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青天を翔ける  作者: 灰猫
【第1章】春風に吹かれて芽吹く
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4.物語は始まったばかり(天恵9年4月上旬)

――――しんどい……!


 膝に手をついて肩で息をしながら、流風は嘆いた。

 正直、少し走ってみて、流風が抱いた感想は、それに尽きた。走るのが辛いかどうか、というより、そもそも流風に体力が無さすぎるのだろう。身体を動かし続けるのが辛かった。


「……キツいですね」

「ははっ、――っ、ゲホゲホッ。……ケホッ、すみません、少し、お待ちを」


 素直な感想を零せば、六連はからりと笑った。そして続けざまに苦しそうに咳き込んだ六連は、流風に断りを入れると、監督室へとふらりと消えていった。

 そんな六連を見送って、流風は必死に息を整えた。陸上部の使っているトラックと、隣のテニス部のコート。それらの外周を大きく回ると、大体一キロになると、六連は言っていた。そこを二人で五周――つまり、五キロを走ったわけだ。それだけでへとへとの流風。顔を上げると、部員たちはまだトラックを走り続けている。


――――ホントに、あんな風になれるのかな……。


「これから、ですよ。全てはね」

「先生……」

「焦らずいきましょう。毎日続けることが、大切ですよ」


 酷く遠く見えた、彼らの背中。そこに混ざることへの確かな不安を浮かべた流風に、優しげな六連の声がかかった。いつのまに戻ってきていたのか、先ほどより僅かに掠れたその声は、いとも容易(たやす)く流風の不安を和らげた。緩く微笑まれれば、なんだかできそうな気がしてくるから不思議だ。

 こうして、流風の高校生活は幕を上げたのである。


   *


 陽が落ちてしばらく経った今。春とはいえ、その空気はやや冷たく尖っていた。

 風祭颯太は、灯りの落ちた敷地内を歩き、グラウンドへと進む。照明の消えた場内で、監督室だけが浮かび上がるように明るかった。颯太は小さく息を吸い込むと、ノックをして扉を開け放った。


「おや、颯太さん。まだいらっしゃったのですか」

「……本物ですか?」

「……。酷い言われようですね……」


 飄々と微笑む六連の言葉には答えず、颯太は憮然と問いかけた。

 六連は、先の自己紹介のとき、出身の大学のことには一切触れなかったけれど。陸上部の顧問になる()()()という人間など、一人しかいないだろう。()()青谷学院大学の六連昴、ただ一人しか――。


「……まさか、気付く方がいるとは」


 苦笑と共に零されたそれは、肯定だった。


「陸上関係で()()()()――長距離部員やってんのに気付かない、アイツらの方がおかしいんですよ」

「まあまあ。()()()とは別人でしょうから、無理もありませんよ。別大学の院に進んだときも、進学先のチームメイトたちは気付きませんでしたよ。――一人を除いて、ですが」

「……それ、篠崎(しのざき)久蓮(くれん)でしょう。あの人は鋭そうだ」

「おや、院でのこともご存知でしたか。……そんな感想が出るあたり、貴方も十分鋭いですが」


 緩く微笑む六連の余裕綽々な態度は、なんだか馬鹿にされているようでムカつく。それでも、颯太が篠崎久蓮の名前を出した途端に、小さく目を見開いた六連に、少し溜飲が下がった。

 とにかく、この男が、しがない無名校(こんなところ)で教員などやるべき人間ではないのは確実だ。


()()()()認めませんよ、俺は」

「ははっ、精進します」

「……」


 颯太の言葉の意味に気付いているだろうに、六連は苦笑と共にそんな的外れな反応を寄越してきた。颯太は思わず顔を(しか)めた。六連は肩を竦めるばかりだ。

 違うのだ。颯太は、別に六連を監督として認めない、と言っている訳ではない。ただ、六連昴には、もっと――。


「とにかく。()()()()は、黙っておいてもらえませんか」

「なんでだよ?! ……どうして隠す必要があるのか分かりません」

「彼らには……あまり、かしこまってもらいたくないんですよ。僕の言葉を盲信して欲しくはないですし」


 颯太の思考を遮るように、六連はそんなことを頼んできた。そんな頼みをする意味が解らず、颯太は反射的に声を上げた。そして、教師にタメ口を利いてしまった、と我に返って咳ばらいをする。

 六連はといえば、ただ静かな瞳でそう告げた。その答えを紡ぐ六連が纏う雰囲気は、予想以上に真摯なものだった。


「ふーん……まあ、いいですけど。気付かない方が悪いし。……それと、もう一つ。どうして一週間様子見するんです」

「それは……()()()()が判らないからですよ。僕はずっと、()()()()()()で陸上を続けていました。ですが、だからといって、それを望みもしない部員にまで、押し付けるわけにはいきません」

「……」


 もう一つ、今日、六連が挨拶した時からずっと抱いてきた疑問を、颯太は告げた。六連の答えに、颯太は黙り込む。お前たちは陸上に真摯ではない、と、咎められたような気持になったからだ。

 颯太としては、精一杯陸上に向き合い、努力を続けているつもりだ。けれども、この部活の現状は、とても陸上に真摯であると胸を張ることはできない。そして、ましてや、目の前の男(六連)と比べてしまえば、余程――。


「別に咎めているわけではありません。目指す景色は人それぞれ――それでいいのですから。だからこそ、皆さんが、何をどこまで望んでいるかを見せていただきたいのです」

「……なるほど」

「それでは、あと五日……宜しくお願いしますね」


 心の内を読んだように、六連が言葉を付け加えてきた。颯太は驚きで、ただ納得の言葉を返すのが精一杯だった。

 六連の雰囲気とテンポに圧されながらも、颯太は首を振った。六連がどう言おうと、颯太はこの男に、こんな所(弱小高校)で顧問などに甘んじて欲しくはなかったのだ。


「……俺は、認めない……」

「それは……。……()()()()()()()()()()……」


 小さく呟いて、監督室を後にする颯太の鼓膜を、淋しげな六連の声が揺らした。その響きのあまりの虚しさに、颯太はただ目を見開いた。


   *


 颯太が出ていってから、どれだけの時間が経っただろうか。未だ監督室でノートパソコンと向き合っていた昴は、もやもやとした胸の内を持て余していた。職員室まで戻るのが億劫で、監督室で仕事を続けていたが――すっかり遅くなってしまった。

 無意識に携帯に手を伸ばして、昴はすぐにその手を引っ込めた。ゆるゆると首を振り、己の弱気を振り払おうとした。


「……馬鹿か、俺は」


 小さく呟けば、幾らか気分は晴れた気がした。

 大学院卒業と共に連絡先を変え、自身からあの青年(久蓮)との繋がりを絶っておいて、都合の良い時にだけ連絡しよう、などと。虫が良いにも程がある。例えこの頭の中に、その番号(連絡先)が、消えることなく眠っているとしても。こうして()の姿を思い浮かべるだけで、心が温かく、どこまでも走っていける気になるとしても――。


 昴は、大きく溜息を吐くと、職員室へと戻るために荷物を纏め始めた。

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