表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
176/722

悪意と殺意


 竜吞都市ウーガの簒奪は成った。


「…………やった――」


 エシェルはフラフラと、自分の手に刻まれた制御術式を掲げた。自分を悩まし、苦しませ、振り回し続けた全ての元凶。それを、にっくき弟から奪い取った達成感と、今なお尽きない怒りを吐き出すように、手を血塗れにしながら此方を睨み付けるエイスーラに、エシェルは笑った。


「ざまあ、みろ、エイスーラ――――」


 それだけ言って、精も根も尽きたのだろう。ぱたんと地面に倒れ伏して、そのまま死んだように身じろぎもしなくなった。彼女の背後に顕現した【ミラルフィーネ】もまた、砂で出来た石像であったかのように、その姿を散らしていく。


「エシェル様!!」


 カルカラが悲痛な声を上げて彼女を抱きかかえる。ウル達もまた、彼女の介抱に向かいたかった、が、それはできなかった。

 都市奪還作戦は完了はしていない。


「…………!!」


 ウル達の視線の先には、手の平に穴を空けて血を流し、鬼気迫る形相でエシェルを睨み付けるエイスーラがいる。身体に穴が空いているのだ。悶えるほどの痛みだろうに、その痛みすらも彼の怒りを塗り替えることは出来ないようだった。

 襲いかかってくるだろうか。と、ウル達は身構えていた。だが、彼はふっとその怒りを表情から消した。懐に手を取りだし、回復瓶を手の平にふりかける。途端、清らかな魔光が彼の手の平を包みこんだ。


神薬(エリクサー)だ。さすがシンラ」


 ディズが解説する間に、エイスーラの傷は完全に塞がった。しかしそこから制御印が失われていた。彼は、手の平を何度も握りしめ、怪我の具合を確認すると、そのままディズを睨み付けた。


「よくもやってくれたな【勇者】、()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……は?」


 言っている言葉の意味を飲み込めなかったのか、カルカラは問い返した。ディズは違ったのだろう。呆れたように、侮蔑するように首を振った。


「そういうシナリオにするつもりか」

「我々は最初から、竜の呪いを解呪するための浄化部隊。だが、まさか、七天の末席がそれに関わるとは、天賢王の眼も腐ったものだ」

「名無し達の異形化も私の所為?」

「無論だ。我々グラドルの民を、人体実験の材料にするとは、許しがたい」


 演劇のような手振りで、彼は堂々と自分の罪の全てを勇者になすりつけていた。あまりにいけしゃあしゃあとした態度に、ウルは思わず感心した。非道極まる自らの行いをなんら恥じることも無くお前の所為だと謳っている。

 狂気である。ウルは思わず聞き入った。


「巫山戯るな!!そんなモノ、通るわけが無いだろエイスーラ!!」


 その狂気にカルカラは耐えきれなかったのか、気を失ったエシェルを抱きしめながら叫んだ。耐えがたい嫌悪を吐き出すように、彼女はエイスーラを糾弾した。


「今回の件は全て騎士団の審議部門に報告する!シンラといえど許されるなどと思うな!」

「許されぬのは貴様だ。裏切りの巫女め。邪教と繋がるなどなんと恐ろしい」

「なっ…!」


 その反論により、カルカラは再び絶句した。

 言い返せなかったのではない。あまりに言い返したいことが多すぎたのだ。証拠に彼女の口はパクパクと、陸に上がった魚のようになっていた。だが、首を振って、再び叫ぶ。


「どれだけの証拠が残っていると思っている!!貴様の悪行は星の数でも足りないぞ!!都市騎士団に全て報告する!」

「証拠?言ってみろ。何処に残っている?私が邪教と繋がり、都市を使い魔化し、大罪都市プラウディアに戦争をしかけようとした証拠が何処に?都市を守る騎士達も、さぞ失笑することだろうとも」


 カルカラは即座に言い返そうとした。が、そのまま言葉が止まる。彼女が睨むエイスーラの自信に気づく。

 この男は、本件が自分と繋がる証拠の一切を残していない。残っていたとして、知っている者がいるとして、それらは全て灰燼にしている。あるいはこれから、そうするつもりなのだ。


