少女たちの契約
それは、精霊憑きの少女アカネが黄金不死鳥に正式に引き取られて暫くしてからのこと。
「私と取引したい?」
《そーよ、とりひき》
黄金不死鳥のディズは、アカネの持ち出してきたその取引に対して首をひねった。
先日、彼の兄である名無しの少年、ウルに取引を持ちかけられた。現在仕事の傍ら、さて、どういう条件にしたものかと悩んでいる最中だったのだが、そこに彼女が提案を持ちかけたのだ。
《ディズのこと“てつだう”のよ。そしたらバラさんでええでしょ?》
彼女の兄であるウルが金貨一千枚で彼女を買い戻す。
という取引とは別に、アカネは自分が生き残るための手段を模索しているようだ。なるほど、確かにディズの現在のプランである“精霊憑きの解明”も、あくまで自身の戦力を向上させるための手段でしかない。彼女が彼女のまま、その力を示すことができたなら、話は変わってくる。
だが、問題はある。
「“てつだう”、どんな仕事をしてるかわかってる? 黄金不死鳥の仕事なら必要ないけど」
《あくとう、どかーんってやるんでしょ?》
「……ふむ」
どうやら、彼女はディズのもう一つの顔、七天の責務を理解しているらしい。まあ確かに、彼女を引き取った後、黄金不死鳥としての仕事の傍ら、グリードに潜伏していた邪教徒のアジトを潰したりなんだりと忙しくしていたが、それでおおよそ察せられたようだ。
だが、それならますます問題がある。
「君が、どうやって私を手助けしてくれるのかな?」
だが、現時点でディズがアカネに期待しているのは、精霊憑きという特異体質そのものであって、彼女の人格に依るところは一切ない。その特性を抜きに考えれば、彼女はただの愛らしい振る舞いを見せる少女に過ぎない。
そんな彼女が自分の役に立つのか、疑問だった。
《わたし、ぶきになればいいんでしょ?》
アカネはそう言った。なるほど、確かに彼女の能力を測るために、ディズが識る協力な武器防具に変身させている。それは確かに一定の成果はあった。
その力でもって、実戦でも助けになるという事らしい。だが、
「君、意味分かって言ってる?」
ディズは首を振り、そして冷徹な視線をアカネに向けた。
「私はね、君が思ったよりもずっと、血なまぐさいところに立っている」
七天の勇者、世界の守護者という言葉は美しいが、そんな素晴らしいものではない。
人類にとっての脅威を討つ。だが、その脅威は必ずしも、魔性たちだけではない。時に彼女のように罪なき者を必要だからと徴収することもあるし、時に悪徳に手を染めた邪悪なる者達を誅することもある。
その時、この手は少なからず血に染まるのだ。
「君は私の武器になるといったよね。なら、君の身体で相手を切り刻むと言うことになる」
その手で握る武器になると言うことがどういことか。ディズは目の前の愛らしい妖精の姿をした少女に理解させるために、あえて強い言葉をつかった。
「皮膚を裂き、肉を断って、骨へし折って、臓物をえぐり取る。相手を殺す感触に耐えられない。ってヒトはいる。でも君が受け取る感触はそんなレベルじゃない。文字通りの全身全霊だ」
刃となった身体で、相手の命を絶ちきる感触を味わうのがどんな感触か。ディズにも想像はつかない。精霊憑きとなったアカネにしか分からぬ事だろう。だが、どうあれ決して生半可なものではないということだけは確かだ。
「もし君が途中でそれを忌避したとしても、私は自分の命を守るために君という武器を振るう。情け容赦なく何度も何度もね――――それでもいいのかい?」
戦いの場で、自らが纏う殺意を込めるようにして、改めてディズは問う。もしも思いつきと甘い考えで提案したというのなら、情け容赦なくその甘さを切り刻む為に。
対して、アカネは、
《おっけー!》
「かるぅい」
大変軽く、ディズの脅迫をサムズアップで受け入れた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――三日後に仕事がある。それまでに【劣化創造】を形にできたら連れて行ってもいいよ
《うに……》
アカネの提案に対して、ディズが持ち出した条件はそれだった。
至極当然ながら、彼女が必要とするレベルの武器に“へんしん”できなければ、手伝うもなにもない。ただ足を引っ張るだけでは意味が無い。
故に、アカネは現在、目の前の設計図とにらめっこしている。そこにあるのはディズが知識として納めている聖遺物の一つだった。
――難しいとは思うけど
《むむむー……》
無論、言うまでもなく、この図面に書き込まれている膨大な情報をかみ砕くだけの知識をアカネは有していない。だが、アカネの“へんしん”は魔術のような論理的なものではない。もっと感覚的だ。
本来の彼女――というよりも彼女に憑いた精霊の性質からはやや外れる為に、“劣化”となってしまうが、しかし創造自体はできるはずではある。
ディズから受けたその説明を思い返しながらアカネは、うなり、そして、
