2.蒼桜高校 陸上競技部(天恵9年4月上旬)
――――これ、ボク場違いじゃない……?!
流風は思わず後退りをしながら、そんなことを考えた。運動部とは、どこもこうなのだろうか。そもそも中学時代も、部活動というものすら経験していない流風にはよく分からないが。それでも――。
*
入学式の翌日。通常の授業日、その初日を終えた新入生たちは、思い思いの放課後を過ごしていた。そんな中、流風は一人、運動部に入るために、陸上競技部の練習場所に足を運んだのだった。
「コラ、寝太郎!! 起きなさいよ、集合よ!」
「んぅ~……起きて、……る……Zzz……」
――――寝てる……!
陸上部の活動場所に足を踏み入れてすぐ、流風は衝撃に足を止めた。背の高い先輩らしき青年が、ベンチに長くなっていたのだ。四人用の長椅子を占領してなお、長い手足はだらりとはみ出していた。
もうすぐ練習が始まる時間らしく、こちらも先輩らしい女子生徒に叩き起こされている。むにゃむにゃと呟く彼は、きっとまだ夢の中だ。
――――っっ?!
ふと、目を反らした先、一人の先輩と目が合った流風は、びくりと肩を揺らした。目が合った先輩の髪色は、赤く染められていたのだ。いかにもな不良然と、ジャージのズボンを腰までさげ、けだるげにポケットに手を突っ込んでいるのだ。その鋭い視線は、目が合った、というよりは睨まれたと表現したほうが正しい。
つまり、怖いのだ。
――――やっぱ、やめよう! 絶対に合わない……!
どんっ!
流風が引き返そうとしたとき、背後から衝撃を受けて大きくよろめいた。驚いて振り返った流風の瞳には、きらきらと嬉しそうな笑顔を浮かべた青年が映った。
「新入生だよね?! 見学? 長距離?!」
「え、あ、う、うん」
「えー! 嬉しい、おれ中学では、長距離の同期いなかったんだ!!」
「そ、そう……」
「おれ、城慎悟! 君は?」
「鳴無、流風……です」
「そっかー! よろしく、流風!!」
勢いに圧されて返事をすれば、さらにその顔が輝いた。その表情があまりに嬉しそうだったので、流風は、引き返そうとしていたことを打ち明けられなかった。差し出された慎悟の手を、戸惑いがちに握って握手をした。
「おや。新たな友情の誕生、ですか」
突然、ここ二日でだいぶ聞き慣れた声が、流風の鼓膜を揺らした。予想だにしないその声の主は、我らが副担任、六連昴その人だ。振り返ると、六連は教室での様子と同じく、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「昴先生! どうして……」
「先生ー、陸部の顧問?」
「ええ。そろそろ集合のようですよ。行きましょう――流風さんも」
「は、はい……!」
六連に微笑まれ、流風はたじたじと頷いた。慎悟と六連、二人のおかげで、完全に引き返すタイミングを失ってしまった。
用器具庫の前で皆に号令をかける、背の高い先輩の声が、大きく聞こえてきた――。
*
よしよし、と、八須雄大は満足げに頷いた。滑り出しは好調だろう。仮入部初日で、新入生が二人。
少ないと思うかもしれないが、弱小陸上部をナメてはいけない。去年など、初日の見学は一人きりだったのだから。主将と顧問が作ったビラを、慌てて配って回ったのはいい思い出だ。
「今日は、新入生が来てくれている。二人にはここで自己紹介をしてもらおう。俺は、風祭颯太。三年で主将。種目は短長――四百メートル専門だ。よろしく!」
颯太がはきはきと自己紹介をして、新入生たちがぺこりと頭を下げている。同期ながら、相変わらず、格好良い奴だ。涼しげな顔立ちで背の高い颯太は、爽やかなイケメン然としていて、まさに正統派スポーツマンだ。
雄大が空事を浮かべている間に、颯太は話を進めた。
「二・三年生はおいおい紹介する。じゃ、自己紹介といこうか」
「はい!! 城慎悟です! 中学では長距離? 八百メートルと千五百メートルをやってました。よろしくおねがいします!!」
「えー、と。鳴無流風、です。マラソン? をやってみたい、です。運動部初心者なんですけど……皆さんのお仲間に加えてもらえると、嬉しい……です……」
颯太がそう言って一年生の方へ視線を走らせた途端、その片方――いかにも元気のよさそうな方が、びしっと手を上げて口を開いた。想像に違わぬ元気さだ。
次いで、心配そうに視線を彷徨わせながら、もう一人の一年生が口を開いた。本人の申告通り、細身の身体はとても運動ができそうには見えない。マラソン、というのは本当のマラソンではなく、きっと小中学校でのマラソン大会あたりのイメージだろう。
それにしても。こんな弱小の中長距離パートに二人も新入生が来るなんて……颯太はなんと思うだろうか。雄大がそんなことを考えていると、少し悔しそうに、颯太が口を開いた。
「そうか、二人とも長距離志望……。まあいい、宜しくな。――じゃあ、最後になったが、うちの部の新しい顧問を紹介する。――昴、先生」
「はい。皆さん、こんにちは――初めましての方が殆どですね。理科担当、新任の六連昴です。この春から、陸上部の顧問になりましたので、宜しくお願いしますね」
昴、のところで、颯太が少し言い淀んだことに、雄大は首を傾げた。気のせいだったのかもしれない。
六連昴、と名乗ったその新任教師は、ふわりと穏やかな笑みを浮かべて言った。新任、ということだが、纏う雰囲気も、柔和に細められた瞳も、全てが大人びていた。雄大と、そう齢は離れていないはずなのに。
くどいようだが、この蒼桜高校陸上競技部は、弱小部だ。
かつて――十年程前には、高校長距離の花形である全国高校駅伝で優勝したという伝説もある。それも、形だけの顧問を置いて、実質的に部を率いていたのは、当時の主将・雪沢蓮介だという。しかし、それは過去の栄光。
今も昔も、練習場所にしっかりと足を運ぶような顧問はいなかったのだ。それを、今になってこんな若い教師を顧問に据えるとは、どういうことだろうか。そう思ったのは、雄大だけではなかったようだ。ざわざわと騒がしくなる面々に、六連は緩く微笑んで告げた。
「安心してください。皆さんに、長らく形式上の顧問しかいなかったことは、存じています。いきなり僕のやり方を押し付けるような真似は、しませんから。そうですね、……今日から一週間は、何も指示を出しませんので、いつも通りに活動してください」