「逆に、邪教と、貴様の繋がりの証拠は全て押さえてある。覚悟すると良い」

「お前が強いたのだろうが!!!!」

「妄言も甚だしい」


 ウルは此処に来てようやく、今自分が向き合っている相手の正体を垣間見た気がした。

 相手はシンラだ。国のトップ、王様だ。

 彼が白と言えば黒も白になる。法に裁かれる側ではなく、法を作る側なのだ。


「お前がそれを通そうとも!天賢王がそれを許すはずが無い!!」


 唯一、それを正すことが出来るとしたら、それは全ての神殿の盟主たる天賢王のみだろう。しかし、エイスーラは笑った。強く、嘲笑った。


「たかだか衛星都市一つと名無しども数百人を潰した程度の些事で?」

「人身売買に人体実験、邪教との繋がり、天賢王への背徳に、神殿内で行われた不正の数々、数えれば両手ではとても足りない量の罪状を些事とは言ってくれるね」


 ディズが視線を地面に転がる巨大な肉塊を見つめる。人体の様々な部品が肉の塊から突き出る。子供のように小さな手足、老人の細腕、中には赤子の手まで。真っ当ならば直視するだけでも胸糞悪くなるような、悪行の数々。

 だが、それに対して、エイスーラはなんら感慨を見せなかった。彼の目にも巨大な肉塊は映っているだろうに、罪悪感など欠片も無い。己が起こしたものと、認識してるかすらも怪しかった。


「だが、些事、と、そう思っているのは私だけではない。()()()()()()()()()?」

「……ま、そうだね」


 ディズは肩を竦める。カルカラは驚くように、咎めるように彼女をみるが、ディズの反応は冷淡だった。


「現行の、唯一神(ゼウラディア)への信仰システムが崩れない限り、彼は手を出さない。枠組みを越えるイレギュラーの存在は許さないが、枠組みの中での荒事には動かない――――彼は悪徳を楽しむような悪趣味なヒトじゃないけど、単純に暇じゃない」

「奴にとって、虫籠の中の虫同士が殺し合ったようなものだ。動く道理などない」


 エイスーラの言葉の端々には嫌悪と、確信があった。国の王として、天賢王と向き合った経験から生まれたものであるのは間違いなかった。彼は、その場しのぎのための嘘やハッタリを口にしているのではない。ディズの反応からもそれが分かる。勿論、ウル達にとってソレは全く、望ましくないことだった。


「迷宮の氾濫から数百年。国境は離れ、【移動要塞】の行き来、名無しどもの放浪の他、国同士の繋がりは極端に薄まった。どれほどの干渉が出来るものか」

「そのための七天だと理解している?」

「なんなら、今から私を捕縛するか?当然、グラドルは全力でプラウディアに抗議する。あらゆる手段でもって“あらゆる全てを巻き込んで”貴様らを糾弾する。どれほどの混乱になるか、見物だな?」


 ソレは明確な脅迫だった。だが、ハッタリではないのだろう。エイスーラの浮かべる笑みには、狂気が宿っていた。形振りなど構わないと、言外に語っていた。


「そして勇者、それに与した者ども。我が愚かなる姉」


 再び、彼はウル達を指さす。やはり演劇でもするかのような仰々しい仕草。だが、その表情に宿るのは、白々しい笑みではない。


「後悔しろ」


 そこにあったのは、鬼気迫るまでに燃えたぎった、悪意だ。


「混じり物が、塵芥が、存在すら許されぬ罪人が、この私の邪魔をする?なんだそれは?そんなこと、許されて良いはずがないだろう」


 僅かに震えた声音だった。笑おうとしたのかもしれない。だが顔は歪に引きつって、頬に寄ったしわがヒクヒクと痙攣した。


「必ず殺してやる!!だがただでは殺さぬ!!今日、この日に行なった罪がどれほどのものかを後悔するほどのあらゆる苦痛を与え苦しめるッ!!!魂の一欠片も太陽神に寄越さず、汚らわしい悪竜に喰わせてやる!!!必ずだ!!!!!」


 エイスーラの怒りが、憎悪があふれ出した。口角から泡を吹きながら、引きつったような声を上げて喚き散らす。吹き上がる怒りを制御出来無いのか腕や足が別の生き物のように振り回される。

