彼についての少女の回顧 / 無双天剣③ 誘惑
【灰の英雄ウル】
黒炎砂漠の攻略者にして知らぬ者はいない大英雄。彼の存在をユーリが認識したのは、実の所かなり最初期からだった。彼が全くの無名であり、どこにでもいる木っ端の名無しであった頃からユーリは彼のことを認識していた。
「契約……?」
《うんちょっと…………いや、かなりいろいろあって》
誰であろう友人から、通信越しに彼のことは聞かされていた。
しかし事情を聞かされると、ユーリは顔をしかめた。普通に愉快な話では無かったし、友人らしからぬ所業だったからだ。
「何故そう極端なのです」
《もう少し遊んだ方が良いと言われたから》
「根を詰めすぎてるから息抜きしろという話です」
【七天】でありながら異端、加護を持たぬ彼女の業務はイスラリア中の治安維持だった。大罪の竜と直接的にやり合う事は難しいからそうした仕事を請け負っている訳なのだが、最近、根を詰めすぎていたので、確かに似たようなことをユーリも言った。
その結果、何故に悪徳商人まがいの所業に手を染めるのか。
「気の迷いで王に迷惑をかけたら許しませんよ」
《気の迷いなのは否定しないけど、うん。気をつけるよ》
「……妙に上機嫌ですね」
《そうかな?……そうかも?》
通信越しの声、もう何年も一緒にいるから彼女の感情の機微はユーリにもある程度分かる。確かに彼女はやや上機嫌であった。悪徳を犯して悦に浸るような歪んだ性格では無かったはずだが、何故に上機嫌なのか分からない。
《なんというか、想像以上に面白い出会いだったかも知れないからさ》
「……調子に乗って、バカなことしないようにして下さい」
念のため釘を刺して、ユーリは通信を遮断した。
ユーリがウルという存在を認識したのはこのタイミングだった。
しかし当然ながら、ウルの存在をユーリは歯牙にもかけてはいなかった。
友人であるディズが仕事に疲れすぎた結果、血迷って巻き込まれた被害者程度の認識だったが、止める気も無かった。ディズも意図せぬ形でやや悪辣な手法になってしまったとはいえ、【黄金不死鳥】としての契約は正しく成立している。それ以上口を挟むのは違う。
精々、彼女が暴走したら止めてやろうくらいに思っていた
その出会いとやらが、友人はおろか自分まで巻き込む嵐となるなどと想像もしなかった。
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それからしばし時間が流れた。
正直なことを言えば、それからユーリはいろいろと忙しかったため、ディズに巻き込まれた少年の話など記憶からすっ飛んでいた。再認識したのは例のウーガ騒動であり、その支配者として何故か件の少年が存在していたことだ。
挙げ句、その許可のために王に謁見するなどと言われたときは、天陽騎士達の護衛のスケジュールを大幅に見直さねばならなくなったので普通にぶち切れた。
ともあれ、ユーリはこのタイミングでようやく明確に、ウルという男を認識した。
が、しかしこの時点でもユーリは別段、彼に対して強く意識はしていなかった。相対して分かったが、特別際だった才覚があるようには思えなかったからだ。彼の隣にいたシズクの方がよっぽどに厄介に思えた(実際、謁見の場でも勝手にかましてきた)。
比べて彼は特に問題は起こさなかったし、王の前でも冒険者らしい粗野な態度も出さなかった。
コレと言って特徴は見られない男だ。ディズが「面白い出会い」といっていたが、凡骨の意地に物珍しさでも覚えただけだったのだろう。そう思った。
さて、この認識が致命的に間違いだったと、ユーリはすぐに理解させられた。
ウルが【陽喰らいの儀】で大暴れした直後、黒炎砂漠に送られ、そこで何故か黒炎砂漠を攻略したというあまりにも馬鹿げた結果を残したことによって。
