老い耄れ
迷宮大乱立が発生し、地上が人類のものでは無くなって以降。世界を守護していた七天であり、その頂点に立っていたのが天賢王である。歴々の天賢王の偉大なる力によって各都市の太陽の結界は維持され、人類の安全は守られてきた。
が、戦いとなると、天賢王の力を直接見た者は殆ど居ない。”陽喰らい”の時であっても、彼が直接的に戦いに出ることは希だ。力が振るわれたとしてもそれは断片的なもので、彼は大罪迷宮プラウディアの落下を支え、維持するのみに集中することが殆どだ。
当然のことではある。王の存在そのものがこの世界の要であり、王が前に出て戦うような事があるとすれば、それは彼を守る七天達が軒並み倒れ、彼を守る者が誰も居なくなった証拠だ。
王が矢面に立つことそれ自体、彼に仕える戦士達の失態と言える。
とはいえ、人類を脅かす魔の者達の存在の脅威が人類の防衛力を上回る事は、時々に起こりうる。どれだけ戦士達が賢明に鍛錬を重ね、万全の備えを用意しようとも、想定外の悪意が襲いかかってくることはあり得るのだ。
歴史の中で天賢王がその力を振るったとされるのは2回。
1度は迷宮大乱立が発生した六百年前 2度目は十二の手と二十四の足、五つの魔眼を持った超巨星級の大魔獣ハルトアが大罪都市プラウディアを襲撃したときである。
どちらもあわや都市そのものが崩壊する寸前の混乱のただ中に振るわれた力であり、目撃者達は誰しもが混乱したため、残された記録は殆ど無い。残っているものも錯綜している。
しかし、一点において、王の力を目撃した全てのものは一貫して同じ事を言っていた。
王が力を振るわれたその瞬間、太陽神ゼウラディアが降臨された、と。
後世、いずれかの史書でその記述を見た者は、それを比喩的な表現と勘違いした。即ち、神の力の如く偉大なる奇跡を、天賢王が振るわれたのだとそう思ったのだ。
王がまさしく神の力そのものを顕現させていたなどと、誰が想像するだろうか。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大罪迷宮五十五層、地下階層
「【天罰覿面】」
『【光螺閃閃】』
大罪竜グリードと天賢王の人知を超えた戦いは続いていた。
山よりも巨大な巨神の拳がふり下ろされる度に、周囲一帯が消し飛び、破壊される。灼熱が空間を満たし、大罪の竜を焼いていく。しかし、その竜が一睨みするだけで熱は瞬時に凍りつく。
双方の攻撃は共に理不尽の極みであり、その押し付け合いでもあったが、徐々にではあるがその拮抗は崩れつつあった。
攻め続け、押し続けているのは天賢王の方だった。
「【天罰覿面】」
『もう、それ、狡いわ。眩しくってたまらない。やめてくださらない?』
「そのまま目を焼かれてくれ」
巨神が繰り出す拳、そしてなによりも巨神が生み出す光そのものが、大罪竜グリードの魔眼を塞ぎ続けていた。巨神の存在それ自体が、魔眼の視野を奪っていた。
攻めと護り、その二つを攻撃一つで両立させていた。魔眼によってありとあらゆる現象を引き起こす事が可能なグリードであるが、天賢王との相性は最悪だと言えた。逆に王からすれば、最高の相性とも言える。
「…………」
『あら、あら、あら、不細工な顔していますね。神々しいお顔が台無し』
が、しかし、その攻防の優性にも関わらず、王の表情は変わらない。優位を喜ぶ事は無かった。そして竜は自らの身体が巨神の熱によって真っ黒焦げになろうとも笑っていた。
そして、笑った傍から竜の肉体は再生していく。
「回復系統の魔眼、幾つ備えた?」
『最高硬度は無理でしたが、百九十個くらいでしょうか?』
