黒炎払い
【黒炎払い】の前身は、【運命の聖女アナスタシア】の護衛部隊だった。
ラース解放を目的としていた戦士達。その実はアナスタシアをただ廃棄するための運び役であった戦士達は、アナスタシアが運命眼を喪い、彼女自身が再起不能になった時点でその本来の役割を終えた。
だが、アナスタシアと共に棄てられた彼等も、既に戻る場所は無い。生きるために、仕えるべき主をアナスタシアからダヴィネに変えた。元々存在していた地下牢の戦闘部隊と合流、というよりも吸収し、現在【黒炎払い】が成立した。
そんな彼等の役割はラースの解放、ではない。
現実味のない目標はとうに彼等も棄てている。彼等の目的は【焦牢】の地下牢周辺に迫る【黒炎鬼】等の排除と、黒炎そのものの処理である。
黒炎鬼は【灰都ラース】から確実に迫ってくる。彼等の処理は、手順を誤らなければ決して難しくは無い。が、残った【黒炎】の処理は少し手間だ。放置すればどんどん地上で動ける範囲は無くなる。そしてその炎はやがて地下をも焼いていく。
目に付いた炎は除かねばならない。ではそれはどうするか。
「【竜殺し】を打ち込め」
全身を【黒睡帯】で覆った【黒炎払い】の隊長、ボルドーはしわがれた声で部下に命じる。彼等がもつのは真っ黒な大槍であり、それこそが黒炎を殺す唯一の手段だった。
部下達は恐る恐るというように不吉な黒い槍を炎へと近づける。情けないへっぴり腰だったが、咎めることはできなかった。それくらいの慎重さは必要なのだ。
「……う、うわあ……」
その作業を任された新人は、【竜殺し】が黒炎を殺す光景に悲鳴のような声を上げる。
黒炎は槍が炎の中に投じられると同時に、まるで槍を避けるようにして揺らめく。だが、次第に吸い込まれるように槍に収束し、そして最後には跡形も無く消え去った。
制作者のダヴィネ曰く、それは殺すというよりも喰らうと言った方が正確らしい。
貫いた対象の魔力を喰らい砕く槍、果たしてどのような仕組みなのかは彼らには分からなかった。だが効果が覿面なのは事実だ。
コレが無い時代の手法はもっと原始的で、焼かれた炎を地面ごとに抉って、運び出さなければならなかったらしい。とてもではないがやっていられなかっただろう。その点はダヴィネに感謝したかった。
「くそ!くそ!もう嫌だよ!勘弁してくれよ!!」
が、全く役に立たない新人を補充として寄越すのは本当にどうにかならないだろうか。
たった一つの黒炎を潰したくらいでわめき散らしだす新人の囚人に対して、ボルドーは低い声で窘めた。
「黒睡帯を正しく着けているのであろう。簡単に呪われたりなどせんわ」
「うるせえ!!お前等の中にももう何人も呪われてる奴いるんだってな!近寄るな!」
「ほう、ならば一人でこれをするか?好きにして貰っても構わないぞ、俺は。」
そう言うと、新人はあからさまに動揺した。
ダヴィネの命令は絶対だ。彼が【黒炎払い】として働けと命じるならそうするしかない。そしてその彼の命令に逆らえば食事もマトモに出やしない。早々に生きるのを諦めたくは無いのなら、此処で働いていくしか無いのだ。
「ふ、ふざけんなよクソどもが!!てめえ等みたいには絶対にならねえからな!!」
だが、それを理解できるほど、今回寄越された新人の頭は良くなかったらしい。
そんな風に捨て台詞を吐いて、握っていた竜殺しを手放してそのまま逃げ出した。地下牢に戻ったらしい。どうせ戻ったところで、帰る場所など無いというのに、哀れなことだ。
「隊長……どうします?」
「放っておけ。【焦烏】が結果をダヴィネに教えているころだ。すぐに逃げられぬと気付くだろう」
自分の立場を理解しておめおめと此処に戻ってくるか、あるいは地下で仕事を探してダヴィネに認められる為に藻掻くかは彼の選択次第だが、厳しいところだろう。そもそも地下に役割が無いと判断したからダヴィネがこちらに寄越してきたのだ。
「帰還する――――いや、戦闘準備だ」
ボルドーはそう言って【竜殺し】を引き抜く。彼の部下達も同様に槍を構える。
彼等が居る場所は地下牢の地上部、かつて衛星都市だった都市部の外周部だ。既に都市を囲む外壁と【太陽の結界】は存在せず無防備な有様である。当然、魔物、黒炎の呪いを運ぶ“鬼たち”の襲撃は起こる。
『AAAAA………』
黒炎に焼き焦がれ砂漠と化した不毛の大地。
黒炎砂漠の砂塵の奥から黒い炎が揺らめき、こちらに近付いてくる気配が複数確認できた。ゆらゆらと不安定に蠢きながらも、それらは真っ直ぐにこちらに近付いてきている。
黒い炎に飲み込まれ、憤怒の竜の末端と化した魔物達。【黒炎鬼】だ。
探索魔術によって探りを入れた術者が小さく囁いた。
「黒炎鬼、2、いや3体。内2体は獣型。残るはヒト型です」
「獣から殺す」
ボルドーが言うや否や、弓矢を構えた戦士が二人進み出て獣へと放つ。その射撃は素早く、そして的確だ。遠く、蠢くようにいた子犬のような形をした真っ黒な獣は即座にその胴体を射貫かれ、身震いして沈んだ。
黒炎を知らぬ者からすれば惨い仕打ちのように見えただろう。だが、ボルドー率いる一行には強い緊張が走っていた。彼等は自分たちが射殺した筈の黒い者を睨み続ける。
そして、転がった黒い獣2体の内、1体の炎が突如として大きく燃え上がった。
「活性化した!」
「魔術部隊!」
獣から湧き上がった炎は轟々と燃え続け、一気に数メートル規模の大火に変貌を遂げた。周囲でゆっくりとこちらに近付いていたヒト型の黒炎鬼達は、その炎に巻き込まれ、身体の彼方此方に黒い炎を燃え広がらせる。
