」
「そうよ」
いいねえ! と無邪気に喜んだイマに、安堵の感情が発生した。嫌がられたらどうしようかと思った、わたしが半機械化処置を受けたのは、このためなのだから。
イマは十五歳になった。ずいぶん成長して、考えることも複雑になった。
「ねえ、どうして先生は半機械になったの?」
「最後の人類である、あなたを半機械にするためよ」
そう答えると、イマは少しのあいだ黙りこくった。
「それは、なんのため?」
「世界の記憶を、誰かが持ち続けないといけないからよ。記憶の中で生き続ける、っていうでしょう。たとえかつてあった世界が変わってしまって、わたしたち以外の全てが死んでしまっても、誰かが覚えている限り、それはほんとうの終わりじゃない」
「だから、わたしたちが世界を覚えているために、半機械になるのね?」
「そう。いつまでも世界を続けましょうね。わたしたち二人で」
その日の講義をそうしめくくると、イマは、うん、とうなずいた。
半機械になりたくない、と言い出したのは、イマが十九になった年のことだ。初めてわたしが、なぜ、と問いかける側に回った。
「どうしてなの?」
「悪くとらないでね。先生が半機械であることを否定したいわけじゃないの。ただ、わたしは最期まで、人類でいたいの」
「それは……なんのため?」
「世界はもう、とっくに終わっていると思うからよ。たとえ先生とわたしが覚えていたとしても。だったらわたしは、正真正銘人のまま天寿を全うしたい。先に逝ったみんながそうであるように、終わりのある存在でありたい」
「……わたしと、ずっと一緒にいられなくなったとしても?」
思わずそんな言葉が口をついて出た。イマは微笑みを返してきた。
「わたしがいなくなったら、先生を整備する人がいなくなるんだから。いずれ、わたしのところに来てくれるでしょう」
「それでもいいの?」
「だって、生まれてこのかた、ここは何もない世界なんだもの。先生とわたしが歩き続けても、新しいものは現れない。何かを生み出せるわけじゃない。目に見えるものは全部、崩壊と喪失に向かってゆくだけ。だったら、ただ維持するばかりの生を半永久的に続けるよりも、最後は安らかに眠りたいわ……」
わたしにとってはそうじゃなかったよ、と言おうとして、やめた。
イマの言いたいことは、よく理解できた。
わたしは、最後に残ったただ一人の赤子であるイマを、ずっと育ててきた。愛用していた持ち物が故障しても、近くの建物が崩壊しても、大地の一部が海に消えても、わたしには、イマの成長という、前進する存在が目の前にあり続けた。
イマが半機械化するのも、天寿を全うするのも、イマの生が前進するものでなくなるという意味では、同じなのかもしれない。
維持するばかりの生、という言葉は、半機械であるわたしの思考の、わずかに残された生身の部分に、鋭く響いたような気がした。
わたしにとって滅びとは、わたしとイマの二人ともが息絶えたそのときに訪れるものだった。
でも、イマにとってはもう、滅びはすでに訪れ、自分を取り巻くすべてを飲みこんでいるものだったのだ。
わたしは、イマの希望を受け入れた。
イマはそれから数十年を生き、年老いて、大往生をとげた。安らかで穏やかな眠りを提供することができて、よかった。
わたしは、長い旅の中でイマが一番好きだった場所に彼女を埋葬して、再び歩きだした。
イマの体が満足に動いていた最後のころに、まともな整備をしてもらってから、もう数年以上が経とうとしていた。自分で自分を整備するのにも限界はあって、そもそもこの世界に、半機械の身体に異変が起きたときに必要なパーツの類は、もう枯渇しつつある。
イマの選択は誤りじゃなかったのだろう、と近ごろは考えている。彼女を半機械化しても、もしかしたら、充分な整備を継続できる環境は、数十年もせず終わっていたのかもしれない。
身体のあちこちで、関節部がきしみはじめている。視界にも微細な欠落が見られるようになってきた。遠い昔、手放したはずの老化という言葉が思考をよぎる。
イマのことをできるだけ長く、わたしの記憶の中でだけでも生かしてやりたかったけれど、いよいよ、本当の世界の終わりは近いようだ。