 子供の駄々だ。その駄々で、叩き潰される者がいなければ、滑稽と笑えもしただろう。ウル達は当然、笑うことなど出来なかった。


「私がそれをさせると?」

「貴様がいかに強かろうと、端先まで全てを守り抜くことが叶うのか?その細い腕と、小さな手の平で!!世界中の秩序を守る責務を負いながらなあ!!!」


 エイスーラの瞳が爛々と輝く。相手を痛めつけ、苦しめる悦びに満ちていた。


「私は出来るぞ。私の手は大陸中に届いている!どんな国の、どんな場所でも私の兵はいる。明日、貴様らが泊まるかもしれない宿屋にまでな!!」


 大罪都市神殿の(シンラ)としての立場、力を彼は十全に利用していた。この日の、巨星級の使い魔誕生のため、あらゆる根回しを行っていた。その全てを勇者(ディズ)達に向けると彼は宣言した。


「安心して眠れる日はもう訪れないと知れ!絶え間なく続く苦悩の果て、衰弱し続けろ!仲間割れし、信頼を失い、力を損ない、弱り切った果てに最大の苦痛を与えてやる!!!ハ!!ハハハハ!!!!!ハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


 狂笑が平原に響く。 

 彼以外の全員が押し黙った。ある者は呆れ、ある者は絶句し、ある者は怒り、しかし誰もが気圧されもしていた。自らのためだけに全てを省みず、他人をここまで憎悪できる怪物に慄いていた。


「……暴食の都市か、よくもまあこんなものを育んだものだね」


 その憎悪を真正面から受けたディズは、しかしたじろぐ事はしなかった。その瞳はエイスーラをずっと見つめる。恐るべき脅威と戦うときと同じように、目の前の怪物とどう戦うか、検討しているようだった。


「ディズ、アカネ」


 その彼女と、妹に、ウルは声をかけた。


「ウル?どうしたの」

《にーたん?》


 ディズは視線を一切エイスーラから逸らさずに応じる。彼女に握られるアカネもまた、剣の形は解かない。未だ臨戦態勢を解かぬ彼女達に対して、ウルはそのままの状態で言葉を続けた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――なんだって?」


 その、ウルの言葉には、流石にディズも集中を解き振り返った。ウルの表情は普段と変わらない。平静を保ち、自分の背後を顎でしゃくる。


「エシェルの容態も心配だし、置いてきた従者達も気になる。此処も、いつどこで魔物に襲われるかも分からない都市の外。一刻も早く戻る必要がある」


 カルカラに看病されたエシェルも顔色が真っ青だ。ロックンロール号の中ではリーネも疲労でぶっ倒れている。ウーガから距離を置いた場所に置いてきた従者達も、いつまで大人しくしてくれるかわからない。混乱して、外に出てしまったら魔物の餌食だ。

 満身創痍と言う他なかった。無事な者の方が少ない。


「疲労が溜まった俺達じゃ、全員をまとめて避難させるなんて出来ない。だからお前とアカネに頼みたい。従者達の位置はロックが教える。殿は俺とシズクでやる」

「ええ、お任せ下さい。ディズ様」


 ウルとシズクの言葉に理はあった。

 少なくとも此処で、エイスーラの狂乱を眺めるよりもよっぽど重要で、必要な指示。その筈だ。だが、ディズの表情はまるで晴れない。先ほどエイスーラに向けたものより更に鋭い視線をウルへと向ける。

 訝しんだアカネが、剣の形を解いてウルに心配そうに駆け寄るほどに、緊張感があった。


《にーたん?》

「アカネはディズを助けてくれ」

《わたしもこっちいよっか?》

「ダメだ」


 アカネの言葉に対し、ウルは断言した。ハッキリとした命令だった。アカネは少し驚き、少し悲しそうにして、少し怒った顔になった。ディズは妹を明確に拒絶するウルを見て、更に視線を鋭くする。

 しかし、それ以上彼女は何も言わなかった。代わりに、労るように、ウルの頬に触れた。


「ウル」

「なんだディズ」

「気をつけてね」


 それだけ言って、彼女はアカネと共にロックンロール号へと向いた。細かな詠唱を繰り返す。同時にアカネはその身体を細く、広く伸ばすと巨大な風呂敷のようになって、カルカラやエシェル、そしてずっと地面に沈んでいた“巨大な肉の塊のような生き物”を包み込んだ。それにディズは幾度か詠唱を唱えると、まるで中身が空気であるかのように軽く持ち上げ、そのまま、ロックに飛び乗った。