《ちょあ!》
跳び上がり、そして一転する。図面にある炎の剣、偉大なる四大精霊の一角、火の精霊の与えし聖遺物、【灼炎剣】に変身を遂げた。
紛れもなく、輝ける炎の剣にアカネは形を変えた。のだが、
「なにやってんだお前…?」
それを見ていた黄金不死鳥のグリード支部、現在の長であるガネンは呆れた声をあげた。アカネは剣の姿のまま、そちらを振り向く。
《おっちゃん》
「うおっ! 剣のまま近づくなこえーよ…………で、なにしてんだお前」
《れんしゅうよ? カッコイイ?》
「ぐにゃぐにゃだなあ……」
ガネンの言うとおり、アカネの創り出した剣はなにやら刀身がぐにゃぐにゃしていた。ところどころで、形が雑で、不確かなのだ。
《むーにゃー……》
「……まあ、あんまムリしねえ方がいいぜ? 大体事情は知ってるがよ」
そのガネンの感想にアカネはへなへなと地面に落下し、不定形の粘魔のように潰れてしまった。見れば見るほど摩訶不思議な生命体だが、流石のガネンもここ数日で大分慣れてきた。
「俺もディズさん……いや、ディズ様の事情は少しは聞いたけど、生半可に首突っ込んでいいってもんじゃねえだろう」
色々と問題を起こして、大変危うい状況にあった黄金不死鳥を立て直してくれたディズが、それ以上に重い責務を背負っているとガネンが知ったときは驚いたものだが、
自分より圧倒的に年若く、なのに圧倒的なまでに仕事ができる少女だ。それくらい、素性が特別だと言われても、むしろ納得があった。
ああ、彼女はどこまでも凡人な自分とは違うのだ。という納得。
そして、だからこそ、そんな特別な彼女を手伝う、なんてのは並大抵のことではない事も、凡人な大人であるガネンには理解出来ていた。
「お前さんの兄貴が頑張ってくれんだろ? だったら任せたら良いんじゃねえの?」
ディズと取引して現在奮闘しているあの少年が上手く行くようには思えない。思えないが、だが子供には自分の保護者に運命を預ける権利はあるとガネンは思った。
だが、妖精の姿に戻ったアカネはぷっくりと頬を膨らませて、言った。
《にーたんにおまかせするの、ムカつく》
「ムカつく」
《じぶんだけでどーにかしよーとするの、ウザい》
「容赦ねえな」
妹のことを大事に思ってるあの少年がこの言葉を聞いたら泣くかもしれんとガネンは思った。だが、そんなこと知ったことかというようにアカネは続ける。
《だいたいわたしがいるせーだしな-。それでにーたんしにかけるの、いやだしなー》
「……ま、言わんとしてることは分かるがね」
つまり、この妹は妹で、兄のことを大事に思っているらしい。そして負い目もだ。見た目の愛らしさと幼い言葉遣いに勘違いしそうになったが、どうやら彼女は思ったよりは大人で在るらしいと言うことにガネンは気づき始めていた。
《だからおっちゃん、“へんしん”てつだって》
「……仕事の合間だけだぞ?」
それから、ガネンは仕事と仕事の合間にちょいちょいと、彼女の“へんしん”のチェックをすることになったのだった。
彼女の“へんしん”が、少なくとも形になったのは、それから丁度三日目の事であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
黄金不死鳥グリード支部の屋上にて、金色の少女は剣を振るう。
片手で握るのは美しい意匠の施された炎の剣だ。纏う炎が彼女の剣の軌跡に散った。それはまるで演舞のような美しさもあったが、しかしてどこまでも実践的な剣技だった。
金色の少女はひとしきり刃を振るい終えると、小さく息を吐いて自らが握った灼熱の剣――の、模造品を見た。
すると、刃はふにゃふにゃと形を変え、妖精の姿になってどやあと胸を張った。
《んふー! どーよ!》
「刃が鈍い、形の造りが甘い。私の動きに炎が全然追いついていない」
《うぎゃー!》
そしてあまりにも情け容赦ないディズの評価に墜落して粘魔状になった。
「とはいえまあ最低限、普通の魔剣としては機能する、かな?」
《ほんまに?》
「流石に、自分の命を預ける武器の評価に嘘はつかないよ」
ディズはスッパリと言った。実際、命がけの戦いにおいて武器は命綱。それに対して半端な評価をする理由はなかった。現状のアカネは、高価な魔剣程度の強さはあった。
とはいえ、だから実戦でも問題なく運用できるかと言われれば、そうでもない。
ただの武器ならば兎も角、彼女には意思がある。そして意思とは必ずしもプラスに働くという訳ではない。場合によっては足を引っ張ることにも繋がる。
「……ま、試す必要はあるか」
《ためす?》
「言ったよね、三日後に仕事があるって」
ディズがグリードに来たのはなにも、義父の黄金不死鳥の問題を解決する為だけではない。
大連盟の盟主国、プラウディアから遠いこのグリードの地は、どうしても目が届きにくい場所である。つまるところ、邪教徒達が潜むには絶好の場所だ。アカネが訓練を続けた三日間の間に、ディズは彼等のアジトを発見していた。
