七天と元七天
大罪都市グリード神殿の長 ヴィクラー・シンラ・グランツァー
大罪都市グリードにおける彼の統治は一言で言うならば”無難”である。
コレと言って目立った政策を行うわけでも無く、精霊の力を使い大事業を行うわけでも無い。彼自身、火の精霊ファーラナンの加護を得ているワケだが、別にその力で持って目立った実績を上げた事も無かった。
火の精霊の力は他の四源と比較しても攻撃に特化した精霊である。事、魔獣災害の類いが発生した際にはその力が振るわれる……と思いきや、【太陽の結界】により魔物の侵攻の大半は防がれる。特に現天賢王アルノルドの太陽の結界は歴代のそれと比較しても明らかに強力であり、3級相当の魔物を相手にしても防ぎきる程だ。
そして1度防いでしまえば、後は報酬を目当てにした冒険者達が群れとなって魔物達を一方的に攻撃してしまい、撃退してしまうのがこの都市の防衛の実情である。
詰まるところ現シンラの目立った仕事は少ない。
彼に遠い者は彼のことをお飾りだと罵る者も多い。
故に、彼が政治的なバランスにとても優れた男であると知る者は少ない。
迷宮の出現頻度が高く、名無しの出入りと滞在率が非常に多く、冒険者達の影響力が極めて高いこの土地で「無難」と呼ばれるレベルで平穏な日々が過ごせているのは彼の手腕あってのことだった。
彼がいなければ、あるいは神殿と都市民の間で内乱を引き起こしてしまった哀れなる大罪都市エンヴィーのようなトラブルが、冒険者と神殿の間で発生したかもしれないのだ。
その功績をもう少し誇ってもよかろうものだが、彼は特に気にすることも無く、都市を一望できるベランダにて昼休憩の茶菓子を楽しんでいた。若い頃は彼も神殿から抜け出して都市部で都市民達に混じり、享楽を満喫したこともあったが、今は外の活気を遠くから感じられるだけでも十分になってしまった。
自分も年を取った、とヴィクラーは溜息をつく。だが今日はそんな風に感慨にふけっている暇はあまりない。何故なら今日は来客が来ているからだ。
それも、とびっきりの来客が。
「……さて、今日はどのようなご用件ですかな。スーア様」
少女のようにも少年のようにも見える子供。不可視の精霊達がヒトとしての形をとったかのような浮世離れした姿。最強の神官であるスーアが神殿を訪ねてきたのだ。しかもまったくのアポ無しで。
最初応対をした従者はスーアを迷い込んだ子供と勘違いして追い返そうとしたのだから流石のヴィクラーも肝が潰れそうになった。
「このお菓子は美味しいですね。ヴィクラー」
「衛星都市アルトで最近流行の揚げ菓子だそうです。食べ過ぎにはご注意を」
そしてそんな此方の気苦労もしらず、もそもそと口に入れ始めるスーアにヴィクラーはやんわりと注意する。サクサクとした外見と中に詰められた果肉がとても甘くて食べやすいが、その食べやすさにだまされて食べ過ぎると胸焼けしてしまう。ついでに太る。にもかかわらず罪深いほど美味しいので大罪菓子などとよばれていたりもする。
まあもっとも、この特別なヒトにそのような懸念は不要であるかも知れないが。
「最近、良い茶葉が生産都市で作られたのですが、いかがですか?」
「もらいます」
まったくの遠慮なしにスーアは頷く、ヴィクラーが従者に視線をやると、彼は普段と比べやや固い表情ながらも頷いて、速やかにベランダから退出した。人気は無くなった。次いで言うなら、従者は此方の意図を汲んで人払いをかけた。暫くは此処に誰かがやってくることは無いだろう。
「……さて、人払いも済みました。それで、本日はどのようなご用件で?」
ヴィクラーは小さく咳払いをして、スーアに向き直った。
「せっかちですね」
「王に託された責務を果たすのに、必死なのです。どうかお許しを」
殆ど丸一日を仕事に圧迫される中、唯一の休みである昼休みを割いてなんとか時間を作った自分の気持ちを汲んで欲しかった。最近は息子達もようやく使い物になりつつあるが、それでもまだまだ自分は忙しいのだから。
そんなこっちの思いを悟ってなのか、スーアは頷くと、話し始めた。
「ヴィクラー。この世界をどう思いますか」
