バベルの塔の日常 スーアの髪形を巡る珍騒動
偉大なりし天賢王のおわす場所、【大罪都市プラウディア】
太陽に最も近い場所、【バベルの塔】
迷宮が至る所に張り巡らされ、魔が跋扈するこの時代において、太陽の結界の要であり世界を文字通り支える偉大なる塔。その中では神官や従者達が日々、業務に勤しんでいる。
神官の業務の実態を知らない都市民達の中には「ひたすらに精霊に祈りを捧ぐだけの楽な仕事」「精霊達のご機嫌伺い」などと揶揄する者もいるが、当然そんなことはない。
精霊の力も各分野にわかれるが故に、管理部門は多く分かれている。
それぞれの力と、使い手の管理。その派遣、成果の確認。市井の精霊に対する信仰の度合いの確認、邪霊信仰への対処、太陽の結界の状態確認などなど、精霊に関わることだけでもこれだけあるし、まだまだ存在している。それらを管理するのは重労働だ。
その業務に努める神官や従者達は日々、忙しなく業務に従事している。
無論、重労働だ。故にだろうか、心身に癒やしを求める者も少なくはない。
水の精霊の加護による癒やしの力を求める者もいる。
あるいは、貴重な休暇に街に出て、新作の菓子を求めてさまよう者もいる。
あるいは――――
「ああ、今日のスーア様はポニーテールですね」
「水の系譜の皆様の仕事でしょうか。りりしいですな」
「おや、今日はツインテール」
「気まぐれな風の系譜の精霊様でしょうか――――レアですな。ありがたや」
「前日、確定演出がありましたからな」
「確定演出」
「スーア様の髪が不定期にチカチカと光り始めるのです」
「覚えておきましょう。しかし記録水晶に残せませんかね」
「おやめなさい。不敬ですよ」
「おっと……確かに配慮が足りませんでした」
「絵画にしておきましょう」
「絵画」
天賢王の長子、スーア・シンラ・プロミネンスの姿を観察する事に求める者もいる。
あらゆる精霊の管理を担う【天祈のスーア】は、その特性故にあらゆる精霊との交信を行っている。視界を塞ぎ、情報を絞らなければならないほどの無数の精霊達が、スーアを取り巻いていた。
そして、その精霊達の中には、スーアの髪型で遊ぶ者が何体か存在している。
スーアは割とものぐさだ。
普段から常に精霊達と交信を続けているからだろうか。常人と大きく感性が異なる。そのためか、自分の格好に頓着がない。前など寝起き、寝間着のまま外に出てきて神官達や従者達に慌てて止められた事もある。
それ以来、自分の身支度を、その日気の向いた精霊様達にやってもらうようになった。故に、スーアの格好は精霊の気分次第で変わる。髪型も同様だ。
スーアの髪型は日々変わる。魔力で髪の毛を長く伸びているように見せることだってできるらしい。本当に多様な髪型のスーアが日々確認できる。いつからか、その日の髪型で運勢が決まる、なんていう冗談みたいな噂話がバベルで生まれた。
従者や神官達は日々、スーアの髪型を観察しては、喜んだり、祈ったりしている。
やや不敬といえなくもないが、しかし日々多忙を極める彼らを思えば、そういった密やかな楽しみを奪うのも憚れるとして、その風習は神殿内の秩序を重んじる【天剣】も見逃していた。
そんなわけで、これといって誰かが被害を被るわけでもない、バベルの塔の中だけに存在する密やかで平和な楽しみだった訳なのだが――――
「――――おはようございます」
その日は、そんなことを言っている場合でもなくなってしまった。
「…………おお…………本日は、お日柄も、よく」
従者達や神官は、【祈祷の場】に姿を現したスーアにいつも通り一礼をしようとして、少し固まった。
彼らの視線はスーアの、頭に向かって集中している。彼らの視線に気づかぬスーアはそのまま神殿へと向かっていったが、全員、スーアの後ろ姿に視線を集中させていた。
その理由は
「……高い」
「まるで、バベルの塔のように高いですな……」
スーアの髪型が、まるで山のように高く盛り上がっていた。
