愚天跋扈⑤ 一歩
最終戦争開始前【竜吞ウーガ】
「本当に死ななくても大丈夫なのかな?別に僕は構わないけど」
「やかましいから黙ってて」
「はい」
エクスタインの微塵も躊躇の無い自己犠牲精神をバッサリ切り捨ててリーネは引き続き会議を続けた。
「話を続けるわよ。“魂の継承”は人類同士の場合、肉体の破壊は避けられない。だけど神……シズルナリカの断片なら話は違う」
リーネが続けるその表情に痛みを堪えるような苦々しさがあったのは、シズクが受けた仕打ちを耳にしていたからなのは無関係ではないだろう。しかしその痛みに捕らわれること無く彼女は話を進める。
「【神】の本質は道具、分配や受け渡しが容易に出来るよう、機能として備わっている……それでいいのよね?シンタニ?」
そして、彼女は振り返り、尋ねた。
「…………それは、間違いない。何度も確かめた。魂の研究を重ねた」
そこには魔界からやってきた研究者シンタニがいた。よれよれのボロボロにやつれ果てた表情であるが、リーネの質問に対して向けた瞳には、まだ僅かに理性の光が残されていた。ウーガを訪ねる前から(ほぼほぼ誘拐に近かったが)彼の精神状態はあまりよろしくなかったが、酒を断たせて落ち着かせると比較的状態としてはマシになった
「あんな事を見なかったことにするのは、もうゴメンだったから」
「俺たちに協力する。それでいいんだな?」
ウルが尋ねると彼は首を横に振って項垂れる。
「……分からない、正直。どうして君たちに協力してるのか……償いなのか……」
「自分探しもけっこうだけど、今は時間がないから後にして」
リーネは彼の嘆きにもバッサリだった。
情け容赦ないがウルとしては大変頼もしい。実際、今は本当に時間が無い。状況はまったなしだ。シズクがいつ最終戦争をおっぱじめるのかわかったものでは無いのだ。そして経験上、彼女がソレを始めるまで猶予が無いことは分かっていた。
「続けるわよ。エクスタイン、貴方の【嫉妬】をウルに渡す。問題な「ないよ」あっそ」
自分に得体の知れない処置を施すことに対してエクスタインは即答した。度しがたいものを見る目でリーネに睨まれたエクスタインは「ああ、でも」と両手を挙げる。
「必要なことなら構わないさ。ただ、ウルは大丈夫なんだよね?」
その疑問に答えたのはシンタニだ。
「検査の限り、君の内側に残った【嫉妬】の断片はそれほど多くない。そのウル少年の魂に十分収まる。彼の器は竜が弄ったようだしね」
「ウルの容量も問題ないのかな?」
「彼の中には人工知能とそれを維持するだけの【権能】が残っている。残りはシズクが回収したようだ」
人工知能部が君にとどまった理由は不明だが、と、シンタニは悩ましそうに呟いた後、首を横に振った。
「兎も角、彼は大丈夫だ。むしろ心配なのは、雫だ」
「わかっちゃいたが、やっぱ無茶をしているのか」
「無茶、なんてものじゃあない」
シンタニは片手で頭をかきむしり、唸る。
「児島博士が考案した計画は、シズルナリカの器を“大量に”用意するものだった」
「負担を軽減するため?」
その大量の器の用意とやらにどれほどおぞましい数の犠牲を払うものなのか、と言う点は今は考えないようにしながら、ウルは更に確認した。シンタニは頷く。
「そして、誰かが死亡しても、他の誰かが代用できるようにするためだ。たった一人に全てを託すなんて、リスクが高すぎるからね」
頬を引き攣らせて皮肉めいてシンタニは笑う。残酷な事を言っている自覚があるらしい。が、彼を罰したところで何の意味もない。ウルは肩をすくめて続きを促した。
「だけど今、シズルナリカを雫一人で担ってる。ゼウラディアのように、人類が振るうために調整されたものでは無い力をたった一人で」
むしろ、今何故彼女が単身で自由に力を振るえているのかが不思議でならない。と、彼は言い切って、また顔を伏せた。