ヴィクラーは眉をひそめる。質問の意図を計りかねた。相手はこの世界を管理する側で有り、迂闊なことは言えない。と思う一方、あらゆる精霊の加護を身につけ、ほぼ万能といってもいいような力を持つスーアを相手にして、薄っぺらい誤魔化しなど何の意味も無いことをヴィクラーは悟った。
「太陽神の代行者たる王の目の届く限り、この世界は平和です。しかし険しい平和かと」
で、あれば嘘偽り無く答えるべきだろうと、率直な感想をヴィクラーは述べた。
「正直ですね」
「事実ですから」
この世界は“比較的”平和だとヴィクラーは思う。
名無しは飢え、都市民は管理され、神官達は権謀術数に明け暮れている。それでも尚、この世界は安定はしている。決して豊かでは無い。自由でも無い。努力を欠かせば滑落する狭い都市の内側に人類は押し込まれている。
険しく、酷く危うい平穏だ。それがヴィクラーの感想だった。
「では、この平和が続いて欲しいですか?」
「孫達が、せめて独り立ち出来るようになるまでは維持してほしいですな」
この世界は完璧ではないし、その世界に住まう全員を幸せにすることはヴィクラーには出来ないが、せめて自分の身内くらいは幸せになって欲しいし、その為の努力も彼はしていくつもりだ。その為の土台が崩れてしまうのは勿論、彼にとっては困る。全く、望ましくはなかった。
「だとすれば、まずは謝っておきます」
「その謝罪は、あまり良い予感は致しませんなあ……」
同じシンラとはいえ、王の後継者であるスーアの謝罪など、受け取るのも恐ろしかった。だがスーアは気にせず続ける。
「王の意思により、遠からず嵐が起こり、この世界の形は変わります」
「……良い方にですか?」
「わかりません」
それでは困る。と、言いたかったが、スーアとて好き好んでこのような回答をするわけではないのだろう。自分が第一位としてグリードを治めてからというものの、天賢王からの命に応じることは少なからずあった。あまりにも凡人の自分たちとは視点が違うからか、常人の感性から外れたような言動をする事は知っていた。
だが、それらが悪戯に自分たちを苦しめる悪意からのもので在ることは無かった。ヴィクラーは良くも悪くも王を信用していた。
「ここ十数年、王からの指示で各都市の備蓄量は大幅に見直されました。防衛設備も増築され、各都市がそれぞれ、独立して活動することが可能となりました。……その事と関わりが?」
問う。否定は来なかった。つまりはそう言う事だろう。
「嵐に備えろ。来たときは備えでもって凌げと言うことですね」
「そして万が一、王や我等の身に何かが起きたその時は、貴方たちが王の代行をなさい」
ヴィクラーは目を見開く。
「……恐ろしいことを平然とおっしゃる」
「そうですか?」
「ええ、そうです」
この世界の都市国は基本的にその全てが大連盟によって繋がっている。それはつまり、全ての都市国が、天賢王の加護と統治によって守られていると言うことだ。半年前のグラドルのように、その事実を不服に想う者も要るには居るのだろうが、しかし大半の都市国とそこに住まう住民達はその事実を受け入れている。
突然、独立するなどという話になれば混乱は必至だ。実際自分も今大いに混乱している。事前、それに備えさせられていたと言うことに気付かなかったほどに、想像すらしていなかったのだ。
「無論、そうはならない可能性もあります。私にもこの先の未来は読み切れません」
「……貴女でそうなのであれば、誰にも読むことはままならないでしょうな」
「ですから、もしものときはどうかお願いします。王の助けになるように」
そうまでされずとも、スーアの願い、王の命令を拒否する権利をヴィクラーは勿論持ち合わせてはいない。ヴィクラーは恭しく頭を下げた。
「必ずやその命、果たしましょう……ただ、一つだけ伺ってもよろしいでしょうか?」
「なんでしょう」
「王の意向はわかりましたが、その事をスーア様はどのようにお考えなのでしょう」
その質問のウチに、好奇心めいたものが無かったかと言われれば否定はしがたかった。しかし、確認もしておきたかった。世界の仕組みが変わるほどの事が起こるのだという一方で、その情報の殆どが伏せられているのだ。問題ない範囲で知れることは知っておきたかった。
