三羅
出現した雷の竜は、あまりにも膨大な質量を持っていた。
この階層の全てを覆い尽くすような水の竜が転じたのだから、その物量は当然と言えなくも無かったが、迷宮上空を覆うほどの竜が、雷の如く熱量を常時放出しているのは圧巻の一言に尽きた。要塞の中から、その様子を観察していたエシェルもまた、その竜の有する魔力量に圧倒され、同時に理解した。
この竜は、先ほどまでの水や、風の竜たちのそれとは別格だ。
先ほどまでの攻撃は、リーネが随時修繕を掛けていた。王と、自分を守っているこの要塞が崩壊してしまわないように、常に破損箇所を修繕し続けるという無茶をしていた。
だが、コレは無理だ。この竜がなにかをすれば、その瞬間要塞は崩壊する―――!
『GRRRRRRRRRRRRRRRR………――――――』
そして、その最悪の想定の通りに、雷の竜は動いた。
そこには一切の躊躇も、遊びも無かった。強欲の竜と、その眷属達にはとことんまでに、怪物としての余裕も、強者としての油断も存在しなかった。
相手が弱者であれなんであれ、叩き潰す選択を選ぶ。
『――――――AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
咆哮と共に、雷が落ちる。エシェルはリーネに視線を向ける。彼女も頷き、自らに刻んだ白王陣を展開した。
「【ミラルフィーネ!!!】」
「【白王開門!!】」
降り注ぐ雷を、鏡の大盾で反射する。防ぎきれなかった残る雷をリーネの力で凌ぎきる。
「っぐぅ!!?」
だが、守りは完璧とは言い難かった。要塞の内部はあっという間に凄まじい熱がこもり、汗が噴き出した。壁から焼け焦げたような異臭が漂う。リーネの修繕が追いついていなかった。
そうなることは分かっていた。要塞が一瞬で崩壊して、まるごと焼死しなかっただけ、上出来だった。なんとか、次の攻撃が来るまでの間に雷の竜を――――――
『あら、おもったよりかわいらしい子。初めまして』
しかし、背後から聞こえてきた深淵から響くその声に、エシェルは震えた。直接は初めて聞く声だったが、それが何者の声かは否応なく理解できてしまった。今の一撃で出来た要塞の破損、リーネとグレーレが創り出した強固な防壁に生まれた亀裂。
そこから侵入してきたのは、
「強欲――――」
『そしてさようなら――――――あら』
凶刃が、即座にエシェルを貫く。よりも速く、彼女の周囲に光が展開した。小規模の、小型の魔方陣、この要塞が完成した直後、真っ先にリーネが敷いた対策。この戦いの要ともなるエシェルの守りを固める結界だ。
「【っぐ……!!!】」
その結界を稼働させたリーネは、既に自らに【白王降臨】を起動させていた。無数の杖の穂先が、グリードの禍々しい爪によってえぐれ、砕けていく部分の修繕をはかっている。
『驚きましたね。魔法陣?』
その姿を見て、大罪竜グリードは目を細めて、驚くような仕草をした。
『現在進行形で編んでるのですか?描くのが、とても速いのですね――――魔法陣にしては』
「【むかつく……わ、ね!!!】」
その露骨な挑発に、リーネは顔をゆがめるが、それ以上のことは出来ない。レイライン一族が長い年月の間つなぎ続け、更新し続けた白王の英知が押し込まれていた。光の速度で完結する最硬の魔眼と、ただただ純粋なまでの竜の剛力によって。
これほどまでの屈辱はない!