わかってはいたが、やはりシズクにまつわる計画は、準備不足と事故の結果、かなりの無理と無茶を押し通したものらしい。その無茶苦茶を成立させたのはシズクの恐るべき手腕によるものといえるが――――彼女が、彼女自身の安全を保証するかは怪しい。
「だからこそ動いてるんでしょう。…………ウル」
リーネは空気を切り替えるように手を叩き、ウルに向き直る
「これから行う処置はあくまでも“後の為のもの”。【嫉妬】は貴方が直接倒したわけでもない。克服して取り込んだわけじゃない」
いくら竜の魂を取り込んだとしても、竜の権能を自由に使うことは普通あり得ない。というのはスーアから以前説明された通りだ。星剣の使い手、神として完成された器である【勇者】でもないのなら、確実に無理が出る。
【竜化】が、人の手を介さない竜による【勇者化】現象であるならば、権能を使うだけなら可能性もあるが―――だとすればなおのこと危険だ。特に【嫉妬】は、
「そもそも使えるとは思えないけど、もしも使えたとしてもやめておきなさい。あっという間に魔力が摩耗する。【白王陣】も使えなくなるんだから―――」
「そうするよ」
ウルはリーネの忠告に素直に頷いた。
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【機神スロウス】機関部
「【其は喰らい合い、宙まで翔る白炎】」
ウルはそれを使った。
白い炎がただれた闇を焼き払う。一切の攻撃を上回り、乗り越える苛烈な炎が、浸食する闇を、丸ごと喰らい合う。神を殺す権能【天愚】とぶつかり合い、激しく揺らいだ。
「なるほど?回収済みってか」
「が」
ブラックは手にかけようとしていたエクスタインの腹に拳をたたき込み、放り捨てる。骨の幾つかは砕けただろうが死んではいないだろう。ちゃんと時間稼ぎが出来た事への賞賛込みだ。運が良ければ生き残る。
それよりも今はこっちだ。
「っ………………ぅぅううううがああ……!?」
白炎と天愚、二つの力が自分の身体で渦巻き、ウルは絶叫する。そりゃそうだろう。と、ブラックは興味深そうに観察する。
理屈上では、【天愚】は神を破壊できる。その為の機能なのだからそれはそうだ。
しかし今回喰らおうという対象は【シズルナリカ】の断片のなかでもとびっきりの出力である【嫉妬】だ。最後、ウルの中から魂を回収しようと手加減した【天愚】では、際限なく出力が跳ね上がる嫉妬を殺しきる前に消費つくされてしまう。
だが、そう都合良くは行くまい。
「ぐうううう……!!」
【白炎】を、ウルは支配してはいない。
アレを超克したのはグレーレだとブラックは知っている。
凶悪極まるシズルナリカの断片を、そうあれと調整されたわけでもない者が、“打倒”という過程を経ぬままに自在に操れるわけが無い。
このままだとウルは【天愚】を乗り越えても、自分の【白炎】に灼かれて、死ぬ。竜化しようが人類で在ることにかわりない。自分でもロクに制御できていない力を無理矢理使って悪あがきする根性は嫌いじゃ無いが、やけっぱちで超えられるものではない。
まあ、このまま死ぬならそれはそれで愉快な見物だ。そして下手に近づいて“ワンチャン”をくれてやる道理も無い。ブラックは安全に距離を取ってそれを観察し――――
「…………――――――」
――――していると、ウルはぴたりと動きを止めた。
「お?」
ブラックが興味深そうにそれを見つめる。すると、黒い闇と白い炎に吞まれようとしていたウルの身体がブラックの視界から“揺らいだ”。それがなんなのか、すぐに理解した。
ブラックが使用する歩行術の一種を、ウルが真似たのだ。
「っとお?」
ブラックに槍が迫る。難なくそれを回避しながらも、ブラックは解せなかった。
歩行術は、まあ不細工な猿マネ程度だが、問題はそっちではない。
【天愚】の破壊と【嫉妬】の熱、この二つに挟まれて尚動けるのはおかしい。こればっかりはいかにウルの精神力が図抜けていようとも関係ないはずだ。根性論で克服できるものではない。ならばこれは―――