王の子、王位継承者、そして彼と同じくする七天の一人。その所感を聞いておきたかった。情報が少しでも得られるならばという苦肉の策でもあった。
しかし、そんなヴィクラーの望みに反して、と言うべきだろうか。スーアは少し不思議そうな顔をして、言った。
「叶うなら、父の願いを汲みたいと想っています」
「……」
「どうしました?」
「いえ……」
新たにいろいろな言葉が湧き上がってきた。が、一先ず何か言葉を述べるなら。
「……あまりに親孝行な御言葉で、天賢王が羨ましくなりました」
「そうなのですか」
「最近、孫にじいじちくちくでいやと罵られましてな」
「かわいそうです」
部下達の陰口よりもよっぽど堪えたのは秘密だった。
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大罪都市グリード神殿前
多くの参拝者が訪ねる正門前をぐるっと回った先にある裏口のすぐ側に、天剣のユーリは静かに腕を組み、事が終わるのを待っていた。やがて不意に場の魔力がかき回されるのを感じてユーリは顔を上げる。
裏口の扉から音も無く、スーアが姿を見せた。魔力が乱れたのは、彼女の周囲に常に居る精霊達の仕業だった。ユーリは彼女の元へとすぐさま参じた。
「終わりました」
「お疲れ様です。スーア様」
ユーリはそう告げると、そのまま彼女を先導する。
神殿を抜けて、大通りを歩いて行く。スーアの容姿もユーリの姿もやや派手で、よく目立つはずであるのに、不思議と二人は都市民達の注目を集める事は無かった。スーアを常に守る精霊達が気を利かせたのだろう。この程度のことは、スーアがあえて指示を出さずとも、自然と精霊達は行ってくれるのだ。(時々サボって騒ぎになるが)
「ユーリ。わざわざ護衛について貰う必要はありませんよ」
「流石にそういうわけにもいきません、どうかお許しください」
王位継承者を放置するわけにはいきません。と、ユーリは真面目にそう言って、その後少し苦笑した。
「放っておくと彼方此方の出店でふらふらと色んなものを口にしようとしてしまいますから。スーア様は」
「ユーリは真面目ですね」
スーアは無表情のままにそう言う。あるいはスーアが普通のヒトの子供であったならば、口先を尖らせて不満気にしていたかもしれない。精霊との交流、会話が多く表情による意思伝達が必要で無いことが多かったスーアは、結果として表情の変化が乏しかったが、内面は見た目よりずっと豊かな感受性を持っていた。
そんなスーアが、今は王の代行に勤しんでいる。
その事実が何を意味するのか、ユーリは察し、僅かに手を握った。
「負担をかけます、ユーリ」
「いえ」
此方の不安を察してしまわれたのか、と、一瞬ユーリは焦った。だが、スーアが話し始めたのは別のことだった。
「グロンゾンも治療中、ディズも一時的に七天の座からはおりました。貴女には負担が多くなってしまったこと、申し訳なく思います」
「グロンゾンは、あの窮地で、見事我々を守ってくれました。彼のことは誇りに思います……ですが、ディズは何故?」
彼女が七天から外されたという話はユーリも聞いている。流石に、完全に彼女が七天の勇者の席から外されるとはユーリも思っていない。おそらく一時的な処置であるのだろうが、しかし何故そうなったのかは知らされていなかった。
無論、王とスーアの決定に異議はない。が、突然無茶苦茶な理不尽を強いるようなヒト達ではないという信頼もある。それ故に解せなかった。
「それは」
と、スーアが続けて説明しようとした矢先だった。
不意に、妙に通りの都市民達が騒がしくなった。スーアと自分のことはおそらく認識していないだろうが、自然とユーリはスーアをかばうように動いた。
やはり、ざわめきは自分達に向けられたものでは無かった。騒動の中心は、自分達の進む少し先だった。「酔っ払いだよ」といった声が聞こえてくる。やってきた騎士団も特に慌てる様子も無いことから、ただのトラブルか、とユーリは納得した。
「あれ、ユーリ?」
《あ、スーアだ》
「……何をしているのですか貴女は」
が、何故か、その騒動の中心に、見覚えのある金髪、もとい元七天がいたので、ユーリは呆れた。