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そして現在
「【黒焔瞋・比翼】」
「――――」
たたき込まれた黒と白の咆吼を、ユーリは視界に入れぬまま気配で認識した。
黒炎の呪いをユーリは理解している。ウルが操る黒炎が憤怒の竜のそれと同質のものであるかは分からなかったが、警戒するに越したことはなかった。
『ッカ!?」
近くにいた死霊騎士に蹴りをたたき込み、その反動で跳躍し、咆吼を回避する。十二分に距離をとって回避したにも拘わらず、その余波のみでユーリは身体が焼かれるのを感じた。遅れて放たれた衝撃で身体が吹き飛ばされる。
「温い」
故に、"衝撃を斬る”。
そのまま宙を蹴りつけ、砲撃を放った主、ウルへと迫った。
「早っ」
「遅い」
脳天と首を同時に切り裂く。
ユーリは躊躇しなかった。ためらわず確実に、人体の急所とも言える部分を狙い穿つ。血が飛び散る。それが先の戦いで背中を、命を、魂の全てを預けるような信頼の上で共に戦った相手であっても、剣筋に一切の乱れは存在しなかった。
ユーリはその手応えに確信を持って振り返り――
「――――っあ゛ー………これ、慣れねえ……うーきもちわる」
振り返った先でウルは、体中から“闇”を吐き出しながらうなり声を上げていた。
『うお、ウル凄いの、気持ち悪』
「うるせえ黙れ骨爺」
異様なまでの不死性、吹き出す全てを冒涜するかのような闇、その現象にユーリは見覚えがある。度々イスラリアの大地を騒がせていた男の力、何もかもを台無しにしてしまう御業、実際は太陽神の一端であった権能。
「よくまあ、こんな力、前提で戦術組めたなブラック……傷口かき回されてるみてえ」
「……魔王から、力を預かったのですか?」
魔王の【天愚】をウルが有している。
魔王が力の一部を持ち逃げしたという話をディズから聞いている。それ自体は驚かなかった。あの男ならそれくらいはしかねない。そういう事をしでかす男だ。だが、何故にその力をウルが持っている。魔王が気まぐれに授けたのか?とそう思いもしたが――――
「いや?殺して奪った」
しかし、そんなユーリの推測を、ウルはアッサリと否定した。
見る間にウルの傷口は完治する。ユーリが抉った傷の跡は既に無い。間違いなくそれは【天愚】のものだ。そしてそれをウルは奪ったという。イスラリアの暗黒のただ中でずっと生き続けてきた怪物。王とも交流のある、奈落の魔王を殺し、奪った。
「……バケモノみる目で見てくるなよぉ」
「この短期間で無名から魔王を殺すに至る存在がバケモノ以外のなんだと?」
ユーリに向かってウルがばつの悪そうにそう言った。だが、ユーリは警戒を解かない。
大罪竜グリードの攻略のただ中で、ユーリはウルと深いレベルで通じ合った。
そうせざるを得なかった。
言葉を濁さず、一切の誤魔化しなく言うならば、不愉快では無かった。そう思う自分に対して腹立たしいと思うことはあっても、それでもどうしても認めざるを得なかった。
だから分かる。この男相手に、わずかでも油断すべきではない。
「【翼剣】」
「っどあああ!?」
その確信と共に、再び彼女は剣を放った。
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大罪竜グリードの攻略のただ中で、ウルはユーリと深いレベルで通じ合った。
というよりも、通じ合わざるを得なかった。
あの死闘の中で、ほんの僅かな時間で、深く、強く、結びつかねば戦えなかったからだ。
言葉を交わした回数は少なく。その過去も今も分からないことばかりだ。だがしかし、その上で彼女がどういう存在かという根幹部分だけは把握しているという奇妙な状況だった。
だが一点、確信していることがある。
「話し合う余地とかないっすかねえ……!」
馬鹿正直に、真っ当にやり合ったらどう足掻こうとも勝てない。
全身に輝く刃を突き立てられ、物陰に潜みながらウルは叫んだ。