『勇者よ!ちゃんとしがみつけ!振り落とされるな!』

「了解。従者のところまで頼むよ。そのままウーガに乗り込む」

「ロック様。皆様が落ちてしまわれないよう、守ってあげてください」

『了解じゃ主よ。そっちも気をつけてな?カカ!』

《いくよー!!!》


 アカネが声を張ると共に、ロックが走り出す。ウルとシズクを置いて一目散に、駆けていった。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



《いくよー!》


 奇妙な使い魔の声と共に、エイスーラの目の前から勇者が離脱した。


「ふん……」


 エイスーラは、その結果に苛立ちと、僅かな安堵を抱いた。

 己の計画を徹底的に妨害した首謀者とおぼしき勇者。

 そして浅ましくも自分から王座の証とも言える制御術式を奪った愚姉。

 彼女達への怒りは間違いなく今も彼の心を煮えたぎらせていた。だが、勇者が大地の精霊に愛される自分であっても脅威であるのは事実だった。不愉快極まるが、認めざるを得ない。

 己に刃向かった害虫が、なんら手傷を負うことも無く目の前から逃亡した事への怒り、だが、結果として捕縛される事無く勇者を追い散らすことが出来た事への安堵。今の彼の頭を占めていた感情はこの二つだ。


 当然、目の前でぽつんと二人残された名無し達など、心底眼中にはなかった。


「急ぎ、計画を改めなければな……」


 失敗時の計画も、勿論組み立ててはいる。どう足掻こうと、グラドルが、自分の地位が揺らぐことはないようにしてきた。最大の目的が失敗した以上は口を塞がなければならない者の数は増えるが、全ては想定の範囲内だ。

 彼は今後の予定を組むべく、大罪都市グラドルへと帰還するため【転移の巻物】を起動させようとした。


「ああ、すまない。ちょっと待ってはくれないか」

「…………は?」


 その矢先、まさか目端にもとらえていなかった名無しが声をかけてきた事に、彼は驚愕した。道端で蠢く虫が、いきなり話しかけてきたら、誰とて驚きもするだろう。


「なんだ、貴様」

「いや、少しあんたに用があって」


 エイスーラはウルの言葉を聞くや否や右腕を軽く振るった。次の瞬間、大地が隆起し、槍のようになって飛び出す。名無しの男は後方に飛ぶが、僅かに遅れれば彼の脳天は無残に弾けていただろう。


「何を勘違いしているのだ貴様。用?名無しが?この私に?声をかけることすらおこがましい愚物が何様のつもりだ」


 エイスーラの怒りは、彼の価値観からすれば、あるいは、都市国家内での力関係を思えば当然であった。彼は大罪都市の(シンラ)であり、大陸でも有数の権力者だ。

 都市に暮らす都市民ですらも、彼相手には声をかけることは愚か、顔を見合わせることすら躊躇う。万が一にでも無礼を働けば良くて都市追放。悪ければ死刑だ。

 彼と、彼以外では天と地ほど、権力に差がある。まして都市に暮らす事すら許されない名無し如きが、なれなれしく「用がある」などと、その場で首が物理的になくなって当然の無礼だ。


「そんなに死にたいなら殺してやろう」

「死にたくはないが、話は聞いてほしいな」

「貴様」

()()()()()()()()()()()()


 名無しが、しれっとそう口にした瞬間、怒りに燃えさかるエイスーラの魂に、新たな燃料が注がれた。片手を鋭く突き出す。次の瞬間大地が再び隆起し、巨大な大槌となり名無しへと叩きつけられた。今度は逃げることは叶わなかったのか、前に構えていた盾ごと吹っ飛ばし、地面に無様に転がった。


「ぐっ……」

「貴様が、あの愚姉を唆したと?貴様がこのくだらない状況の元凶だと」

「があ!」

「名無し如きが!この私の!邪魔をしたと!!!」

「………!!」


 エイスーラが手を振るうたび、大地が隆起する。一切の詠唱も起こる事無く、大地が弾け、そのたびに名無しは地面に転がっていく。実に取るに足らない、無様な有様だった。そんな塵が、自分の邪魔をしたという事実が更に腹立った。


「で?その、大罪人がなにを私に用だと?言ってみろ。え?」


 憎悪は溢れかえり、留まらない。だが結果、名無しはエイスーラにとって路傍の塵芥ではなく、目の前で蠢く鬱陶しい害虫に変化した。何を喚くつもりなのか、聞くだけの意味は生まれたのだ。