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
鬼達が叫ぶ。黒い炎が増大すると共に、彼等の肉体が膨張する。只人の成人と変わらない程度の体躯が3メートル超の巨体と変わり、頭から二本の長く大きな角が伸びる。
黒炎鬼は黒い炎の火力によってその力を膨張させる。
だからこそ尚のこと、黒炎を放置することは出来ない。
「【砂塵よ!】」
術者が地面を叩き、唱える。
ボルドー達の近くの砂塵が揺れ動く。一瞬盛り上がり、そして大質量の砂塵が一気に巨大化した黒炎鬼の元へと突撃した。
『AAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
巨体化した黒炎鬼は、迫る砂塵の波にも構わずに突撃してくる。黒炎鬼の目的は黒炎の延焼であり、その目的の為、生きた者に貪欲に向かってくる。現在の鬼の目標は当然、ボルドー達だ。そこに生物的な思考は無い。
だから、砂塵の壁にも一直線に向かって、そして飲み込まれる。
『AAAAAAAAAAAAAAA!!?』
大量の砂に押しつぶされる。容易には身じろぎ一つとれなくなるまでに。
だが、それでも黒炎鬼は完全には動けなくなっている訳では無かった。鬼は、身体の大半を土に埋もれさせながらも、そのまま両腕を振り回し、砂を掻き分け、吹き飛ばす。そして僅かずつでも前へと進む。
それは、何が何でも、ボルドー達を焼くために。恐ろしいまでの執念だった。だが、
「沈むが良い」
『A――――』
動けないのならば、狙うは容易い。
ボルドーが投擲した竜殺しが、鬼の頭部を直撃し、粉砕した。間もなく彼を取り巻いていた黒炎は竜殺しに吸い込まれ、そして消失する。
その結果を見て、ボルドーは小さく溜息をついた。
「損害報告。だれも黒炎に焼かれてはいないな」
その問いに全員応じる。ボルドーは良しと、小さく頷いた。
”活性化”が起きて尚安全に狩れたのは幸運と言えた。それに巻き込まれ巨大化した鬼がヒト型一体のみであったのも。コレがもっと数がいれば、あるいは、活性化に飲まれたのが獣型であったなら、容易くは無かっただろう。今日は楽だった。
「矢と槍を回収し、帰投する。矢は回収困難であれば諦めるぞ」
短い指示と共に、本日の巡廻は終わりを迎えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人手が足りない。
ボルドーが今ずっと頭を悩ませている問題だった。
【黒炎払い】の人数が少ないか、と言えば否だ。地下牢の中での仕事が見つけられなかったろくでなし達が此処には常に補充される。下手をすれば、現在【焦牢】に存在している勢力の中で、【黒剣】らを除けば最も数が多い。
だが、数に対して質が全く伴わない。
当たり前のことではあるが、彼等は別に元から戦士というわけではない。地下牢の住民の大半は犯罪を犯した囚人だ。それも、各都市から爪弾きにされたような連中か、厄介な事情をかかえて送り込まれてきた排斥者達である。
彼等の多くに戦いの心得などあるわけがなく、マシな者がいたとしても、黒炎の呪いに腰が引けてやはり使い物にならない。
呪いが恐ろしいのは間違いなく、怖がるなとも言いづらいのは確かである。が、しかし黒炎鬼どころか、それが残した【黒炎】にすらろくに向き合えないようでは本当にどうしようもない。そんな役立たずをとりあえずと言う風に送ってこられても困るのだ。
「……また、ダヴィネに言ってやらねばならぬか」
彼はそう言って地下牢への階段を進み中へと入った。
「うわ、出た。払い達だ。」
「近寄るなよ。呪いが移るぞ……」
途端、囚人達が道を空ける。好き勝手な事を言いながらも彼等は一切こちらに近寄ろうとはしてこない。視線に籠もるのは侮蔑と嫌悪だ。【黒炎払い】であればこの視線は常だが、うっとうしさは変わらない。
「馬鹿どもが。誰が此処を守ってやっていると思ってんだ……」
「放っておけ」
ボルドーと彼の直近の戦士達は【黒炎払い】の中でも選りすぐりだ。ダヴィネが追加で送ってくる木っ端達とはワケが違う。故にプライドもある。
真にダヴィネが頼っているのは我々である。と言い聞かせている分、他の連中が黒炎払いを見下しているように、黒炎払いも他の連中を見下している。この相互の溝は埋まらない。あえて埋める理由もないが。
そう思いながら、彼は【黒炎払い】の集会所に戻った。
「ボルドー隊長」
そして入った矢先に、黒炎払いの隊員の一人が彼に駆け寄ってきた。隊長と自分を呼ぶのはかつての討伐隊の一員の者だ。その古参の女術者が珍しく困惑した様子でいる。
ボルドーは装備を脱ぎながら問うた。
「どうしたというのだ」
「それが……」
そういって、彼女はチラリと部屋の奥へと視線を向けた。その先には他の黒炎払い達も集まり、そして一点に視線を集めていた。その先に居るのは一人の少年だ。
そう、少年である。現在地下牢で少年と呼べる年齢の囚人は一人だけだ。現在の地下牢で最も話題を集めているその男は、ボルドーへと近づき、そして手を差し出した。
「ダヴィネからの命令で此処の新人になったウルだ。これからよろしく頼む」
灰色髪の只人の少年を前に、ボルドーは眉をひそめた。
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