表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
177/722

灰色の獣


 五年前

 大罪都市グラドルは壊滅の危機に見舞われようとしていた。


『――AAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』


 この世界においてはある意味最も定番の脅威、魔物の襲来である。

 襲来した魔物は【一目鬼】。

 本来、迷宮の深層に出没する六級の魔物だ。しかし、現在、グラドルに襲撃をしかけたその魔物は、その階級の強度ではなかった。

 どう違うかと言えば、規模が違った。通常、一目鬼はその全長が2-3メートル、大型のものでも10メートルほどだ。無論、それでも脅威である。その巨体と重量を持ちながら、不合理なまでに自在に手足をヒトのように動かし、大樹を引き抜いて鈍器のように振り回す。


 そんなバケモノが、50メートルの超個体で姿を現したのだ。

 都市の中から、防壁を超えて見えるその巨人は異常の一言だろう。それが――


『AAAA『GUUUUUUUUA『KKKKKK『『AAA!!!!!』』』』』


 “混ざって”出た。

 ベースは一目鬼なのだろう。ヒトの形をしている。だが、それ以外が大きく異なる。右腕があるところに、刀鱗大蛇がのたうっている。胴体は獅子の顔が、胴から下は6足が馬人のように地面を踏みしめる。だが、その下半身は例えるなら甲虫のそれだった。


 果たして、一目鬼と評していいものかすら妖しい合体獣(キマイラ)だった。


 あまりにも歪な合成体、不出来な子供の粘土細工のような、滑稽にすら思える姿だった。とはいえ、そのひしゃげたバケモノが、大地を震わせ都市を揺らし脅かすものだから、グラドルの民はとてもそれを笑うことは出来なかったが。


 太陽神の結界という最大の防壁を以って尚、グラドルは恐怖した。


 騎士団による討伐は既に失敗した。その巨体からグラドルへの接近は早い内に察知出来ていたのだ。にもかかわらず、間際までの接近を許してしまったのは、単純にどうすることもできなかったからだ。


 物理的な攻撃も、魔術による破壊も通さない岩のような分厚い皮膚。

 圧倒的な巨体から振り下ろされる、理不尽な暴力。

 腕の蛇が騎士達を一呑みし、獅子の頭は火を噴き、6本の足が騎士達を無残に引き裂く。


 魔物の出現自体が少ないグラドルの地域性も相まって、弱体化していた騎士団では対処のしようが無かった。太陽の結界により巨人の侵入は阻まれるものの、物理防壁の上から顔を覗き、朝も夜も絶えず防壁を破壊せんと攻撃を続ける悍ましい姿に、都市の中は恐慌状態に陥っていた。


 都市民達は都市民として与えられた仕事を放棄し、神殿へと駆け込み、祈ることも忘れて震えるばかり。眠ることすらままならない。

 神官達や従者達もまた、似たようなものだった。精霊の力での抵抗も、微々たる結果しか生まなかった。精霊は万能であっても、操る神官は万能ではなかったのだ。


 グラドルから逃げ出すか。

 あるいは、辛酸をなめる思いで、大罪都市プラウディアへの助力を乞うか。


 そんな話が囁かれるようになった、その時だった。奇跡が起きたのは。


 ――誅せよ、大地の精霊よ 


 少年のその一声で、大地から、巨人をも見下ろさんばかりの大地の化身が姿を現したのだ。山脈のような巨大な岩の塊が、ヒトの形を成す。唯一神(ゼウラディア)が降臨したと勘違いする者が出るほどだった。


 ―――薙げ


 大地の化身がその腕を一振りした。振り下ろされた時、発生した余波の風だけで、グラドルの防壁は一部吹っ飛んだ。そしてその一撃が直撃した一目鬼の形をした合体獣は紙切れのようにその身体が弾け、大地へと還っていった。

 グラドルの誰もが対処できなかった巨人を一瞬で振り払う。まさに奇跡だった。


 その奇跡を起こしたものが、次代の神官長となる少年であったとなれば、恐怖と絶望が熱狂へと変わるのも当然の事だった。


 ――我らが王エイスーラ、大地の精霊の化身にしてグラドルの守護者よ!!!


