深層三十八層 毒竜
深層の先を進むほどに、迷宮の複雑さと、その殺意は増していった。上層の迷宮、その単純明快な二次元構造を生ぬるく思えるほどに、悪意に満ちた作りが続いていく。
シズクとグレーレのマッピング作業によって、侵入と同時にその階層の構造は殆ど明らかになるが、一方で、侵入した瞬間に、殺意が襲いかかってくることも決して珍しくは無かった。
大罪迷宮グリード、第三十八層はまさにその構造だった。
「まーとはいえウル坊の奴速攻で死ぬとはなあ。成仏しろよ」
『死んどらん死んどらん殺すな殺すな』
三十八層
深く深く何処までも続く斜面の道。身体が傾くような急勾配の迷宮廻廊を死霊兵のロックと魔王ブラックが滑るようにして進んでいた。途中、出現する魔物達をロックは切り裂き、ブラックは黒い闇で飲み込むように喰らい続ける。
現在、この階層を突き進んでいるのは2人――――だけではなく
《んにゃあ、ロックーうっしろー》
『おお、すまんの妹御』
アカネの、計3人である。アカネは常にロックの身体に纏わり付いて、ロックの死角から襲いかかってくるような悪魔種や魔物の類いを自らを灼熱の剣に変容し焼き殺し続けていた。
この階層に侵入しているのはこの三人だけである。大罪迷宮の深層を進むにはあまりにも心許ない人数であるが、ちゃんと理由はある。
『階層全体に毒とはのう。ここまでくると何でもありじゃわ』
三十八層目の突入を始めた瞬間、先行していたウルが一切の前触れ無く倒れたのだ。
あまりに唐突かつ、前触れのない昏倒に驚愕し、しかしそれを間近で見たシズクは即座に状況を理解し、「毒です!」と周囲に注意を促し、その直後に彼女もまた倒れた。それ以外の者達も三十八層に入る直前だった面々も次々に倒れた。
天賢王一行の半数以上が倒れる、壊滅状態と相成っているのだった。
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「呼吸すら、止めていたのに…!」
ユーリはウルの様に意識を失い昏倒するような事にはならずに済んだ。が、身体中に痛みが走り身動きが取れないらしく、苦々しい表情で呻いている。
ウルやシズク、エシェルに至っては意識がもう無い。リーネの白王陣によって常に回復術を施しているにもかかわらず、意識の回復には至らない。リーネはウル達が目を覚まさない現状を苦悶の顔で睨んでいた。
「癒やしきれないなんて……」
「貴方の白王陣の中では明らかに痛みが軽減しています。続けてください」
「継続と改善は続けます」
ユーリの言葉にリーネは頷き、白王陣の維持と、そのアップデートを続けていた。その場で新しい白王陣を作り替えるつもりであるらしい。ユーリはけったいなものをみるような顔になり、グレーレは興味深そうではあったが、今はウルから摂取した血液を注視していた。
「単純な毒物の類いでは無いですなあ」
「ではなんだ」
アルノルド王は問う。多人数による【衝突】を避けるため、最後方に位置するグループにいたアルノルド王には幸いにして毒は届かなかった。結果、王は現在動けなくなっている者達の代わりに精力的に雑務に勤しみ、動けなくなってる者達を別の意味で恐怖させる事となっているのだが、一先ずそれは置いておこう。
王の問いに、グレーレは指を慣らす。術が発動し、どこからともなく水が出現し、レンズのように形を取った。そしてそれは瓶に入れられたウルの血液を拡大し、映しだす。
王は珍しく、やや強ばった表情になった。その血液に、おぞましい、悪意に満ちた形状を取った魔物の姿があったからだ。
「超小型の魔物の類いが体内に侵入しているのでしょう。内部から肉体を破壊する」
「……護符も通じない?」
王がちらりと倒れてる一人、ディズを見る。彼女もまた毒に犯され、意識はまだあるようだが、身動きが出来ずに寝転がっている。寒気も感じるということで、アカネが保温性の高い毛布のような形となって寝転がる全員に覆い被さっていた。