リーネは怒りに顔をゆがめ、目端から涙をこぼした。しかしなおも、杖を握る力は一切緩めることはしなかった。
「カハハ!!最速と最遅のつばぜり合いか!!見る分には愉快だ!!」
そこに、背後から天魔が飛び出した。無数の術式を周囲に浮かべ、肉体への強化をはたしたグレーレは、術者でありながら戦士よりも速く、エシェルとリーネを纏めてくびり殺そうとしていたグリードの身体を蹴り飛ばした。
『あら』
「グレーレ!」
「代われ!すぐに塞げよ!!」
短い言葉だったが、その意味はすぐに分かった。エシェルに目配せし、リーネは王の下に駆けた。バトンタッチするように、リーネは杖を握り、王の治療を開始した。
「さて、不法侵入者にはご退去願おうか!!!」
同時に、グレーレは再び術式を起動させる。グリードは警戒し身構えるが、それは攻撃の魔術では無かった。肉体的強度も、魔術的強度も何の意味ももたらさない。それ故にグリードは反応が遅れ、その隙にグレーレはそれを起動させた。
「【転移!!】」
二人の姿はその場からかき消えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天魔のグレーレが転移先として選んだのは、同じ迷宮階層の、その端だ。
迷宮が機能を失っていない限り、転移の術は階層をまたいで使用することは出来ない。安全領域のような空間が安定した場所で無ければ、次元の中で迷子になるならまだ良いが、そもそも転移自体が不発になる可能性もある。
強欲の竜を時空迷子にしてしまうという策も、事前の打ち合わせで検討されもしたが、そもそも迷宮の主である強欲の竜に、迷宮の特性を生かした戦術がどこまで通じるか怪しかったために却下された。ひとまず、王と鏡の精霊憑きからこの怪物を引きはがすのが、合理的に考えたグレーレの最善手だった。
『捨て身の転移、存外、仲間想いですね、【天魔】』
「っカ……ハハ!」
問題があるとすれば、この手をとった場合、確実に自分が落ちるということである。
最速の魔眼は、グレーレが転移を発動するよりも速く、グレーレ自身の身体を穿った。血を口からこぼしながら、グレーレは苦笑した。
「全く、徹底しているなぁ……?とことん魔術師という駒を、機能不全にする」
『後方支援から潰すのは基本でしょう?狙わない手はないですね』
「カハハ、本当に遊びというものがない!怪物らしく超然としていろ!」
『玉座でぼうっとしているの、暇なんですもの――――【光螺閃閃】』
困り顔で首を傾げながらも、そのまま魔眼で此方を睨む強欲の竜に、グレーレは笑う。王がこの強欲竜を最後に回さなければならなかった理由はコレである。本当に、どうしようもないくらいに、遊びがない。
このまま、自分という駒は落ちる。
だが、残せるものは残した。そして――――
「――――良い位置だぜ、グレーレ」
厄介なる魔王の射線に、誘導出来たのは、出来る最後の仕事としては悪くはなかった。だがグリードも魔王には気づいていたのだろう。即座にその場から離脱しようと動いた。
その前に、無数の拘束術式をグレーレは展開する。
「カハハ、おいおい、もっとのんびりとして―――ッカハ!?」
『あら、いやですよ』
その術式を、一瞬にして分解し、砕く。本当にこの竜は最悪なことに、魔術に精通していた。そのまま一瞬でグレーレの身体を引き裂き、更に振り返り、闇の星を纏った魔王に輝ける、最高硬度の魔眼を閃かせた。
「【愚星咆哮】」
『【光螺閃閃】』
光と闇が衝突し、周囲の全てを飲み込み砕いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤錆の権能を使うと、とてつもなくつかれると言うことは分かっていた。強力無比な反面、あまりにも消耗が激しい。劣化創造よりも遙かに疲れ果てるのは「それが本来の機能を逸脱していてるからだ」とディズが言っていた。
一回使えばぶっ倒れるような力で、なんとか風の竜を討てたので安心したが、その後、アカネは想定の通り、ぶっ倒れていた。
しかし、此処は修羅場。眠っていて良いわけがない。
使命感が、アカネを無意識の底から浮上させた。
《…………むう》
「やあ、アカネ」
アカネが目を開くと、目の前には金色の少女、ディズの姿があった。彼女の顔を見て、アカネは少し嬉しくなったが、同時に悲しくもなった。
《わたし、しっぱいした?》
友人の優れない顔から、未だにこの戦場は好転していないのだと察せてしまったのだ。しかし、ディズはそのまま首を横に振り、優しく微笑みを浮かべて頭を撫でた。
「いいや、十分によくやってくれた。君のお陰だ」
《むに……》
気遣いだろう。というのは分かる。だが、悔しくもあった。アカネにとっての目標は、ディズの代えがたい相棒となることだ。彼女に勝利する為の契約条件がそれなのだ。
「ちょっと休んでて」
《うー……》
だから、一方的に気遣われてしまうのは、対等じゃない。ソレが悔しかった。しかし、悔しいからと無理をするのは、余計にダメだとアカネは知っている。だからアカネは促されるまま、ディズの外套の中に溶け込んだ。
《また、よんでね》
「勿論」
だが、それはただただ、疲れ果てて、安息に沈むためでは無かった。身体を癒やして、復帰するための補給だと、彼女は強く自らに言い聞かせながら、眠りについた。
「……さて」
彼女が眠るのを確認し、安堵の息をついてから、ディズは再び上空を見上げる。隣のシズクも同じようにする。
「どうしましょう」
「どうしようか」
『GAAAAAAAAAAAAAAAAARRRRRRRRRRRRRRRRRR!!』
雷の竜の脅威は未だに続く。