 彼の功績は国中を巡り、グラドル中の民が彼を支持し讃えた。彼は若くして伝説となり、物語となって歌となった。結果、彼は実の父を神官長から実質引きずり下ろし、役立たずだった騎士団を掌握し、神殿直属の天陽騎士団を私兵と化し、その全てを認めさせた。


 この一件が、エイスーラの手引きによって起こされたのではないかという意見を口にした者は全て消された。


 かくして、まぎれもないグラドルの王となった彼は、己の欲望のままに邁進する。あらゆる贅を喰らい、おおよその者が味わえない快楽を味わい、尚も彼は満足などしなかった。 


 足りない!まだ足りない!!次を!!次を!!!!!!


 大罪都市プラウディア、大連盟の盟主を疎み、その頂点の簒奪を彼が計画するのは必然だった。果てのない餓えは、彼の腹の奥底でくすぶり続けていた。


 そして、そんな風に、ずっと上を見続ける彼だからこそ、気づくことは無かった。


 餓えて飢えて、上へ上へと手を伸ばし、踏み台にした足下で、どんな石ころが転がっているかなどと。


 


              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 そして、現在。


「殺す?私を?愚かしさも大概にしろ塵屑が!!」


 灰色の髪色、名無しの少年の宣告を、エイスーラは驚き、そして即座に嘲笑した。

 殺す?自分を?今さっき、ボールのように自分に地面を這いずり回されたただの名無しが?勇者もいないこの場で?

 小賢しくも時間を稼ぎ、結界を用意したらしいが、その程度で自分が打ち破れると思っているのなら冗談としても出来が悪い。


「もういい、さっさと引導を渡してやろう――」


 死ねと、そう宣言し、大地の精霊の力を振るおうとした。

 だが、それよりも早く、名無しの男は何かを此方へと放った。エイスーラが反応できない程の速度で、彼の頭部に直撃するように。


「っが?!」


 それは薬瓶だった。硝子が砕け、赤黒い液体がエイスーラの官衣を汚す。常に大地の加護を受けている彼に怪我も痛みもない。だが、自分の衣類が汚されただけで、彼の怒りは沸点に到達した。


「そんなに死にたければ死ね!!!!ウリガンディン!!!」


 激昂と共に、両手を広げ、大地の精霊の名を叫んだ。

 大地を隆起させ、平原に土砂崩れを巻き起こす。大量の土と岩でまとめて圧殺する。彼の何時もの手口だった。多量の魔物の群れであっても、一振りで殲滅出来る必殺の一撃――――の、筈だった。


「…………あ?」


 だが、何も、起こらない。

 エイスーラは生まれて初めて、奇妙な手応えの無さを感じていた。物心ついたときから、彼には大地の精霊が側にいた。手足のように自由に思うままに与えられた加護を操る事が出来ていた。

 大地の精霊の寵愛者。

 鍛錬も祈りも無く、持って生まれたギフテッド。呪いの鏡に愛されたエシェルとは対極だった。彼にとって、その力は奇跡でなく当たり前だった。

 その力が、今、彼の中から消えていた。唐突な欠落に、彼は呆然となった。


「格好いいポーズだな。王サマ」


 気がつくと至近に、名無しが近づいていた。深く踏みこみ、竜牙槍を一気に突き出す。反射的にエイスーラは手を前に翳す。防御態勢はそれのみだ。常に大地の精霊の無敵の加護に守られ、更に今は不動の加護まで重ねている。ただの力押しの暴力など通るはずも無い。

