彼女を殺す言葉
グラドルの王に仕えるべく、実家から送り出されたカルカラ・ヌウ・シーラが、カーラーレイ一族に命じられた仕事はただ一つ。
エシェル・シンラ・カーラーレイの“監視”である。
従僕として仕えるのではなく、監視。それは鏡の精霊、邪霊の寵愛を受けたエシェルを疎み、そして恐れた当主から命じられた使命であった。
彼女が邪霊の力を僅かたりとも発露させれば、直ちに“始末”を付けろという使命。
血も涙も無い命令だった。誰であろう、実の父親がそれを命じたのだから救いようが無い。そしてそれを拒否する選択肢はカルカラには無い。だれであろう、王の命令だ。首を横に振れば、彼女の実家、シーラ一族がどんな扱いを受ける事になるか。都市追放されれば、両親も、幼い妹たちも野垂れ死ぬ。
頷く以外の選択肢は無かった。
――あなたのじゅうしゃとなります。カルカラです
――………………あなたはわたしをなぐらないの?
――いいえ。なぐりません
――………………そう
ファーストコンタクトは、ロクでもなかった。
当時、周囲に味方がいなかったエシェルはすでに心身ボロボロで、表向き従者として居るはずの自分にも怯える始末だった。都市から都市に移り流れる名無しでも、ここまで死に腐った目をしてる者は中々いないだろう。
だが、怯えられ、距離を取られては困る。彼女の仕事は監視なのだから。だから彼女は従者として、エシェルの唯一の味方として立ち振る舞った。
それは上手くいった。酷く呆気なく。
彼女には味方がいなかった。父親はすでに愛情の欠片も娘に向けてはおらず、母親は自ら命を絶った。そんな彼女に、唯一の味方であると振る舞えば、すぐに依存することはわかっていた。
――カルカラ、カルカラはさいごまでいっしょにいてね
――ええ、もちろんです
そんな、白々しい約束を交わすまでに、彼女はカルカラに依存した。全ては狙い通りで、カルカラ自身の任務の達成は容易となった。問うまでも無く、エシェルはその日あった事は全てカルカラに話をし、鏡の精霊の力についても相談するようになった。
鏡の精霊が暴走すれば、いつだってすぐにわかって、殺せる。そういう関係になった。
誤算があったとすれば、カルカラも、彼女に思い入れ深くなってしまったことだろう。
土台、無理な話だった。エシェルとそう年も変わらない少女だったカルカラに、冷徹な監視など、出来るはずも無い。神官としての技術を身につけただけで、彼女はただの少女だったのだ。
――カルカラ、カルカラ!またなぐられたの!なんどもなんども!
――エシェルさま、けがをみせてください。すぐになおしてさしあげます
――カルカラ、わたしまたおいていかれたの。せっかくみなのじゅうのおていれしたのに
――わたしといっしょにあそびましょう。きれいなはながさいていたのです
――カルカラ、これ、あなたにあげるわ。おかあさまがくれたたからもの
――はい、エシェルさま。みにあまるこうえいです。
――カルカラ
――はい、エシェルさマ
――カルカラ
――はイ、えシぇルさマ
そして壊れた。壊れたのはカルカラの方だ
彼女の精霊の力を暴走させるか、あるいは意図してそれを使おうとしただけでも、自分が彼女を殺さなければならないという事実に耐えられなかった。
不幸にも、彼女は真っ当だったのだ。
――どうか、彼女に慈悲を。鏡の精霊を扱うことは決してさせません。どうか赦しを
エシェルが14になった時カルカラは、当時すでに病床についていたガルドウィンに代わり、当主の代行をしていたエイスーラに懇願した。どうか彼女と自分を解放してほしいと。これ以上は1秒だって耐えることができないと、地面に頭をすりつけて。
――良いだろう。ならば、最後の大仕事をこなせれば、貴様らは追放してやろう。
その言葉を受けて、カルカラは命じられるまま、動いた。
歪な都市建設計画に従い、怪しげな施設を幾つも建造した。必要量を遙かに超える魔石を運び込み、都市を迷宮化した。従者に潜んだ邪教徒と繋がり、偽竜を手繰り、黄金級をグラドルに寄せる口実を生み出した。
おおよそ、やってはならないとされる禁忌の全てに手を染めた。
全ては、全てを終わらせるためだった。何が何でも、助かりたかったのだ。
そしてそれはあと一歩まで来た。都市の迷宮化、魔物化は予定通り成就した。エイスーラの死刑宣告にエシェルが絶望していることに心臓が締め付けられたが、仕方が無い。逃げる算段は裏で用意されている。あと少しだ。あと少し、あと少し、あと少しで――
