無職勇者と灰の介護人②
グリード領、衛星都市国トリアはグリード領西部に存在する小国だ。
通常の【島喰亀】の進路からはやや外れた位置にあるため、グリード領内でも目立たない地味な都市国――――だったのは昔の話だった。
契機となったのは、大罪都市エンヴィーで移動要塞ガルーダの運用が本格化してからだ。【魔炎迷宮】を容易にくぐり抜けられる移動要塞ガルーダと、それを活用するエンヴィー領にとって、大罪都市グリードとエンヴィーの間にあるこの国は、非常に都合のよい中継地点となった。
エンヴィーの様々な魔導機械が流れ込み、魔炎迷宮の熱エネルギーまでも活用できるようになり、それを使った温泉街まで発展し、最終的には都市丸ごと巨大な温泉国と化した。
つまるところ、よい安息地となっていた。
ウルたち以外にもウーガの住民は交代で休みを取って、トリアに足を運んで、その湯に身体を休めたり、多様な土産物に心躍らせたりしていた。(もちろん、トリアの住民にとってのウーガも同じく物珍しさの塊ではあったのだが)
そんな中、ウル、アカネ、ディズもまた、その観光国に足を伸ばして、のんびりと歩き回っていた。
《きれいね?》
「そうだな。つっても、よくわからんが」
土産屋にならぶ皿を見て、ウルと、彼の懐に隠れたアカネは首を傾げる。こういった陶器の類いは、当たり前であるが荒い旅を続けなければならない名無し達向けの土産ものではなく、安全な移動要塞での旅を約束された者達向けだ。
魔物から逃げた拍子に割れてしまうようなものの扱いをウルはしたことがない。(名無しに託される運搬業でもこういった品は頼まれない)ので、知識は全くない。
「ああ、良い焼き色だね。トリアの陶器は人気があるんだよ」
「へーえ」
《ほえー》
その二人の疑問に答えるように、ディズが答えた。
ジェナに用意された余所行きの真っ白なドレスは、動きやすいようにやや足が出ていて少し派手だが、官位の家のお嬢様にしか見えなかった。彼女の金色の髪との色合わせも良く映えていて、さすがはジェナが選んだ一品と言えた。
「此処の波模様が特徴。ここの色彩が鮮やかなのは良く出来てる証拠」
「鮮やかなのかそうでないのかも、俺には比較してみないと分からんな」
「当人の感性だって重要さ。巡り合わせってものもあるからね。でも、うん、これはよい仕事だよ。買っても良いんじゃないかな」
そんな見目も麗しい彼女が、朗々と自分の商品をたたえてくれるものだから、店主の頑固そうな男は心なしかうれしそうだった。そして彼女の寸評を聞いて、客や、ほかの職人達の視線まで集まり始めたので、ウルは適当なところで彼女を連れて店を出た。(自宅兼、ギルドハウス用に、ディズアカネ含む全員分のカップは買っておいた)
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温泉大国と名乗るとおり、衛星都市国トリアの最大の名物は温泉である。
地下深くから溢れる天然の温泉は、利用者の心身を休める様々な効能をもたらす。肩こり、腰痛、筋肉痛、関節痛、消化器不全、冷え性、火傷、切り傷、虚弱児童に皮膚病、健康増進その他諸々。
やや盛りすぎている気がしないでも無いが、ともあれ実際、身体を浸ければ、癒やしを与えてくれるのは紛れもない事実だった。
「……心地良いね」
ディズはため息をつきながら、身体を湯に揺蕩わせた。
ウーガの湯屋と比べると、ややぬるめだが、それ故にいつまでも入っていられるような心地の良さがあった。うっかりすると、このまま寝入ってしまいそうだった。
心身ともにほぐれるという感覚は、ディズはまだ慣れない。身体を休めていても、常に次のことを考えている日々だったからだ。勿論、現状の世界の危機を考えると、そんな風に気楽に構えてはいけないのだと分かっているのだが、責務から一時外れた自分が、勝手に世界の行く末に思考を巡らせて肩に力を入れるのも、間違っていると感じる。
だから、不慣れであっても、ちゃんと心身を休めなければならない
そう考えるディズはどこまでも真面目だった。
《おはだつるつるなる?》
ディズの、真面目すぎるが故にやや歪な心境を悟ってなのか、アカネがぱしゃぱしゃと泳いでくる。今はヒト型に近い。時間帯の影響か、周囲に客が少なかったため、少女の様な姿をとれば、大分誤魔化しが効いたので、自由にさせた。
「アカネもなるかもしれないねえ。ほら」
ディズがアカネの緋色の皮膚に触れる。温泉に触れた部分が仄かに輝いていた。
「この温泉、魔力も含まれているからね。アカネも吸収しやすい」
《おー》
輝く自分の身体が面白いのか、アカネは歓声をあげると、そのままくるくると回る。光が瞬く。彼女の周りが美しい光に包まれた。通常のヒトでは起こりえない現象。精霊と入り交じった存在である証明だ。
《んふふ、おもろーい!》
そんな、自分を決定的に真っ当な道筋から外してしまった力を、アカネはただただ面白がって、笑った。あらためて、強い子だなとディズは声に出さずに思う。
「楽しい?」
《ディズもいっしょだからよ?》
「そっか」
《む》
と、突然アカネが身体を湯に沈める。おとなしくする。新しい客が来たのだろう。彼女は条件反射で自分の姿を隠す。最早身体に染みついた動きだった。次第に客達が、ディズ達の居る場所とは別の湯船へと向かったのを見て、アカネはため息をつく仕草をした。
「アカネ、大丈夫だよ。」
《あぶなかったぜぇ》
「何のものまね?」
《まえよんだえほんのわるやく》
変な絵本を読んでるらしい。ウルに怒られるかも知れない。と思いつつも、ディズはアカネの頭を撫でた。そしてそのまま、不意に声が零れた。
「ごめんね」
あらためて、様々な不自由を抱えている少女だ。その不自由さすら楽しんでいるほどに、彼女は強いが、それでもだから問題ない、とは言えない。何せ、その不自由さを利用して、手元に置いて利用しているのは自分なのだ。
普段であれば、罪悪感を使命感が押しつぶす。だが、それが取り払われた今、ただただ、彼女に対する申し訳なさが浮き上がってきた。
《つまんねーこというなよ》
しかし、そんなディズの、珍しくも意気地の無い言葉を、アカネは笑って返した。
《わたしとディズのなかじゃん?》
「……なんというか、君は本当にウルの妹だねえ」
《そらそーよ!》
誇らしげに笑う彼女を、ディズはゆっくりと抱きしめた。
「ありがとう」
なるほど、自分の弱いところと向き合える。
休みというのは、悪くはない。ディズはそう思えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それから暫く、温泉を楽しんだ後、ディズとアカネは風呂屋を出る。
温まった身体に心地の良い風を感じながら待っていると、間もなくウルも外に出てきた。
「やあウル、どうだった――――どうしたの?」
そして、彼が顔面に奇妙な跡を付けているのを目撃した。湯あたりにしては珍妙な痕跡だった。ウルは顔をしかめて、ため息を吐いた。
「……どうも、地下からくみ上げてる温泉から灼熱蛸が紛れ込んで入ってきてだな」
「ああ……粘魔と同じ手口か。太陽の結界、そういう隙間から潜られると弱いんだよね……」
「その場にいた冒険者一同と死闘を繰り広げましたとさ」
《にーたんなんでそんなついてないの》
「泣く」