 だが、直前に悪寒が走った。


「――――っ!?」


 それは今際の際に発露した、防衛本能だった。殆ど転げるようにして後ろに下がる。真っ直ぐに、エイスーラの喉をねらっていた竜牙槍は、僅かに逸れて彼の肩に突き刺さった。

 突き刺さった。無敵の加護を貫通し、彼の肉体に、その穂先が食い込んだ。


「ぎ、がああああああああ!?!!」


 肩から、燃えるような熱を感じる。普段の生活において「怪我をする」機会など殆どない彼にとって、「痛み」という刺激はあまりにも強烈だった。竜牙槍が、その先端を僅かに貫いただけであっても、地面に転がり悶える程に。


()()()()()()()()()()()()()()()()、か。なるほど」


 名無しは肉を貫ききる前に押し返された竜牙槍を眺め、納得したように言った。そしてそのまま、エイスーラの事を無視するように、右手に巻かれた黒い包帯を外していく。


「き、き、貴様!貴様!!何をした!?」

「それならコッチはどうかね」


 エイスーラの言葉を無視して、彼は右腕を振り上げる。黒い包帯の下から姿を現した名無しの右腕。只人のソレとはかけ離れた、白色、爬虫類のような皮膚と鱗、長く伸びた爪をした、悍ましい右腕を。


「よっと」

「っごあ!!!?」


 拳がエイスーラの顔面に直撃した。血が噴き出す。鼻柱がへし折れる。魔力によって強化された冒険者の一打と考えると、顔がひしゃげないだけマシではあるが、それでも「顔を殴られる」など経験したこともなかったエイスーラに与えられた衝撃は凄まじいものだった。


「こっちも無効化、ではないか。少しは貫通出来るだけでもマシか、なっと」

「ごえ!!ぎゃ!?!」


 殴打が繰り返される。首根っこを引っ掴み、執拗に顔面に叩きつけ続ける。全て全力だ。岩でも砕くような万力を込め、両足を地面に食い込ませ、身体を捻って拳に乗せる。大きく、鈍い、肉を打つ音が繰り返し平原に響いた。

 淡々と、相手を撲殺するために拳を振り上げ続ける名無しに、エイスーラは恐怖した。


「やめろおおおおおおおおお!!!!」

「む」


 エイスーラが叫び、両腕を振り回す。失われていた欠落、大地の精霊の加護を必死に掴む。血を吐くように叫びながら、自分の身を守るため、全方向に岩石の槍を隆起させる。名無しは後方に飛んでそれを回避した。

 殴打され続けた顔の痛みに身悶える。息をするだけで痛みが走る。何もかも耐えがたかった。ましてやその傷を、最底辺の名無しに負わされるなどと。


「殺ず!!死ね死ね死ねえええええ!!」


 再び大地を動かす。溺れる最中、水を掴もうとするような手応えの無さに藻掻きながらも、力を振るう。形になり、崩れ、再び固まる。半ば崩壊した巨大な腕が中空に無数に出現し、流星のように振り下ろされる。

 

「【【【【影よ黒鎖となりて唄い鳴け】】】】」


 だが、大地の猛攻は、女の名無しが唱えた魔術と共に防がれる。エイスーラを囲っていた黒い壁から一斉に、幾多の鎖が伸び、土塊の腕を掴み、縛り、そのまま砕いた。

 本来の力なら、あの程度の魔術に砕かれるようなことはあり得なかった。

 物量も火力も、明らかに弱体化している。普段の100分の1も力を引き出せない。


「なにを、何をした!屑が!!!」

()()()()()()()()


 激昂したエイスーラの詰問に対して、名無しはなんでもないような表情で、予想もしない答えをだした。

 大罪竜?

 その呼称は勿論知っている。この世界にいる誰もが知っている。唯一神、太陽神ゼウラディアと敵対する、世界の敵、邪悪の権化、ヒトの原罪の化身達。7つの迷宮の奥深くで、今なお地上へと顕現せんと目論む邪悪。


 その、呪い?