「それはこっちの台詞なのですが」
すると向こうから冷静な声が返ってきた。
その事に期待しなかった訳じゃない。彼女は問答無用な所もあるが、一方で冷静であれば状況を正しく見極められる判断能力を有している。言葉は容赦ないが、道理があれば話も通じる。現状、ロックに誘導されてきたウルとただ敵対することに利がないと判別出来るだけの能力は有している。
「名無しである貴方がこの世界の境遇に怒りを覚えたというのなら分かります」
だが、会話の間も飛翔する刃は情け容赦なく飛び交い、ウルを襲った。会話には応じるが、それでこちらを休ませるほどの慈悲までは持ち合わせていないらしい。ウルは顔を苦々しく歪めながら駆けだした。
「不遇に憤り、この世界の構造を嫌悪し、敵対するというのなら理解もします。ですが貴方はそういうわけでもない」
「……ッ!!」
腕に更に刃が突き立つ。本棚がかち割れ、中に収まっていた紙片が舞う。知識の宝物が無残に飛散する光景に冒涜的な美を覚える暇もなく、ウルは紙片の影に隠れながら更に走る。
「ならば、私たちとも協力出来るのでは?」
「じゃあ、シズクも、助けてくれるの、か!?」
「殺しますが?」
「即答!」
まあそうだろうなとウルは納得を覚えた。覚えたがじゃあしょうがないと納得している場合ではない。ウルは必死に舌を回した。
「この世界が歪だとは、思わねえのか、よ!シズクとディズに全部押しつけるなんてさ!」
「思いますよ。こうなる以前から、王一人に全てを背負わせるのは不快でしかなかった」
「だったら、ちょっとはなんとかした方が良いと思わないか!?」
「イスラリアの非戦闘員を大量に巻き込んで殺傷しようとするシズクを殺した後、じっくり検討します」
すがすがしい程問答無用だった。
『おう、ウル聞いたか?――――正論じゃ!』
「返す言葉もねえなあ……」
実際、彼女の立場ならばそれはそうだろうな、としか言い様がない。シズクがやっている行いは何をどう見てもイスラリアという世界に対する破壊行為だ。イスラリアの構造を正す前に排除しなければならない敵でしかない。
もう本当に、交渉の余地はないように思える……が、
「その為に魔界の住民が死に絶えても良いと?」
ウルはまだ口を動かした。
ユーリは会話に応じた。彼女ならば、もし本当に敵対した相手には問答すら応じない筈だ。なのに会話して、こちらに呼びかけてきたと言うことは、彼女もまた、迷っていると言うことだ。
「魔界とイスラリア、私の立場でどちらを優先するかなんてわかりきっているのでは?」
空が閃く。雨のように降り注ぐ刃を死に物狂いで駆けながら、更にウルは応じた。
「アルノルド王がそれを――――「そこから先の言葉」
転がり込んで逃げた先に、ユーリが立っていた。
先ほどまでの会話とは比べものにならないほどの鋭利な声と共に、喉元に刃が突きつけられた。ウルは冷や汗が吹き出すのを感じた。
「一つでも誤れば、その後は問答無用で首を断ち切り心臓を潰します。分かりますね?」
アルノルド王の名で動揺を誘おうとするならば、内容問わず殺す。
ユーリは言外にそう告げていた。ウルは流れ落ちる汗を拭うこともできなかった。だがそれでも深呼吸を繰り返し、冷静であろうとした。
ここから逃れる手立ては考えない。
彼女との対話に必要なのは誠実さであって、こざかしさではない。
「王が魔界をも救おうとしたのは知っています。が、その王の意向に沿う案が、貴方の手元に存在すると?」
「――――ある」
問いにウルは頷いた。ユーリの握る刃がわずかに揺れる。が、そのまま喉へと剣がたたき込まれることは無かった。ウルは続ける。
「それはシズクもディズも立場上選ぶことは出来ない道だ。アルノルド王すらも選ぶことはできなかった。だが、だからこそ俺たちが選べる選択がある」