 早くもボロボロになった名無しは、しかし立ち上がった。怪我の具合を確かめるようにした後、まるで友人と世間話でもするかのようなゆったりとした口調で、語り出した。


「……冒険者を始めて、知った。この生業は、同じ名無しを相手にする事が結構ある。都市外で盗賊紛いを行なったり、迷宮で強盗するような犯罪者達だ」


 冒険者として、誰かからの依頼を受け、犯罪者達を討つ事は珍しくもない。あるいは依頼が無くとも、自衛のため、彼らと殺し合いになることもこれまた珍しくない。そんな当たり前のことを、何故か名無しは語り始めた。


「そいつらはまあ、碌なもんじゃない。何人もヒトを殺してるようなクズどもだ。どんな聖者が説き伏せても、反省も後悔もしないろくでなし。捕らえるか、出来ないなら殺すしか選択肢はない……って言って、大体は後者になるんだがな」


 犯罪者を生かし、捕らえる。それだけでもコストはかかる。都市の土地も食料も限られる。【祈り】という対価も払うことが出来ない名無しの、それも犯罪者を、わざわざ生かして捕らえるメリットなど、都市にはない。

 だから、依頼される場合の多くは、犯罪者達の“物理的な排除”となる。それを残酷とは誰も思わない。道を外れ、罪を犯し、排斥されたのは当人の責任だ。


「ただ、思うことはある。名無しの犯罪者達が道を外れた原因の多くは、“生きていくため”だ。親にやらされて、綱渡りの生活に疲れて、何かに巻き込まれて、結果、“正しく生きたくても生きられなかった”奴らは多い」


 生まれ持った素養はあれど、ヒトの大部分を創るのは環境だ。劣悪な環境で、社会的な秩序を身につけることは困難だ。名無しに罪人が多くなるのは必然と言える。

 安全な場所で、自分の家で眠ることすらままならないのが殆どなのだから。


「だから、そういう奴らを殺すとき、胸が痛む。正しく生きるための機会も教育も与えられず、藻掻くだけ藻掻いて、沈んでいった名無し達を殺すのは」

「――で?それがなんだというのだ?」


 そこまで聞いて、ようやく、エイスーラの我慢にも限界が来た。


「名無しの犯罪者?塵の中でも最もくだらない屑の話を何故、私が聞かねばならない。なんだこの無駄な時間は」

「それは――」

「ウル様」


 と、そこに、もう一人の名無し、憎たらしくも、先ほどエイスーラに囁き、敗北へと誘導した女が、名無しの男へと声をかける。彼女は少し悲しげに微笑みを浮かべながら、言った。


「準備が出来ました」

「了解。これ以上は厳しそうだな……んで、なんでこんな話をしたかというとだな」


 名無しは魔銀(ミスリル)の鎧の動きを確認し、兜の位置を正す。背負っていた長く大きな竜牙槍を右手に構える。


「あんたはシンラで、大罪都市の王だ。いずれその血族の長になる、最も恵まれた環境にいる男だろう」


 名無しがゆっくりと近づいてくる。何を言っているのか、エイスーラは殆ど聞き流していた。だが、名無しの男から意識を逸らしていたわけではなかった。


「勿論、そっちはそっちで苦悩もあろうが、少なくとも、その日食べるものに困って雑草を口にして腹を壊して糞まみれで死んだり、家族や仲間に騙されて捨てられて乞食になって死んだり、ナイフもどきを片手に握って迷宮に潜って死ぬ事も無いわけだ」


 意識をそらせる筈も無かった。

 首に纏わり付くような悪寒が、目の前の男から目を逸らすことを拒んでいた。

 仮面のように変わらぬ無表情。射貫くような鋭い眼光。獣のように前傾に傾く姿勢。一つ一つの男の挙動が、明確な意思を伝えてくる。


 地獄の釜で煮詰めたような、触れただけで焼き焦げるような、殺意。


「恵まれてたのに道を踏み外したあんたを殺すのに、躊躇う理由は少ないって話だ」

「【影よ我と共に唄い奏でよ・黒鎖結界】」 


 平原に突如、エイスーラを囲うようにした真っ黒な魔術の壁が高く高く立ち上る。強く、強大で、大がかりな魔術。それも護るための結界の類いではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それを仕掛け、尚も唄うように詠唱を続ける女と共に男は言った。


「死んでくれ。王サマ」


 使い手の意志を映すように、黒紫の竜牙槍が、鈍く光った。


評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