3 客のいない喫茶店での再会
「はい。到着いたしました」
市電や徒歩でしばらく移動して彼女が足を止めたのは、アーケード商店街から少し離れたところにある古びた木造の喫茶店の前。少し開いた扉の中からはコーヒーのいい香りがする。
「ここが良い場所?確かに良さそうなお店だけど」
「それだけではありませんのよ」
彼女はニコニコと笑いながら言う。連絡先を交換してからなんだか態度が柔らかくなったような気がする。出会った頃にもっていたクールな印象が大きく変わった。そう、まるで、花畑で蝶々と戯れている少女のように無邪気で可愛らしい笑顔。なんて詩みたいな表現で言い表せそうな笑顔だった。
「それでは中に入りましょうか。ふふ、きっと驚きますよ」
灯里ちゃんは扉を優雅に開けると中に入っていった。私もそれに続く。
店内には外で感じたよりも強くコーヒーの香りが広がっていた。お客さんの姿はなく、マスターらしき白いひげが特徴的なおじいさんがカウンターでコーヒーカップを拭いていた。
「おや、灯里。おかえり。もうそんな時間か」
「はい、おじいさま、ただいま帰りました。お姉さまはどちらに?」
「二階の自分の部屋にいると思うが……そちらのお嬢さんは?」
マスターは訝しげな表情で私を見る。灯里ちゃんはおじいさまと呼んでいるが、近くで見ても灯里ちゃんとは顔が似ていないような……一体どんな関係なんだろう。
「私のお客様です。新幹線で拾いましたの」
灯里ちゃんはニコニコ笑顔のまま言う。
100パーセント事実ではあるけど、なんだか誤解を招きそうな言い方だな。まるで私が迷い猫みたいな。いやまあ、実際迷っていたけど。
「そうか……。まぁいいだろう。ゆっくりしていきなさい。後でコーヒーを持っていってやるから」
それで納得するんだ……。
「ありがとうございます。お邪魔します」
灯里ちゃんとの関係はよく分からないが、とりあえず挨拶はしっかりとしておく。大事。
「ありがとうございます。おじいさま」
灯里ちゃんはマスターといくつか言葉を交わし、カウンターの横にある(おそらく)従業員用の出入り口の扉を開け、その先にあった木造の階段を登っていった。私もその後に続く。
「こちらで少しお待ちいただけますでしょうか。少々お姉さまとお話しして参ります」
二階に上がると彼女はそう言い残し、廊下の先の扉をノックをして部屋の中に入っていった。灯里ちゃんはどうやら私をお姉さまなる人物と会わせたいらしい。
緊張でドキドキしている胸を落ち着けながら、数分くらい待っていると灯里ちゃんが一人で戻ってきた。
「桃華さま、お待たせしてしまって申し訳ございません。それではご案内しますね」
私は促されるまま先ほど灯里ちゃんが入っていった部屋の前に行き、扉を開けた。
そこにいたのは、灯里ちゃんと同じくらい艶やかなロングの黒髪をポニーテールにした色白の女性。Tシャツにデニムとラフな格好をしているが、灯里ちゃんに負けず劣らずの美人だ。歳は私と同じくらいだろうか。カーペットに正座をしているその女性はどこか緊張しているように見えた。
なんだか懐かしい雰囲気を感じるような……。
「……あ、灯里。その……もしかしてその人が……?」
「はい。倉持桃華さまです」
その言葉を聞くと、女性は立ち上がり私にゆっくりと近づいてきた。
「はじめまして。倉持もも……」
そしておもむろに抱きしめてきた。
「ひゃっ!……えぇ?!」
予想していなかった行動に思わず変な声を出してしまった。しかし、女性は構わず私を抱きしめたままだ。
「会いたかった……桃華ちゃん……」
耳元で女性の声が響く。髪から漂うほのかに甘い香りが私の鼻をくすぐる。めちゃくちゃいい匂いだなぁ。
じゃなくって!
「あ、あの……どこかで会ったことがありましたか……?」
突然の出来事に戸惑いが隠せなかった。脳細胞を総動員して記憶をたどる。女性からなんだか懐かしい雰囲気を感じるのはどこかで会ったことがあるからなのだろうか。が、いくら記憶を探しても、この女性と出会った思い出はどこにもない。
「お姉さま。桃華さまが戸惑っておられます。そうしたいお気持ちはよくわかりますが、まずは説明いたしませんと」
見かねたのか、灯里ちゃんが助け舟を出してくれた。
「あっ……!そっか……。そうだよね……ごめんね、桃華ちゃん……」
女性は慌てて私から離れる。そのときも揺れる髪からいい香りがふわっと漂ってきた。
「い、いえ、大丈夫ですけど」
落ち着け私。
深く呼吸をして、早鐘を打つ心臓を落ち着ける。女性であれ、男性であれ、他人の顔が間近にあれば緊張するものだからドキドキするのは仕方がない。
「大丈夫?桃華ちゃん」
女性は親しげに私に話しかけてくる。やっぱりどこかで会ったことがあるのだろうか。思い出せない。
「桃華さまはまだわかっていないみたいですね。それなら自己紹介をいたしましょうか。お二人ともお座りください。では、お姉さまからどうぞ」
灯里ちゃんに促されてカーペットの上に腰を下ろす。床に置かれた木製の小さなテーブルを挟んで女性と正対する形となった。女性の隣に座った灯里ちゃんが女性に自己紹介を促す。
女性はこほんと小さく咳払いをした。先ほども似たような光景を見た気がする。
「えっと……。わたし、佐倉彩楓だよ……。桃華ちゃん……わたしのこと覚えてる……?ほら、中学生の時の……」
「え?」
今日何度目の当惑の声か。
女性の口から出てきたのは私の中学時代の親友の名前だった。