「その選択肢で、ディズとシズクを救い、この世界の現状を脱することができると?まるで奇跡のようですね」
目を細め、嘲笑する。その理由も分かる。
もしも本当にそんな都合の良い選択肢があるならば、王が選ばないはずがない。と、彼女は言っている。それは既に去ってしまった王に対する確信と信頼だった。だが、その理由もちゃんと存在する。
「奇跡じゃない。だから当然痛みは伴う。その負債は“全員”に降りかかる」
全員、という言葉に再びユーリは眉をひそめ、ウルの目を見る。ウルに動揺はなかった。言葉に嘘偽りもない事実だ。自分の作戦は何一つとして“奇跡”ではない。その事を誤魔化すつもりは無かった。
沈黙が続いた。完全な敵対者であるロックすらも攻撃はしなかった。この深層の更なる地下で戦う二柱の神が戦う音だけが遠くから反響した。
「――二人がそれを望まずとも、貴方はそれを選ぶと?二人に、世界に強制してでも?」
「ああ」
「エゴイストですね」
「そうだな。我ながら身勝手だと思うよ」
本当にその通りだ。全てはエゴだ。どれほどその過程に悲劇があろうと、使命があろうと、今彼女たちは自分の意思でそうしている。それを一方的に「嫌だから」という理由だけで邪魔しようとしている自分はエゴの塊だ。これこそ返す言葉もない。
「何故、そうまでするのです」
「気に入らないからだ。俺が」
「また、自分ですか。自分のために世界を巻き込むと」
「ああ、そうだよ。気に入らない」
一歩前へ行く。刃が僅かに喉に突き刺さる。流れる血をそのままに、ウルは刃を掴んだ。
「俺達は置いて行かれた。ウーガっていう安全な聖域を用意されて」
絶対両断の刃に触れ、当然指先からも血が流れる。
「言いたいことはすぐに分かったよ。「ここでじっとしていてくれ」だ」
血と共に【天愚】の闇が流れ、ユーリの目映い星天の刃を喰らい、浸食していく。
「――巫山戯るなって、思うだろう。お前も」
ウルはユーリの星天の瞳を見つめる。
「付き合えよ。あいつらぶん殴るぞ、ユーリ」
ウルの言葉に、ユーリは一瞬身体を震えさせた。そして――――小さく微笑んだ。
「……甘ったるい言葉を耳元で囁いてくる」
そして次の瞬間、ウルの腹に衝撃がとんできた。痛みと驚きに吹き飛ばされる。前を見て、ユーリが自分を蹴り飛ばしたのだと理解した。
「証明なさい」
黒ずんだ刃を砕き、新たな剣を精製しながらユーリは歩き出す。無数に積もった本棚をまるで階段のように飛び乗りながら、高みへと移動した。
「証明」
「神となった二人にエゴを押しつける。このどうしようもない世界でそれを成そうというのなら、必要なのは“力”でしょう。それがなければ話にすらならない」
そしてその頂上にて、彼女は自らの右腕の義手を外し、投げ捨てた。目を閉じると先ほどまで自由に飛翔し、こちらを容赦なく追撃してきた【翼剣】が彼女の周囲に展開する。
「【剣化】」
そして次の瞬間、星天の輝きが炸裂した。
彼女の姿は変わる。失われた義手を補うように光が形となって、剣のような腕を――――否、“腕のような剣”を創り出す。全身の鎧を補い形とする。
【太陽神】の力、その断片が完膚なきまでに支配され、彼女自身を剣と成す。
「屈服させてみろ。私如きを超えられぬならここで死ね、ウル」
大罪竜グリードへと向けたものと同質の殺意を、ユーリはウルへと向けた。
『カッカッカ!!やりおった!!たらしおった!!』
そしてその様を見て、それまで神妙に沈黙を貫いていたロックは手を叩いて大声で笑い出した。ウルは顔をしかめてロックを睨んだ。
「人聞きが悪すぎる」
『いやーどーみてもたらしたじゃろ!カッカカ!!流石じゃのうウル!!』
「事態が余計悪化した気しかしねえんだがなあ」
『なあにそりゃいつものことじゃろ!』
「そりゃそう、だ!」
言っている間にも星天の剣が降り注ぐ。ウルとロックは更なる脅威となった最強の人類相手に駆けだした。