さらりと、グリードは解答した。アルノルド王は小さくため息を吐き出した。グリードは笑いかける。
『貴方たちだって神薬いっぱいもちこんできたのでしょう?おんなじです』
当然、同じではない。
神薬の生産ラインは限られており、1年で作り出される量はごく僅かだ。そしてそれは“陽喰らい”で大半は消耗する。毎年の備蓄量など本当に少しの量だった。今回持ち込めた神薬はここ数十年溜め込んできたほぼ全ての在庫である。
対してグリードはイスラリアに出現してから今日に至るまで、その身を殆ど削っていない。グリード領に無数の迷宮を出現させ、至る所から”狩りやすい迷宮”を用意することで巧妙に人類側の戦力を分散させつづけた。
歴史を辿れば、他の大罪迷宮であれば、深層に進んだ冒険者が不意に眷族竜に遭遇し、それを撃破すると言ったケースは幾つかは存在する。グリードがその失態を犯したのは“紅蓮拳王”の一件のみ、それも彼ら自身の「仲間達を焼かれたことに対する復讐」という猛烈なモチベーションがあって初めて成立したものだ。
それ以外で、強欲の竜が不用意に自らの戦力を消耗させた記録は、ない。
つまりグリードはイスラリア出現から六百年間、戦力を貯蓄し続けたと言うことになる。持久戦では王達に勝ち目は無かった。更に付け加えるならば、
『あら、あら、あら、アルノルド。顔色悪いのだけど大丈夫ですか?』
「気のせいだ」
『嘘をつくの死ぬほど下手な男って、愛しくなってきますね』
アルノルドに残された時間は少なかった。
『アルノルド。偉大なりしアルノルド。老い耄れアルノルド。ねえ。貴方の寿命ってあとどれくらいなのですか?』
強欲の竜は言葉を重ねる。アルノルドの核心を無遠慮に触れた。
『虚飾は臆病ですが、自分の仕事はキチンとこなしました。歴代の天賢王達はみんな短命でした。五十を越えるのは貴方くらいじゃないですか』
「……」
『ええ、でも、ねえ?つまりそれは、歴代で一番傷ついた王さまって事ですよね?【天祈】を置いて自分が最前線に立った理由はなんです?アルノルド』
げらげらげらと、醜い蛙の鳴き声が幾つも重なって混じり合ったような笑い声が、強欲の竜の喉から転び出る。己の内側から零れでる邪悪を、竜は隠さなかった。
『貴方、死ぬつもりでしょう』
「おしゃべりだな。強欲の竜よ」
巨神が動いた。その身が纏う輝きは加速する。最早グリードが目を細めてもその実体を視認することもままならないほどにその力が強くなる。それは使い手であるアルノルドの鍛錬の成果だった。極め、鍛え抜いた彼自身の力の発露だった。
「私が、命を賭けて此処に居るのは間違いではない。死ぬかもしれないと、保険としてスーアを置いてきたのも正しい。残された命が少ないのも確かだろう」
巨神が拳をふり下ろす。グリードの対応は素早かった。即座に巨神から距離を取る。巨神は即座に応じて、新たに拳を握りしめた。
「だが」
ひたすらに巨神の攻撃は実直だったが、強欲の竜は気圧されていた。明確な隙を攻める事は出来なかった。己の命を捨てる覚悟を持った戦士、かつて【紅】を殺した冒険者達が纏っていた”死兵”の気配とはまた違う気配が王を包んでいた。
「貴様に此処で殺されてやるつもりはない」
これは、強欲だ。
強欲の大罪竜は、己の燃料となる感情を、王が発している事を理解した。憤怒にも似通うような、並ならぬ、己の望む全てを得ようとする尋常ならざる強欲が王を包んでいた。
「失せろ前哨戦」
アルノルド王は、親指を下に立て、王らしからぬ手仕草をしながら、獰猛に言い捨てた。グリードはそれを見て―――
『ふふ、はは、アハハハハハハ!』
笑った。