「失礼」
ストン、と突き立てられたナイフは彼女の意識と未来を闇に落とした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
仮神殿、地下室にて。
本来、グラドルから運ばれた物資を保管する保管庫として用いられていたその場所は、今は尋問室となっている。問い詰められる相手は二人、どちらも神に仕えながらもそれに背いた反逆者達。
此処はカルカラの尋問室だ。カランもきっとこの何処かにいるのだろう。合図などが送れないように、しっかりと距離は取られているだろうが。
「どうやら、最初からカランが用意したという逃げる場所などなかったみたいですね」
どのようにしてかは不明だが、あの狂気と忠誠心の塊のような邪教徒カランから聞き出した情報をカルカラは聞かされた。シズクという美しい冒険者は薄らと笑う。
「カラン様がエイスーラ様から命じられていたのは、エシェル様達の逃げ道の確保ではなく、お二人の速やかなる始末であるという事です。本人から聞き出しました」
それを聞いたとき、カルカラが思ったのは、「ああ、やっぱり」だった。
そしてそう思った瞬間、自分の浅ましい本性を自覚した。
エイスーラは自分たちを逃がす気が無かった。始末するつもりだった。
それはそうだろう。そうとしか言いようがない。
家に居る間も、天陽騎士になってからも、ずっとずっと、エシェルを嬲り、蔑み、痛めつけていたカーラーレイの連中が、エシェルの命だけは助けてやろうなどという慈悲を、与えるわけが無い。
そして、この竜呑都市ウーガの邪悪なる計画の実行犯であったカルカラも、生かされる訳がなかった。そんなこと、冷静に考えればすぐに分かるようなこと。なのに今日までカルカラはそんな明確な真実に気づくことはなかった。
何故か?
答えは簡単だ。カルカラは現実から逃げていたからだ。
苦痛な現実を前に逃げ出した。目を逸らして耳を塞いで、楽な方に転がり落ちた。
その逃避のダシに、エシェルを使ったのだ。
彼女のためだと嘯いて、彼女を巻き込んで、一緒に破滅しようとしたのだ。
「――――ふは」
カルカラは嗤った。己の欺瞞を嘲った。
なんて滑稽さだろう。苦境を前に、決死の覚悟で抗おうとしていたエシェルの方がよっぽど、強く、正しかった。我が身かわいさに視野が潰れていた自分の愚かしさに目眩がした。
さっさと死んでしまおう。カルカラは本気でそう思った。
「エシェル様はまだ生きていますよ」
だから、まるで此方の心を読んだように話しかけたシズクに、ゾッとした。
「……なに、急に」
「全てを諦めた顔をしていらしたので、忠告です」
白銀の瞳が此方を覗き見る。全てを見透かすような視線が気持ち悪くて目を逸らしたかったが、出来なかった。
「エシェル様は生きています。絶望の淵にあって、憎悪に飲み込まれて尚、まだ彼女は生きて、足掻いて、苦しんで、幸せになろうと頑張っています」
彼女を、結果絶望に追いやる事になったカルカラを前に、シズクは事実を列挙していく。
「彼女を絶望させておいて、自分だけ楽になろうというのは、都合が良くないですか?」
カルカラは衝動的に、美しいシズクの頬を思いっきり引っぱたいてやろうと思った、拘束されていたために出来なかった。代わりに絞り出すような声が出た。
「どうしろというのです……!」
「潔く責任を取るのでなく、無様に生き延びて彼女を助けて下さい」
「貴女たちがやれば良いでしょうっ」
神を裏切り、主を裏切った自分より、彼女たちの方がよっぽど忠義者で、適格者だ。
そう思ったのに、シズクは首を横に振る。そしてくるりと表情を豹変させる。冷酷に自分を咎め罰する執行人から、此方を嘲りからかう道化のような笑みに。
「所詮、私達は銅級の冒険者ですよ?力足らずで、“貴方が引き起こした災害から”彼女を守り切れず、死なせてしまうかもしれません」
「この――」
カルカラはシズクを睨み付けた。だが、シズクへと向けた筈の怒りの視線は、シズクを結ばない。カルカラの目に映ったのは、シズクの白銀の瞳の中、そこに映る自分自身だった。
地の底で、拘束され、無様で滑稽な女の姿だ。彼女は、憤怒の形相で己を見ている。自分のことを憎悪している。
逃げて逃げて逃げ回り、地の底まで転がり墜ちた。
この期に及んで尚、逃げるつもりか?