「正確に言うならば、大罪竜に呪われた、俺の血だ。効果有りと、ジャインが報告してくれて助かったよ。カルカラで実験してみたけどそれだけじゃ不安だった」


 エイスーラの法衣が赤黒く濡れている。一番最初、開幕に浴びせられた謎の液体が、彼の身体を穢していた。今更に漂ってくる血生臭さと、身体の芯から忌避するような、得体の知れぬ嫌悪感がエイスーラを強ばらせた。


「じょ、【浄化】を……」 

「【縷牙・色竜呪血】」


 対して、名無し達は情け容赦なく動く。

 その異形の右手を、竜牙槍の先端で貫いた。赤黒い、エイスーラを穢したものと同じ色の血がその手から噴き出す。血は、こぼれ落ちること無く、竜牙槍の刀身に纏うように付与エンチャントされた。

 黒紫の刀身に、赤黒い血の付与。

 不吉極まったその槍を、エイスーラへと向け、踏み出す。エイスーラは思わずのけぞり、そして逃れようと踵を返した。


「【地縛】」

「なっ!?」


 が、しかし、自身の足に絡みつく鎖に動きを封じられる。此方の怖じ気に気付いたように先回りしてきたのは名無しの女だ。その所業にエイスーラは怒り、苛立ち、しかし抵抗することも出来なかった。


「【呪呪突貫】」


 視界から消えるような速度の踏み込みと共に、呪いの槍がとんできた。エイスーラの身体に叩き込まれたそれは、皮膚をえぐり、肉を貫いた。


「っっっっっがあああああああああああああ!!!」

「届いた。よし」


 勢いは殺せず、エイスーラは地面に叩きつけられ、それでも勢いを殺せず地面に転がる。奇しくも先ほどエイスーラが名無しの男に対して行なったそれと同じ有様だった。


「っが!!っぐ!!っぐっそ……!!」


 エイスーラは激痛にあえぎながら、懐を漁る。

 探そうとしていたのは転移の巻物だった。緊急用の脱出装置。あの“名無しの合成人”を使うために単身で出る以上、その備えは必然だった。巷で蔓延るような粗悪品ではなく、本物の転移の巻物だ。

 名無し達を前に尻尾を巻いて逃げ出す、など屈辱の極みだったが、兎に角、今すぐに此処を逃げ出さなければ――


「【黒鎖】」

「っあ!?」

「申し訳ありません。逃がすわけにはいかないのです」


 それを取り出した瞬間、巻物は再び出現した黒鎖によって容赦なく引き裂かれた。バラバラになった巻物はほんの一瞬だけ輝くが、次の瞬間にはただのぼろきれと変わった。


「こ、の女……!!!」


 エイスーラは叫び、女を押しつぶそうと大地を動かす。だが結局先ほどの再現で、周辺の黒い壁から蠢く鎖に次々と阻まれ、砕かれていった。女が魔術を唱えるたび、闇の壁から鎖が擦り合うような音が大きくなる。その不快な音と、傷の痛みが、彼の感情を逆撫でにした。


「……な……んなんだ、貴様ら!!!なんの謂われがあってこんな真似をする!」


 エイスーラは叫んだ。

 分からなかった。どうしても納得がいかなかった。


 【七天の勇者】が自分を殺そうとするならばまだ納得がいく。

 愚かしい姉が自分を殺そうとするのでも、まだ道理はあるだろう。

 だが、コイツラは、そもそも()()


 勇者の近くにいたのだから、彼女の僕かなにかなのだろう。

 冒険者の指輪をしているから、恐らくは冒険者。分かるのはそれだけだ。

 それ以上の情報は無く、そもそもそれ以上の“何か”であるようには全く見えない。そんな連中が、なぜ、勇者の意向を無視して、大罪都市の王である自分を殺そうとする???


