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青天を翔ける  作者: 灰猫
【第2章】氷解。そして、ある"春"の終わり
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31.それは始まり(天恵9年7月上旬)

「なあ」

「――!」


 よく聞き知った声が鼓膜を揺らして、雄大は思考の渦から抜け出した。はっと振り返ると、いつの間にか隣に並び立った、憧れの「天才」の姿がそこに在った。


「俺よお。ようやく解ったんだ。やっぱり俺は走りたい。あの景色に辿り着けないとしても、足掻いてみてぇんだ」

「――っ」


 静かに語るその視線は、進む道の先を見すえて、ブレない。その声色に乗る確かな覚悟に心を酷く揺らされた雄大は、言葉も返せずに息を呑んだ。

 ずっとずっと、求めてやまない姿だった。楽しそうに競り合って上を目指す熱い瞳。あの頃と同じ――いや、それ以上の光を湛えた恭輔の瞳に、雄大は目を反らすことができなかった。

 

「ずっとお前が、望んでくれてたのにな」

「……。……っほんと、だよ。……遅い!」

「ああ。悪かった」


 同じ高校に進んだと知って、その瞳から輝きが失われたと知って。それを取り戻したくて、必死に望んだ二年間、叶えることができない自身の無力感に苛まれ続けていたけれど。今こうして恭輔が、あの日の煌めきを湛えて再び走り始めてくれるというのであれば――それを為したのが誰なのか、なんて。きっと些細なことだ。


「俺、自分が辿り着けるところまで行ってみてぇんだ」

「うん……!」

「けどな、俺独りじゃ無理だ。あの人たちに比べりゃ俺は所詮、凡人だ。……だからよ――一緒に来てくれ」

「――っな、」


 かつて、いつも芳賀を見詰めていた、恭輔の熱い瞳。焔揺らめく灼熱の瞳(ルビー)に貫かれ、雄大は息を呑んだ。震える声で問うた言葉には、誤魔化しのない答えが返ってきた。


「俺、で……いいの?」

「お前が、いいんだよ。こんなこと、他に頼める奴なんざ居るかよ」


  *


「いくらなんでも、飛ばし過ぎじゃないですか? 先生」


 ゴール地点の脇に座り込んだままの己の顧問に、颯太は驚きと呆れの入り交じった声をかけた。

 颯太の手元の時計は、十三分七秒で止まっている。非公式とはいえ、このタイムは、トラックレースとしての五千メートルの日本記録を超えている。


「後にも先にももう、二度と、あんな走りは出来ません」


 昴は苦笑を浮かべて言った。「あいつに走らされたのさ」、と笑うその顔はとても満足そうだった。昴にこんな顔をさせられるあの青年(篠崎)は凄い。凄いなんてことは、重々知っているのだけれど。


「久蓮さんも、今日のところは僕と同じ――あの瞬間だからこそのパフォーマンスでしょう。けれど、彼は更に先に往く」

「……寂しくないんですか?」

「困りました。それが、全く」


 遠い目をした昴が、なんだかとても遠く見えて、颯太は少し意地の悪い質問をした。その問いに、昴は目を見開くと、苦笑を零す。

 それは、昴が再び前に進み始めた――その証だった。


   *


「別に、一人で抱える必要は無いんです。……まあ僕も、それに気づいたのはわりと最近なんですけどね」

「ようやく素直になれたんじゃないですかね、あいつらは」

「それはいいことですね。それぞれが目指す夢に、皆で支え合って進んでいける――そんな集団になれたらいいと思っていますよ。僕は」

 

 レースを終えてからこちら、その場を動く気配がない六連の傍に佇んで、並んでジョグを続ける三年生を眺めた。そんな流風の鼓膜に、六連の歌うような声が響いた。ふと振り向いた先、六連の瞳に映る彼らはとても眩しく、流風は目を細めた。

 呆れたように息を吐きながら、風祭が彼らを見遣る。主将としての立場か、努力を重ねる一アスリートとしてか。風祭は、彼らに思うところがあったのだろう。以前六連が赴任してすぐに、長距離部員たちに苦言を呈した彼を思い出す。あれは、きっと()()いうことだ。


「おれも、がんばりたいです、先生! だって、すごくかっこよかった!」

「格好良かった、などと……そう感じてもらえたのなら、そんな嬉しいことはない」

「お、その意気だ、慎悟。頼もしいな」

 

 きらきらと瞳を輝かせ、慎悟が告げた。一年生ながらに県大会まで進んだこの同期は、この輝く瞳のままに、真っすぐに突き進んでいくのだろう。それはなんだかとても痛快で、流風はそんな光景をはやく見てみたいと思ったのだった。


   *


 やがて、ジョグをしていた二人が、戻ってきた。すこし照れくさそうに待たせたことを詫びる彼らは、どこか晴れ晴れとした表情を浮かべて顔を見合わせている。どこか熱に浮かされたような顔をして財前も戻ってきた。そう、これにて、長距離メンバーは勢揃いだ。


「皆さんの旅は、まだまだここから始まるのですよ。もし今日の僕たちを見て、何かを感じてくれたのなら。その心の赴くままに、そこに見える道を進んでみてください」

「――!!」

「間違っていたっていいんです。進んで、間違えて、また進んで――それも、絶対に皆さんの糧になります。……僕たちがそうであったように」


 告げる六連の言葉は、柔らかくも力強い。きっと大丈夫だと信じさせてくれる、そんな言葉だ。

 それにしても、「道」とは。難しいな、と流風はひっそりと苦笑した。篠崎の走りも六連の走りも、そして如月の走りも。そもそも皆の走りでさえも、格好いいとは思えども、それは流風の足元からは遠く断絶した世界に思えた。流風の側から続く「道」は――?


「やっぱり、駅伝だろ。長距離っていえばよ」


――――駅、伝……!


 江間が顔を輝かせて告げる。その様子は、今までの江間の態度とは打って変わったような熱量を湛えていた。「駅伝」。その響きにさわりと胸が踊った。


「駅伝……って。解るよ、解るけど恭輔……。どーするの、俺たち()()()()()()()()()

「うっ……」

「高校駅伝の区間は七区間。うーん、人数の壁……ですか。僕にはどうすることも出来ませんねぇ」

「なあ」


 自信満々に告げた江間に、八須が不安そうな顔で疑問を投げ掛けた。思わず言葉に詰まっている江間をチラリと見て、六連はわざとらしく嘯いている。ぱちり、と飛んだ六連のウインクに溜息を吐いて、風祭が手を挙げた。

 ここから始まる。六連のその言葉が、今、まさに現実となる――。

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