「―――マジかお前」
魔王は気づく。今、ウル少年の身体で渦巻いている“黒”はブラックの放った【天愚】ではない。既にそれは【白炎】に食い尽くされて燃焼された。だから、ウルの内側から漏れている黒はブラックのものではない。
全てを焼き尽くし砂塵へと還す【黒炎】
自分が放った嫉妬の【白炎】を憤怒の【黒炎】で無理矢理相殺している
「っはははっはは!!!不ッ細工な事するじゃねえかウル坊!!!」
魔王はウルの蛮行にケタケタと笑う。
全てを死滅させる【愚星】を、【白炎】の出力で消耗させて、その【白炎】をコントロール可能な【黒炎】で削り、御する。なるほど、無茶苦茶だが確かにちゃんと段階を踏んでいる。死ぬほど強引で不細工なやり方であるという点は全く否定できなかったが、嫌いでは無かった。
本当に面白い奴だった。部下としても欲しかったし、勧誘できなかったのは惜しかったと思えるくらいには彼は無茶苦茶だ。
「だーがーなーあ?」
しかし、敵として回るには、足りていない。
「俺が言ったのはブラフじゃねえぞ?どうする気だ?ウ・ル・坊・や?」
魔王は自分の背にイスラリアを破壊する爆弾を背負い、試すように問うた。
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ズレている。
その違和感のようなものはあった。
それを感じ始めたのは、なし崩し的に竜呑ウーガの支配者となった時。
明確にズレを確信したのはグレンとの“鍛錬”でハッキリと言語化された時だ。
――もうお前はバケモノなんだよ。
彼の言葉は正しかった。確かに自分は力の使い方を間違えていた。ヒトの延長線上に自分を定義し、力を制御しようと試みていた。巨人が、指先でなんとかヒトの武具を操ろうと試みてるような滑稽な姿だった。
戦い方は修正した。制御ではなく、いかに引き出すかに重点を置いた。そしてその修正は強欲との戦いで命拾いとなった。修羅場の前で、なんとか自分を正すことができた。
戦い方は。
“巨人”と成り果てた自分への実感は、まだ出来てはいなかった。
強固極まる“我”が災いした。自己認識が全く肥大化してはくれなかった。
どうしたって自分が大層なものには思えない。そしてそれは“謙遜”なんて良いものではない。明確な事実と認識の乖離であり、正さねばならないものだった。
しかし時間はない。状況は次々に動く。その渦中を死に物狂いで走り回るしかなかった。その結果が更に彼に力を与え続ける。名無しで、その日の食事を手にするためにゴミ山をあさっていたような小汚い子供でしかなかった認識そのままに。
これは、良くない。
無意識下で警鐘が鳴り響いていた。
これはよくない。このままでは危険だ。正さねばならない。
正す?
間違えているのはハッキリしている。だが、何をどう間違えている?どう正す?
そして何が危険なのか?
あまりにも未知だった。強大な敵を殴る方がよっぽどに話が速い。理解しきれないままに走り続けた。そして――
――ケースが壊れて時限装置起動するから注意しろよ
魔王の警句に、身体が硬直した。
自分の足下が見えた。何かを踏みつけようとしていた。
それは自分だった。
小汚い格好をして、妹を抱きかかえる自分だった。
その自分を自分が踏み殺そうとしていた。何一つ気づかぬままに。
――お前は路傍の石ころを踏み砕く側になるんだよ!!!
路傍の石ころをたった一歩で踏み砕く巨人。ウルは自分の視点をようやく認識した。自分がどういう存在になり果てたのか、事実と認識のズレがようやく埋まった。
そして――
「どうする気だ?ウ・ル・坊・や?」
爆弾を背負い魔王は問う。それは明確な意思表示だ。決断出来ないならば、その背の爆弾を人質のように扱ってこっちをなぶり殺しにするという提示。その上で聞いてきている。
さて、どうする?
