11 喫茶店の仕事と謎の先生
翌日、私は彩楓ちゃんから借りた喫茶店のロゴが入った紺色のエプロンを着て接客していた。平日ということもあってかやってくるのは近所の常連さんがほとんどのようだ。アットホームな雰囲気がなんだか心地よい。
カランカランと扉が音を立てて開く。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。ん?新しい子がいるんだね」
入ってきたのは、白衣を着たどこかの化学者のような水色のショートヘアの女の人。丸い眼鏡を掛けていて、背が高くて胸が大きくて……なんだか優しそうな人だった。
「はい、今日からここで働き始めました倉持です。よろしくお願いします」
緊張している私の様子に化学者みたいな女の人は微笑んだ。
「かわいいね。いい匂いもする。あぁなるほど。もしかしてあなたが倉持桃華さん?やっと会えた」
そう言いながら近づいてきた科学者みたいな女の人は私のことをギュッと抱きしめてきた。
「えっ、ちょっ……。そ、そうですけど……えっと……どちらさまですか?」
初めての土地で見ず知らずの人で名前を知られていることに少し恐怖を感じる。
「この人はね……わたしの先生」
いつの間にか私の隣に彩楓ちゃんがいた。
「先生?」
20代前半くらいの見た目からして彩楓ちゃんの小学生時代の先生ではなさそうだし、中学生の時にはこんな先生がいた記憶はない。ということは彩楓ちゃんの高校の化学の先生ってことなのかな。
首を傾げていた私を見てか、先生は私を離して説明を始めた。
「先生と呼ばれてはいるが、私は教師ではないんだ。医者とも少し違うんだが、そうだな……彩楓の担当医みたいなものだと思ってくれればいいよ」
「担当医?彩楓ちゃんどこか悪いの?」
「うーん、体が悪いってわけじゃないんだけど、ちょっといろいろあったんだ……。今はもう大丈夫だから心配しなくてもいいよ」
少し困ったような表情をする彩楓ちゃん。よくわからないけど、これ以上は聞かないほうがよさそうだ。他の話題でも探そう。
と、そんなことをしているうちに、気がつけばお客さんの数が増えていた。慌ててカウンターに目を向けると、彩楓ちゃんのおじいちゃんが接客をするように目で促していた。『先生』のことについてもう少し詳しく話を聞きたかったが、会話はここで打ち切られた。
気を取り直して、仕事に集中しよう。
注文を取ってカウンターに伝えるとすぐさまコーヒーやケーキが出てくる。注文の量は多いけど、カウンターはひとりで回せているみたいだ。調理の手伝いはいいと彩楓ちゃんのおじいちゃんに言われたことに納得がいった。
接客の合間にお店の中を見回すと、『先生』が常連さんと親しげに話している姿が目に入った。
あの人は一体何者なんだろう。私が知らない間の彩楓ちゃんのことを詳しく知ってるみたいだけど、もしかしたら彩楓ちゃんが話したがらない中学校卒業後のことを知っているかもしれない。あまり深入りするべきではないのはわかっているけれど、彩楓ちゃんの事情についてはどうしても知りたい。
聞きに行こうと思ったが、タイミング悪く時刻は12時過ぎ、お客さんがいっぱい来た。
「桃華ちゃん、お客さんも少なくなってきたし、接客はわたし1人でできるから、そろそろ休憩に入ってもいいよ。お疲れ様」
お昼のラッシュを乗り越えてしばらく経った頃、彩楓ちゃんに声をかけられた。
「うん。じゃあお言葉に甘えてちょっと休憩してくるね」
「大変だったし、ゆっくり休んできてね」
彩楓ちゃんに見送られながら、私はカウンター奥の扉を開けてスタッフの荷物置き場兼休憩室に向かった。
「はぁ……」
椅子に座り、誰もいない部屋の中でため息をつく。今日は朝から緊張の連続だった。喫茶店で働き始めたはいいものも、注文の取り違いだったり、配膳ミスだったり失敗ばかりでつらい。結構疲れた。
それに、いまいち彩楓ちゃんとの距離感がつかめない。4年会っていなかっただけなのに彩楓ちゃんのことが何もわからなくなってしまった。昨日の告白のことも頭の中でぐるぐると回っていて、これからどうすればいいんだろう……。灯里ちゃんとならうまくやっていけそうな気はするんだけど。
「あ……」
スマホを見ると、学校に行っている灯里ちゃんからメッセージが届いていた。
『桃華さま、お店のお手伝いお疲れ様です。今は休憩をなされていると思いましたので、メッセージを送らせていただきました。と言いましてもこれといった用事もないのですが……。お店で働いていらっしゃる桃華さまのことを考えましたらなんだか気になってきてしまい、つい連絡してしまいました。ご迷惑でしたでしょうか?』
「……ふふっ」
思わず息が漏れてしまった。
灯里ちゃんは見た目のイメージと違って案外かわいいな。
なんてことを考えながら返信する。
『全然迷惑なんかじゃないよ。朝はドタバタしてお話できなかったから、こうして灯里ちゃんからメッセージもらえて嬉しいよ。ありがとうね!』
送信ボタンを押すとすぐに既読マークが付き、しばらくすると返信が来た。
『そう言っていただけて安心しました。今するようなお話ではないのですが、もしよろしければ、今度、わたくしの学校を見学しにいらっしゃいませんか?昨日、ご興味を持たれていたみたいですし、ご案内いたします』
「えぇ……!?」
つい驚きの声を上げてしまう。灯里ちゃんからのいきなりの誘いに戸惑ってしまった。……でも、せっかく誘ってくれたんだし行ってみようかな。やることなくて暇なんだし。
もしかしたら、これってデートなのでは……。いや、違うか。
『うん、行く!楽しみにしてるね。でも、私が学校に入っても大丈夫なの?』
『はい、問題ありません。生徒の家族であれば、届け出をすれば、生徒と一緒に見学することが可能です』
『そうなの?それじゃあお願いしようかな』
『かしこまりました。それでは学校に届けておきます。詳しい日程は今夜直接お伝えしますね』
『了解だよ』
そっけない返事だが、内心とても興奮していた。自分でもよくわからないが、灯里ちゃんとの予定が出来たことがなんだか嬉しい。
よし、頑張ろう!
頬を叩き気合を入れ直す。さっきまでの疲れはどこかに行ってしまった。
まずは閉店時間までの仕事頑張るぞ。
私はスキップでもしそうな勢いでお店へと急いで戻った。