その彼女の胸元にはスーア特製の護符が下げられている。彼女のみならず全員がだ。毒のみならず、あらゆる悪意ある攻撃から身を守る聖遺物級の代物であるのだが、それでも悉くが倒れた。
「通じぬ訳ではないでしょうな。無ければ恐らく全員死んでいるかと」
「対策は?」
「目に映らぬほどの小型の魔物、それ自体は決して強くは無いでしょう。しかし数は無数で、しかも自己増殖までする。ただ、感染を抑えるだけなら……」
グレーレはリーネの方をチラリと見る。杖の穂先を細かに変形させ、踊らせるようにして白王陣の形状を次々と作り替えていく。ここに至るまでに盗み見たのだろう。グレーレの使う“3次元術式”まで貪欲に取り込み始めているのを見て、グレーレはニタリと楽しそうに笑った。
「彼女の力でなんとかなりましょう。その間に魔物そのものを消し去らねばならない」
「可能なのか」
「此処までの小型でありながら、スーア様の護符の守りを回避しようと動いている。精密な動きを、こんな小型な魔物が自立行動で行っているとも思えない」
「本体が操り、動かしていると」
自分の身体から切り離した分身を自分の手先のように操る魔物。というのは決して珍しくは無い。今回の場合は、その規模と精度があまりにも常識外れだっただけの事だ。
「つまり、下の階層を問題なく探索できる者が必要と」
『で、あればワシの出番カの?』
そこで手を上げたのは死霊兵のロックである。
シズクの使い魔として、シズクとウルが倒れたときも二人のとなりにいたが、ロックは未だピンピンと身体を動かしている。毒をくらい、身体が動けなくなっている様子も全くない。生物ではなく、魔物に近いために、毒のターゲットにならずにすんでいるらしい
『要は毒ばらまいてる阿呆をぶった切ってやりゃ良いんじゃろ?』
「ここに至るまでに其方が腕利きと言うことは理解しているが、一人では不安だ」
『ワシも不安じゃが、他に動ける奴おるか?王さまは出ちゃあかんじゃろ?』
「いる」
そう言うと、アルノルド王は不意に輝く手を生みだした。手は、勢いよく倒れた毒の被害者の所へと飛んでいくと、そのまま約一名の身体を引っ掴んで放り投げた。
「あー畜生!やめろよアル!!」
「やはり狸寝入りだったか」
ブラックだった。王に引っ張り出されたブラックは渋々と行った様子で立ちあがる。彼も確か、ウル達のいた先行部隊に同行していたはずで、三十八層の毒に晒されているはずなのだが、全くもってピンピンとしている。顔色も全く悪くは無かった。
「お前が毒に苦しむわけが無い」
「言うて無効化したって痛えもんは痛えんだからな?嫌いなんだよこの手のタイプ」
「あと一人は必要か」
「聞けってオイコラ」
全くもってやる気がなさそうな態度であるが、しかし戦力という意味で彼以上は望めないだろう。これで二人目だ。そして、王はもう一度毒の被害者達に視線を移した。正確に言うと、彼らを甲斐甲斐しく世話をしている金紅色の不定形の精霊を視界に映した。
「赤錆の精霊」
《むに?あたし?》
「二人に同行してもらいたい」
《んー、まだここならそこまできもちわるくないし……ええよー》
かくして、死霊兵、魔王、そして精霊憑きの珍妙なる突貫一行が完成した。
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こうして三人は猛毒で満たされた三十八階層の踏破を目指すこととなった。
シズクを欠いているとはいえ、グレーレのみの探査でもある程度正確な地形把握は成功していた。三十八層はひたすらに下へと下り進んでいく多段構造だ。殆ど飛び降りるようにしてどんどんと下へと下っていった先に、ウル達を苦しめている元凶が居るらしい。
――毒を上方の全域に撒く為なのだろうが、まるで火山の火口だな
とは、探査を終えたグレーレの感想だった。結果、三人はひたすらに斜面を滑り落ちるように下ることとなった。周囲の魔物達を削りながら。
《しかしあれなー》
『あれ?』