今更な問いだ。同時に、それを投げつけるくらいに、ブラックからすればウルは半端な事をしていると言うことなのだろう。それは魔王の、あまりにも無茶苦茶な価値観によるものだった。多くのものが聞けば戯れ言だ、関係ないと一蹴するだろう。
「――――反省した」
しかし、その無茶苦茶な規準に、ウルは確信を得た。
故に答える
「お前の、言うとおりだよブラック、なるほど確かに温かった」
竜殺しで身体を支えながら、竜牙槍を担ぐ。呼吸を整え、前を睨む。
「俺は俺の勝手で世界を変える。名前のある誰かの人生を踏み砕く」
まるでコントロール出来ない白炎をなんとか抑えられているのは、ウルの中の【憤怒】が調整してくれているのと、不死鳥が授けてくれた加護があるからだろう。ウルはその事実に感謝した。
「本当の意味で理解してなかったから、すっころんだ」
ウルはそのままゆっくりと、真っ直ぐに、竜牙槍を構えた。
言うまでも無く、魔王ブラックの背後には巨大な爆弾がある。魔王の云うとおり、下手な刺激が加われば、時限装置とやらが発動するのだろう。その仕掛けが嘘だとは思わなかった。そんな雑な嘘を、この最悪の男は口に出さない。
「やってることは、エイスーラと一緒か。偉そうに言ってなっさけねえ」
エシェルの弟、己のために、身勝手に多くを犠牲にしてウーガを創り出した男がいた。足下に何があるか気にもせずに踏み出して、石に躓いて転んだ男だ。
自分はそれと同じ事をした。だから死にかけた。
今の自分が、前へと進むと言うことは、こういうことなのだ。
歩くだけで、誰かの人生を砕くこともあり得る巨人なのだ。
それを理解もしないまま、前へと進めば転げるのが道理だ。
だから、もしもそれでも前に進むというのならば、その先にある結果を望むならば
目を背けてはならない。
「もう躊躇ったりしない」
ウルは竜牙槍の顎を解放した。魔王は笑みを更に強く、深める。
「お前を殺し、前へと進む」
そしてウルは竜牙槍を撃った。
一歩進み、路傍の石ころ達を、かつての己を踏み砕いた。
放たれた熱光を魔王ブラックは自身を闇に覆うことでその身を守る。だが彼の背後、爆弾を護っていた保護壁はそうではなかった。竜牙槍の熱光の熱量と威力は厳重な守りを容赦なく焼き払い、砕いて、崩壊させた。
それでも“爆弾そのもの”は破壊されない。どのようなことがあろうとも外部刺激で容易に起爆するようでは、その役割を果たせないからだ。
それ故に、
《大陸破壊魔弾時限起動開始、残り5分》
仕込まれた機能は、正常に起動した。
この場は疎か、機神も、外で戦う兵士達も、ウーガの住民も、勇者も、邪神も、プラウディアそのものも、イスラリアで懸命に戦う全ての住民達も、何もかも一切合切を無に帰す狂気の最終兵器のトリガーを、ウルが自らの手で押した。
目の前の敵を殺すための障害として一蹴した。
「ハ――――――ッハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハッハハハ!!!!」
ブラックは、それを見て笑った。心の底から爆笑した。
同時に、異形と化した魔導銃を身がまえ、愚星を全身から吹き上がらせる。闇がまるで彼を包む鎧のように広がり、彼の全てを覆った。
その姿を知る者は殆どいない。今は亡きアルノルド以外知る者はいない。
彼が本気で相手と殺し合うことを決めたときにのみ見せる、短期決戦の戦闘形態だった。
魔王は、ウルを敵として認めた。
「良いねえぇぇええ、ウル!!!!そおこなくっちゃなあああ!!!」
「消えて失せろやブラァアアアック!!!」
イスラリアが滅ぶカウントダウンが鳴り響く中、全てを喰らう闇と昏い炎が激突する。