白銀の瞳の中の女が、そう罵った。
「――――五月蠅い!」
カルカラは振り絞るようにして、声を上げた。薄暗い地下室で、彼女の言葉が繰り返し反響し、そのたびカルカラの耳を打った。引きつった情けのない自分の声を聞くたび、どん底だった自分の自尊心は更に腐り果てた。
反響は終わる。残ったのは、自分の全てを自分で台無しにした間抜けだけだった。
「…………」
カルカラは、最早シズクに当たり散らす気力も失った。力なく項垂れる。砕け散った彼女を前に、砕いたシズクは、その顔をのぞき込む。
「優れた神官の力は必要です。それも、絶対的な味方となってくれる人材が」
「……あの子が、私を許すと、思いますか?」
「関係ありますか?それ」
許されようが許されまいが、彼女に償うことに、なんの影響がある。そう問われ、カルカラは己の中にあった最後の欲をも見抜かれた。エシェルに許されたいという、裏切り者の浅ましさを。
死のう。そう思っていた彼女は、本当に殺された。
シズクと、自分自身の手によって、何もかも、砕き尽くされた。一つ残らず破壊された。残っているのは、拭いようのない罪と、そして――――エシェルだけだ。
ならば、やるべき事は、一つだけだ。
「――――あの子を守ります。今度こそ。本当に」
かくして、凄惨なる禊ぎを経て、カルカラが仲間となった。
この結果、ウル達は窮地にあって、状況を動かす全てのカギを手中に収めることとなった。
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時間は戻り現在、竜呑都市ウーガ、最深部。
「彼女に危険が及ぶようなことがあれば、此処を無視して彼女の方へと行きます。いいですね」
エシェルの守護者に変貌を遂げた神官を前に、ウルは両手を挙げた。どうしてこうも極端になるのかとも思うが、絶対的なエシェルの味方というのは悪くなかった。ウルもまた、彼女を裏切るつもりは無いのだから。
「現状俺達の中で、一番安全な場所にいるのはアイツだよ。そっちも作業にとりかかってくれ」
「……わかりました」
ウルの言葉にカルカラはしぶしぶというように引き下がり、そして事前の打ち合わせの通り作業を進めていく。すると、何故か彼女から隠れていたシズクがひょっこりウルの後ろから顔を出した。
「上手く協力していただけそうですね」
「そりゃ喜ばしいが、なんでお前はそんな隠れ方してんだ」
「協力の取り付け方が、少し乱暴だったものでしたから」
「少し?」
「乱暴だったものでしたから」
ウルはシズクの両頬をひっぱった。されるがままになってほっぺを伸ばす彼女は見ていて面白かった。カルカラの強引な勧誘は必要だった以上、悪いことをしたわけではなく、彼女の仕事もあるのですぐに離した。
「ウル!」
リーネからの鋭い声が響く。何を意味するかは言われるまでも無くすぐにわかった。何せ、目の前の核、使い魔作成の術式の中心核が凄まじい輝きを放ち始めたからだ。
完成した術が発動へと至る。大罪都市グラドルが生み出した前代未聞の生物兵器が、まさに誕生しようとしているのだ。
「ひ、ひぃ…!」
「か、神よ!ゼウラディアよ!お助けを…!!」
圧倒的な魔力が凝縮し、光として放たれる光景は恐ろしいものだった。ウルからしても身がすくむようなもので、ましてや従者達など、腰を抜かしへたり込んでいる者も少なくない。
逃げ出さないのは、逃げだす場所がなく、また、カルカラが凄まじい形相で彼ら彼女らを睨んでいるからだろう。
正直ウルも逃げ出したかったが、悲しいかな。この場の責任者は自分である。逃げ出すはおろか、僅かな狼狽すら、表に出すことも許されない。
ウルは浮かんできた汗を隠すように拭い、大きく息を吸い、吐き出した。
「おーし、そんじゃあ、逆襲開始だ」
ウルは余裕たっぷりに聞こえるような声を意識して、号令をかける。
その場に居た全員が動き出す。竜呑都市ウーガという盤上に幾つも打たれた悪辣なる策略。その全てを、盤面ごとひっくり返す作戦が始まった。
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