だが、それはつまるところ、ヒト相手に刃を振るうという事でもある。
否応なく、血は流れるだろう。無垢な場所を連れていく場所では当然ない。が、
「君が本当に耐えることができるのか、試させて貰うよ」
あるいは、これで彼女の心をへし折る為に、ディズはアカネを連れていくことに決めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
おぞましき邪教徒の住処、おどろおどろしい実験と血の跡が残る地下空間。人身売買を利用し大連盟法で禁忌とされる術式実験を行い、挙げ句にテロを引きおこさんとしていた連中達を相手にして、ディズは容赦なくアカネを剣として振るった。
途中、もしもアカネが根を上げたら、その時点で彼女に自らの武器としての運用は諦めさせる積もりではあった。
そして、その結果
《よっしゃあー!!》
「全然平気だねえ……」
平気だった。
割と容赦なく邪教徒達をバッサバッサと切り倒したが、全くへこたれている様子はない。
「……気分悪いとかない?」
《ぜんぜんだが?》
試しに尋ねてみるが、アカネはこれっぽちも気にした様子はない。なんというか思ったより遙かに彼女は精神的にタフなようであった。
「うーむ……」
アテが外れたというべきなのか、期待以上だったというべきなのか悩むところだった。ともあれ、彼女にいてはあくまでもおまけだ。ディズは警戒を怠らず周囲を確認し、
「む」
「――――がっ」
そのままディズは刃を投げつけた。虚空へと飛んだ刃は、影から、姿を隠しながら魔術を放たんとした邪教徒の喉元に突きささった。
「のろ、われろ……勇者」
姿を顕すと同時に致命傷を負った邪教徒は断末魔の声と共に崩れ落ちる。その喉に突き刺さった刃を引き抜いた。周囲にそれ以上の敵の気配が無いことを確認し、ディズは静かに瞑目する。
そして再び剣へと視線を向けた。
「思いっきり投げちゃったね、大丈夫かな? アカネ」
《にーたんのときよりはてーねーだったからへーき》
「……こういうことに慣れてるのかな?」
ディズの手元に転がってくる前、ウルとアカネは名無しとして、各地を放浪していたとは聞いている。その生活が決して容易いものではなかっただろうというのは想像していたつもりだったが……どうやら、その想像は大分甘かったらしい。
《にーたんといろいろやっちゃってきたかんなー》
「一応は、秩序側としては、聞かなかったことにするよ」
《……にーたんのぜんかがふえるとこだったぜ》
ふぃー、と汗を拭うような気配を感じて、ディズは笑った。どうやら本当に虚仮でもなんでもないらしい。
《まーともかく、これでおっけーね? おしごとてつだうのよ!》
「うーん」
《ふまんげ!》
だが、アカネの提案に対して、ディズは素直に頷くことはできなかった。といっても、アカネの能力不足が理由ではない。どちらかというとこれは、自分の問題だった。
「ま、君は一応能力を示したことは認めるよ。でも私は、末席とはいえ人類の守護者だ。部下でもなんでもない君を武器として振るうのどうなのかな……?」
《でもバラそうとしてんじゃん?》
「容赦ないね、完全に事実だけど」
結局の所、気持ちの問題ではあった。
アカネは純粋に立場だけ言えば人権というものを有さず、さりとて崇めるべき精霊とも言い難い。所有物として扱うのが適当だが、そうきっぱりと割り切れるような性格をしていたなら、そもそもウルの提案は受けてはいなかっただろう。それなのにムリに使おうとすると、“瑕疵”になる。
要は、彼女との距離を掴み兼ねていた。
部下ではない。仲間ではない。所有物として扱うのも難しい。ならば彼女は――
《じゃ、わたしこれからディズのあいぼーね》
「ふむ?」
そう思っていると、アカネがくるりと妖精に転じながら言った。
《あいぼーならいいでしょ?》
「相棒、相棒か」
正直、これまで聞くことも、使うことのない言葉だった。
勇者として活動してきた。良くも悪くも、横に並ぶ者はいなかった。中まであり同僚である者達は自分よりも高みにあって、それ以外の者達は自分よりも遙かに低い。なんというか、中途半端なのが勇者という立場だった。
相棒といって、横に並ぶ者はこれまでいなかったが――
「……うん」
――存外、悪い響きではなかった。
地下の暗く血と死の充ちた空気が、少しだけ軽くなったのを感じながら、ディズは微笑んだ。
「でもだったら、もっと力を示せて貰わないとこまるかな?」
《うにゃあ!》
「今のところ、マスコットだね。しかも解体予定」
ディズの言葉にアカネは再び撃沈し、しかしすぐにパタパタと跳び上がり、復活する。
《ぜーったいみとめさせてあげっからなー!》
「楽しみだね」
こうして、勇者ディズと精霊憑きのアカネの間で一つの契約が結ばれる事となった。この二人の関係が果たしてどのように続き、形を変えていくことになるのか、当人達も知る由のないことであった。