「貴様らはなんだ!!何者だ!!!」

「ただの冒険者だが。まあ、竜に呪われたのは正直人並み外れて不運だったけどな」

「その冒険者がなぜ私を狙う!!あの愚姉に頼まれたからか!?」

「エシェルに依頼されはしたな。理由はそれだけじゃないが」


 名無しの男は首を横に振る。


「名無しどもの敵討ちか!?」

「いや別に。同じ名無しと言ったって、血の繋がってない顔も知らん他人だしな」


 名無しの男は首を横に振る。


「ならば、なんだというのだ!!!何が目的で私を狙う!!!」

()()()()()()()()()()()()()()()


 名無しの男は、不思議そうだった。

 何故にそんなことを問うのか分からないと言うように、その理由を口にした。


「自分で言ってたじゃないか。死ねと。エシェルに自殺しろと」


 確かに、それは言った。彼女への伝言であり、勇者への宣戦布告として魔術で言葉を送り込んだ。実家で彼女が暮らしていた時と同じように、出来る限り彼女の心がズタズタに傷つくように、言葉を選んだ。

 別になんてことは無い、彼にとって当たり前の行動。それがいったいなんだと――


「じゃあ、仕方ない。()()()()()()

「…………は?」

「エシェルは()()()()()()()。その女をお前は殺そうとしている。そうだろ?」


 じゃあ、殺すしか無い。


「殺しなんてろくでもないけど、自分の身内が殺されるんなら、仕方ない―――アンタは俺の敵だ」


 その敵が偶々偶然、ノコノコと一人で間抜けにも都市の外に出てきている。なら今殺す。確実に殺す。

 彼はそう言った。


「――――…………」


 エイスーラは、絶句した。

 その理屈は、エイスーラからはあまりにも縁の遠い代物だった。

 エイスーラが暗殺されそうになったこと自体は、別に珍しくもなかった。彼を取り巻く敵意は様々だ。国家間の策謀、暗躍、神殿内での政治闘争。そこにはあらゆる主義主張、欲望、信念、信仰に憎悪と多様極まる感情が渦巻いている。

 どれも一枚岩ではなく、グラドルという長く深い歴史の中で全てが煮詰まっていた。そう言った敵意の数々を、エイスーラは大地の精霊の力によってなんら傷を負うことも無く叩き潰していったのだ。

 だが、“これ”はそんなものではない。


「俺や、俺の家族も仲間も、ディズもなぶり殺しにするって言ってたよな。じゃあますます生かして帰すわけにはいかなくなってしまった」


 それは獣の理屈だった。


「ここは都市の外。死体の隠蔽も容易だ。この絶好の好機に、今ここでお前を殺すしか無いんだ。俺は」


 自分や家族、友人、恋人、それらを護るために敵を排除する。

 もっともらしい主義主張など皆無の、原始的な本能に基づく、殺意だ。


「――――わ、分かっているのか?お前」

「何が」

「私を殺す意味を分かっているのか!?私はエイスーラ・シンラ・カーラーレイだぞ!?シンラ!!カーラーレイだ!!!!」


 エイスーラの問いには、焦燥感が混じった。何せ、分かってしまったのだ。目の前の男が、どこぞの敵対神官が送り込んできた暗殺者でも、勇者が保有する尖兵でもない。

 本当にただただ命惜しさに此方を殺そうとしている、路傍の石ころであると。


 そして信じがたいことに、そんな奴に、今、自分は殺されそうになっているのだと。


「幾度となくグラドルに住まう民達を救い、いずれは大罪都市プラウディアも喰らう真の覇者だ!!それを殺す意味を、理解しているのか!?どれほどの影響が出ると思ってる!!!」