イスラリアの奴隷と思って哀れみを覚えていたが、とんでもない。十二分にそそらせる強欲に満ちているではないか。
グリードは己の内側から湧き上がる宿痾が、強欲が湧き上がるのを感じた。
あの黄金の目を千切り、愛でたいという、そんな壊滅的な強欲が、湧き出てくる。
『つれないですねえ!!仲良くしましょうよ!!かわいい子!!』
その為にも、殺す。
グリードは魔眼を輝かせ、巨神とアルノルドへと無尽の魔術を叩きつけた。巨神が揺れる。その輝きで視界を塞ぎ、魔眼の射程を縮めようとも尚届くその魔術の圧が巨神を揺らし続けた。
『ハハハハハ!!!!』
それを機と見て、グリードは飛び出した。距離を詰める。光で射程が潰れるなら、至近で直接アルノルドをくびり殺す。その為に動いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「アルったら絶好調だねえ、さてどうすっかな」
同じ頃、アルノルドと同じく奈落に落ちていた魔王は、その戦況を見守っていた。とはいえ、別に今回ばかりは彼もサボっているわけでは無い。至極単純にアルの猛攻に、手を出せなくなっているだけだ。
あれだけの火力、下手に手を出そうものなら、逆に邪魔になりかねない。今のアルに、此方を気遣う余裕なんてないだろう。
隙を見て、攻撃を挟むが、影響は微弱だ。強欲の竜の視野の広さ、それを処理するだけの知能はずば抜けて高い。多少、ちょっかいをかけたところで、何かしらの影響を与えられるとは思えない。
とはいえ、削れていない訳じゃ無い。このまま、地道にアルノルドの支援に回るのも一つの手ではある、が―――
―――趣味じゃあ、ねえなあ?
趣味じゃあない。アルにリスクを背負わせて、安全圏からちまちました戦術はまるで趣味じゃない。
この戦況でそんなこと言ってる場合か、と、誰かがいればツッコまれそうだが、幸いにして全員が全員、死の瀬戸際で戦っているので、ブラックの凶行をいさめる者はいない。
大変に都合が良い。ラッキーだ。今の間に悪いことをしよう!
とはいえ、だ。“悪いこと”というのは、そんな適当に思いついてぱっと出来るものでは無い。小手先だけでズルをしようとしても、下らない結果しか起こらない。特に、あの強欲竜には、その手のしょぼいズルはまるで通用しない。そんな格の相手ではないのだ。
自分だけが、楽をして、アドバンテージを得ようなんていう、狡い思考では、足蹴にされるだけだ。
必要なのは覚悟だ。自分自身の身を焼くほどの大賭けが必要だ。
「なあ、スロウス、お前は良いアイデア無いか――――――眠いて、サボり魔め」
同居人は、どうやらあまり役に立たないらしい。さて、他に材料は無いか、とブラックは周囲を見渡す。すると、奈落の上空から様々なものが転がり落ちてきた。先のアルノルドの猛攻によって空いた大穴から、上層の建造物と共に様々なものが転がり落ちてくる。
上層の死闘も佳境らしい。そして、その無数の落下物の中から、ブラックの眼は“ソレ”を捉えた。落下物の中で、何故か自ら光りを放ち、合図を送ってくるモノを。
「――――はぁん?」
強欲の竜がアルノルドの瞳の輝きに魅入られている隙に、音も無く魔王は移動し、落下するそれを受け止める。手のひらサイズに収まる魔導機械。複雑なる封印術式の施されたそれは、紛れもなく、天魔のグレーレの一品だった。
しかも見れば、
[危険物につき開封厳禁――――緊急時を除いてな?]
というメッセージ付きだ。
「ハッハ、やるねえ天魔」
早々に強欲に落とされた天魔であるが、やるべき事をやり尽くすその仕事熱心さに、魔王ブラックは素直な賞賛を送った。