髪型を盛り上げるという技術は確かに存在しているし、都市民達の女性や、あるいはスーア自身も時折、そういった髪型で出てくることはあるにはあった。が、しかし、限度というものがある。
あまりにも盛りすぎていた。だって、スーアの頭身を明らかに超えている。
全員、絶句するしかない。日々スーアの髪型を観察する“同好会”の面々すらも、言葉を失うしかなかった。
「あの髪型、間違いない……!」
が、その中でも一人、先代の天祈の時から務めている老いた神官が、震える声で叫んだ。周囲の従者達は驚愕し、振り返る。
「知っておられるのですか、神官殿!?」
「うむ、アレは間違いない。【美の精霊フローディア】様の仕事じゃ!!」
「美……!いえ、確かに美しい、美しいのですが…………」
美しい。確かに美しい。スーアのつややかで美しい白い髪が、見事に結われている。周囲の煌びやかさを主張しつつも、決してスーア自身の端正な顔立ちに影を落とすようなまねをしないのは、匠の技の一言に尽きるだろう。
尽きる。の、だが
「派手すぎ……!いえ、スーア様を否定する意図はないのですがしかし」
髪型が、あまりにも派手すぎた。
何せ、すれ違った神官達、従者達は否応なく視線が釘付けになる。目を見開いて絶句して、言葉を失っている。その美しさを飲み込むのには数秒か数十秒かの時間が必要だったし、飲み込んだ後も否応なく視線がそちらに誘導される。
これでは仕事にならない。
「フローディア様は凝り性でな、場合によっては一週間はあの髪型のままじゃ」
しかも絶望的な情報がもたらされた。
「……三日後に、都市民を集めた神殿の教えを説く演説会があります」
「あの髪型で出られるのですか……」
これはいけない。どれだけスーアが素晴らしい演説をしても絶対に髪型しか印象に残らなくなってしまう。なんとかしなければならないが、スーアにそれを指摘するのはややためらわれた。
決して、下々の進言を無碍にするようなヒトではないのだが――――
「今日は、面白い髪型になりました」
今の髪型を、スーアがちょっと気に入ってしまっている。無表情だがうれしそうだ。
これを指摘するのはためらわれた。誰か、誰でもいいからさりげなくそれを口にできる者がいれば――――
「――スーア」
そんなことを思っていると、まるで彼らの祈りが通じたかのように、偉大なる天賢王にしてスーアの父であるアルノルド・シンラ・プロミネンスが姿を見せた。彼はスーアのそばに近づく。
「父上」
「その髪型は――――」
王!
と、その場にいる全員の期待が、彼に無言のまま向けられた。
「よく似合っているな」
「それはよかったです」
――終わった。
そのまま絶望が場を支配した。王が気に入ってしまったらもうダメである。
「ですが、派手すぎて、都市民達の前で演説をするには向かないでしょうね」
そして、二人の会話に対して、王の従者ファリーナは静かに指摘した。
王とスーアはファリーナの言葉に首をかしげ、
「そうか」
「そうですか」
頷いた。スーアは虚空に視線を向けると、チカチカとしたいくつかの光が、スーアの髪を解き始める。
「少し加減してもらいましょう」
「その方がよいだろう」
「ファリーナは賢いですね」
「全くだ」
「恐れ入ります」
そう言って、3人はいつも通りの仕事に戻っていった。
残された神官と従者達は、一切反応を表に出さないまま、大きく安堵のため息をついた。そして、王に仕える従者ファリーナへの強い尊敬を覚えたのだった。
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こうして、三日後の演説会まで、スーアの髪型は落ち着きを取り戻すこととなった(それでもやや派手だったが)
しかし当日、皆の前に姿を現したスーアの格好が、スーアの身の丈を倍にするほどにとてつもなく派手な衣服を精霊に用意された事で従者と神官達の心中が阿鼻叫喚となってしまったのはまた別の話である。