3.個性的な部員たち(天恵9年4月上旬)
緩やかだが確かな、先輩たちの動揺に包まれて。流風の初めての練習は、静かに始まりを告げた。先輩たちが抱く動揺の理由を理解することができない流風と慎悟は、顔を見合わせて首を傾げた。
「城くん、鳴無くん! こっち。中長の集合をするよ」
「はい!!」
「っ、はい!」
長距離専門らしい先輩に呼ばれて、小走りに駆け寄る。集まった先で立っていたのは、四人の先輩――。
――――っ、……?!
流風は、思わず息を呑んだ。そこに集まっていたのは、流風たちに声をかけてくれた先輩のほか、あの寝ていた先輩と、不良じみた怖い先輩、そしてマネージャーらしき女子の先輩だったからだ。
「えー、中長距離パートを希望してくれてありがとう。早速だけど、俺たちの自己紹介をするね。俺は、八須雄大、三年生。一応、メインは五千メートル。よろしくね」
困ったように苦笑しながら、八須はそう告げた。まさしく、普通、と表現すべき印象だけれど、優しそうな先輩だ。下がり眉は、苦労人の証かもしれない。
「で、隣の赤い奴が、江間恭輔。三年生。こんな見た目だけど、うちのエースね。専門は千五百メートルだけど、五千もいける」
「……チッ」
――――舌打ちしたよね?! 今!
見るからに怖い江間の仕草に、流風は震え上がった。恐ろしすぎる。平然としている慎悟が信じられない。
「で。この長いのが、財前凛太郎、二年生。専門は五千メートル」
「……ふわぁ~……。……ん、よろしく」
「寝太郎よ、こんなヤツ!」
先ほどベンチで寝ていた先輩は、凛太郎というらしい。凛太郎だから、寝太郎……。大きくあくびをした財前を睨み付けて、吐き捨てるように言った女子の先輩に、流風は、先ほどのアレが聞き間違いではないことを知ったのだった。
「ごめんよ。パート員は、これだけなんだ。彼女は、水越由希、二年生。部全体のマネージャーだけど、今日は中長距離の計測をメインでやってくれる」
「よろしく! 元気のいい子も素直な子も好きよ、頑張って!」
紹介された水越は、にぱっと明るく笑った。先ほど財前に向けていた冷たい視線は、流風の見間違いだったのかもしれない――そう思うほどには、屈託のない笑みだった。
「じゃあ、練習開始だね。城くんは経験者ってことだから、俺らと一緒にジョグをしようか。鳴無くんはスポーツ初心者……無理はさせたくないけど――」
「――それなんですが。先程口を出さないと言いましたが……。流風さん、お借りしてもいいですか?」
ド素人の流風をどう扱うか悩んでいたらしい八須に、六連がゆるゆると手を上げた。
*
流風は、六連にストレッチのやり方を教わりながら、経験者の慎悟が、先輩と共に走っているところを眺めていた。共に、といっても、江間はさっさと独りで走っていってしまったので、八須と財前の二人と共に――だけれど。走る慎悟は楽しそうに笑顔を浮かべている。
「どうして、陸上部なんですか?」
「え……?」
「いえ。数あるスポーツの中から、どうして陸上だったのかな、と思いまして。貴方は、どうしてもスポーツそのものをしたい――というわけではないでしょう?」
ふと、六連がぽつりと問いかけてきた。非難されたのかと、びくりと肩を揺らした流風に、昴は苦笑して補足した。どうやら、純粋な疑問、というやつらしい。
「走るだけなら、ボクでも何とかできるかな、……って思って。それと……お金……あんまりかからないかな……って」
「なるほど。……君はやれると思いますよ。自分で思っているよりも、ずっと」
「……え?」
もしかしたら怒られるかもしれない、と、恐る恐る告げた言葉は、驚くほどにあっさりと受け入れられた。身構えていたのが馬鹿らしいくらいだった。それどころか、六連はそんなことを言ってきた。
聞き違いかと、六連の方を見た流風の瞳に映ったのは、とても愛おしそうに遠い目をした青年だった。その脳裏に過ったのは、誰だろうか。その誰かと、流風が、重なったのだろうか。
「それにしても、お金、ですか。……確かに正解だと思います。必要なのは、ユニフォーム、練習用のウェア、シューズ、ウォッチ――くらいでしょうか」
「……これじゃ、ダメですか……?」
「駄目ではないですが……」
ウォッチにシューズ。高そうな物の羅列に、流風は震え上がった。恐る恐る、学校指定の運動靴を指差す。六連は苦笑した。
流風の家は母子家庭だ。お金の余裕はあまりないし、余計なことをして母に負担をかけたくなかった。それでも、あまりに体力がない流風を心配した母に猛プッシュされ、運動部に入ることにしたのだった。余計な出費は、できるだけ抑えたいというのが本音だ。
「ふむ。では、こういうのはどうでしょう」
六連はそういうと、監督室の中に入っていった。そしてすぐに何かを持って戻ってきた。てきぱきと流風の目の前に並べられたそれらは、腕時計、シューズ、そしてTシャツとハーフパンツだった。
腕時計をす、と流風の前に差し出すと、六連は言った。
「これは、僕が高校の間使っていたものです。よろしければ、これをお貸ししましょう。それなりに古いですしGPS機能などはないですが、ウォッチとしては十分でしょう。それから、Tシャツとハーフパンツも」
「軽い……! ……でも、いいんですか……?」
「ええ。着て走ると、もっと違いが分かりますよ。――その代わり、チームジャージとユニフォームは購入していただきます。それから、シューズも、おいおいは」
使い込まれた、それでもよく手入れされたウォッチは、流風の手によく馴染んだ。ポリエステル素材のTシャツはとても軽い。そして、シューズを手にした流風は、目を見開いた。それほどに、軽かった。
――――きっとこれが、走るための特別、だ。
ただ身体を動かす、という意味で走るだけではない、そんな思いが伝わってくるようだった。自分にできるだろうか。そんな弱気が過ったその時。六連が、くすりと笑った。
「大丈夫。初めから出来る人なんて、そうは居ませんよ。――どうせやるなら、先ずは楽しい、と。そう感じられるようになりましょう」
「……はいっ!」
にっこりと微笑んで告げる六連に、流風はしっかりと頷いた。この先生となら、頑張れる気がする。初心者の自分に丁寧に説明をしてくれた六連に、流風は背を押された気持ちになったのだった。
「そういえば。六連先生、昨日、"運動苦手"って言っていましたよね? うそばっかり、……運動部だったんじゃないですか!」
ふと、気になったことを聞いてみた。高そうな時計に靴、その身体を見ても、運動が出来そうな見た目をしている六連だ。そもそも、運動が苦手な人が、運動部の顧問をするものなのだろうか。
六連は、薄く目を見開くと、その顔に苦笑を浮かべた。どこか困ったように、淋しげに笑うその表情は、いやに流風の頭に残った。
「あぁ、そのことですか。……嘘ではありません」
「え……?」
「解りますよ。――そのうち、ね」
その示すところは、あまり良い内容ではないのだろう。流風が、六連のこの言葉の真意を知ることになるのは、それから二ヶ月余り先のことになる。