《へんなオッサンとへんなジジイときょうりょくするのむりげーでは?》
「おー、なかなか生意気だなー、流石にウル坊の妹」
『変なのしかおらんのお』
果たしてこの三人がどこまでの連係を保てるかは微妙なところだ。というのがロックの素直な感想だ。相性が悪いだとか、仲が悪いだとかそう言う次元ではなく、もっと単純に命を預け合う修羅場において連携を取った経験値が余りにも少ない。
『GYAAAAAAAAAA!!!』
だが、当然と言うべきか、迷宮は此方の事情を配慮などしてはくれない。虫のような羽と牙のような両顎を持った魔物達が、ロック達の侵入以降矢継ぎ早に襲いかかってきていた。
《しゃくえん》
『【骨芯強化】』
「【愚星】」
そしてそれらを、ロック達は柵も何も無く薙ぎ払うようにして先へと進んでいた。
「ま、俺たちに付け焼き刃の連係なんていらんだろ。俺に、精霊憑きに、魔改造された死霊兵。グッドスタッフ詰め合わせだ」
『まーそうじゃの?』
ざわざわと、黒い闇を身体中に纏わせながら笑うブラックに、ロックも同意した。
世界最大級の迷宮に対して、やや舐め腐った態度ではあったが、しかし、この三人の有する力はあまりにも統一性が無く、特殊だ。半端に呼吸を合わせたほうが結果として足を引っ張る。
で、あれば全員が好き放題に力を振り回した方がマシ、と言う考えは間違いでは無かった。
《でもさー、わたしらもそうだけど、“ここ”もなんかへんよ?》
『確かにの。なんじゃろな?生々しいとでも言うべきか』
すると妖精の姿で周囲を旋回し、探索していたアカネが訝しげな声をあげる。彼女の言わんとするところはロックにもわかっていた。実際、この階層は此処までの階層と比べて明らかに迷宮の構造が違う。
他の階層もまたいびつで奇妙な構造であったが、“ヒトの都市建造物を真似る”。という一点においては統一性があった。天地がひっくり返ったような形になっていたとしても、様式に統一性があったのだ。
しかし此処は違う。明らかに違う。斜めに傾いた地面はまるで生物の内臓、その肉壁のように生々しく、蠢いている。毒の影響だろうか。空気も淀んでいる。ブラックなどは時々ウンザリとした顔で鼻をつまんだりもしているから、ロックには分からないが恐らく悪臭もしているのだろう。
「上層から中層までの階層は、効率厨のグリードの仕事だからな?」
《こーりつちゅう?》
「不必要な魔力消費を抑えるため、徹底して無駄を排除した結果、都市に似たんだよ。温存した魔力を全部、深層に回している」
《うえー》
『カカカ、こっわいのう?』
大罪竜グリードが最も手強い、という情報はロックも聞いていた。が、しかし、その手強いという言葉の意味は、単純な力の強さを示すだけではないらしい。迷宮の構造自体にまで手を加えて、自分の力に変えようとする貪欲さは、おそらく他の竜には見られない特色だ。
「この階層も、グレンの攻略時には無かっただろうな。新造……いや、実験か?この精度ならまだ実用段階じゃあねえかな……?」
ぶつぶつとブラックはつぶやく。普段の悪ふざけの塊のような姿に反して、今の彼は研究職の魔術師のようでもあった。が、しかし、ロックには彼の言ってることが半分も理解できない。故に、
『ま、つまるところ、奥にいる元凶ぶっとばしゃええんじゃろ?』
《やっちまおーぜ!》
アカネも同じ結論に至ったらしい。実に脳筋な二人の結論に、少し考えるようにしていたブラックはニヤリと笑った。
「そういうこった。まあ、毒の元凶は眷族の類いじゃあねえだろうな。それほど年も取っちゃいない。……そんでもって、おそらく性格はマジメだ」
《まじめだとどうなるん?》
アカネが問う。ブラックは笑って奈落の底を指さした。
「毒の効かない侵入者を放置することはまずねえな」
『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG!!!!!』
そして奈落の闇から、無数とも言える蟲の魔物達が飛び出してきた。