 返事は無かった。代わりに一歩、名無しはエイスーラへと近づいた。


「グラドルには私を英雄とする者が多くいる!投資をする者もだ!!私が死んだ瞬間、破滅する者は数え切れない程いるのだぞ!!!」


 返事は無かった。代わりに、名無しの握る竜牙槍が駆動し、魔力の光が脈動した。


「私の存在がどれほどグラドルに住まう民達の利益となっていると思ってる!その罪深さを!!理解してその凶行に臨んでいるのだろうな!!!」

「罪……ああ、そうだな」


 返事があった。名無しの男は、自身の胸に呪われていない方の手を当てる仕草をする。少し、哀しそうに、嘘偽りも演技もなく、真剣な表情で、


「敵とはいえ命を奪うことになるなんて、罪悪感で胸が痛むよ。盗賊達を殺した時ほどじゃないが」


 それ以外の呵責はないと、そう告げた。


「――――――っ」

「さて、もういいか?じゃあ」


 男は、槍の柄を強く捻る。脈動していた魔力が、禍々しい真っ黒な閃光となり槍から溢れる。エイスーラは反射的に眼前に岩石の壁を生み出した。


「死んでくれ」


 烈光が放たれる。エイスーラが生成した岩石の盾はあっけなく粉砕される。飛び散る岩石を押しのけ、ウルは迫る。


「ひっ!??」


 反射的に、エイスーラは背を向けた。名無しに怖気づいて、背中を向ける屈辱など最早頭をよぎることも無かった。迫りくる灰の獣が放つ、息もできなくなるような殺意が、彼の矜持を粉々に砕いた。

 胸元に用意していた通信魔具は先ほどから何度も鳴らしている。周囲に待機している天陽騎士たちへの救助要請は既に繰り返し行なっている。だが、返事はない。耳元では黒い鎖がこすれ続ける騒音がなり続けている。それが通信阻害を行なっているのだとエイスーラが理解するだけの余裕はなかった。


「【黒鎖よ鳴き叫べ】」

「ぐう!!?」


 ずっと響いていた金属の擦れ合う音が、激しくなった。最早騒音というよりも轟音に近い。耳を塞いでもなお、頭を揺らすような音にエイスーラは身じろぐ。何が起こるかは不明だが、身を守ろうとした。だが、時既に遅く――


「【黒鎖王獄】」


 全ての壁から、エイスーラただ一人を狙う黒鎖が伸びる。両手足は瞬時に縛られ、両手を広げる姿のまま、身じろぎ一つ取れなくなった。

 まるで死刑囚が磔にされるようで、エイスーラはこれまでで一番の悪寒が走った。不味い。この状況は絶対に不味い。今すぐにでも逃げ出さねば――


「こんなものすぐに――――」

「“すぐ”は、もうこねえよ」


 目の前から声がした。

 同時に、彼の首に、巨大な刃が突き立った。


「っああああああああ!!!ああ!?!やめ!!!がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!


 なまじ、未だ彼を守らんとしていた大地の加護が、半端に残り続けていたが故に、彼の死は長引いた。黒紫の穢れた刃が、徐々に徐々に、皮膚を裂き、肉に食い込み、血管を千切り、骨を断とうとするのを、エイスーラはその身でじっくりと味わう羽目となる。絶叫と、自分の血しぶきを浴びながら、エイスーラは自らを殺そうとする者と目が合った。


「――――」


 あらゆる感情を押し込め、決断した者の目だった。

 自分を殺すことを決め、そのために万事を尽くした者の目だった。

 その殺意の強さに、エイスーラはようやく、自身があまりにも浅い覚悟でこの場に立ってしまっていた事に気がついた。何があろうとも、目の前の敵を滅殺するという覚悟が、決定的に不足していたと。


 そして、その後悔は、あまりに遅すぎた。


「ああああああああああああ          あ        」


 致死に届いた刃が、彼の絶叫と命を断ち切った。


評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい文章をいつもありがとうございます。
[一言] 王殺しのウルになってしまった……。 驕った強者を、獣の道理でブチ殺す主人公。 格好良いですね!
[良い点] スッキリー
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