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青天を翔ける  作者: 灰猫
【第2章】氷解。そして、ある"春"の終わり
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28.思わぬ邂逅(天恵9年6月下旬)

「――い、おい! 雄大!」

「っ、来るなよ!」

「ちょっと落ち着けよ、どうした」


 追ってきた気配には、気付いていた。必死に駆けてきたはずなのに、その気配はいつしか雄大に追いついて、その腕を強く掴んだのだ。こうもあっさりと追いつかれる自身の才能のなさが情けなく、雄大はその悔しさを、腕を掴んだ己の同期にそのままぶつけた。けれど、振り払おうとした腕は強く掴まれたままで、「落ち着け」と言った恭輔は、そのまま雄大を引き摺ってベンチへと座らせた。

 いつの間にか、公園まで走ってきていたらしい。そう気付くほどには余裕を取り戻した雄大は、小さく息を吐いた。


「……君は、何も思わないわけ?」

「先生のことか? ……あー。なんか、納得しちまった。俺ぁ、……二回も叩きのめされたからよ」


 視線を揺らしながらの答え。恭輔が見ているのは、その時の光景――だろうか。かつての光を取り戻しつつあるこの才能は、眩しく雄大を照らす。それを素直に直視できなくなったのは、きっと自分の問題だ。分かってはいるが、この泥沼のような苦い感情から抜け出すことができない。


「お前は。……楽しくなかったのか?」

「そんなの……! 君が()()()側だから言えるんだ」

「お前……どうしたんだよ?」

「君には解らない……! 俺は――」

「どうした。――仲違いか?」


 楽しくない、訳がなかった。それでも、それさえも塗り潰すほどの、暗い感情が止まらない。感情のままに言葉を吐き続ける。恭輔に心配そうに覗き込まれると、一層惨めさが増した気がして、雄大は拳を握りしめた。そうして言葉を続けようと息を吸い込むが、それは言葉にはならなかった。第三者の声が、乱入してきたからだ。

 思わず振り返ると、そこには――。


「清崎監督! と、ぅえ!? ――篠崎久蓮!?」


   *


「随分急だな。どうした?」

「やー。根詰めすぎだって追い出されまして」

「それでこんなとこ(長野)まで来ていたら、蓮介さんの苦労は水の泡だな」

「そんなこと言って。予定空けてくれる夜センパイ優しい~」


 肩を竦め、夜はからからと笑う後輩を見遣った。出会った頃とは打って変わっておどけた明るさを見せるその顔には、隠しきれない隈が居座っている。ムーンベルクに入社して以来、実業団選手と研究者としての二足の草鞋を履きこなしているとのことだが、その代償が健康(これ)だというなら、それはあまりにいただけない。尤も、この後輩の監督(雪沢蓮介)もそう思ったからこそ、今久蓮はここに居るのだろうが。

 ともあれ、久々に会えたことが嬉しくないはずもなく。隣でにこにこと幸せそうに笑う後輩に、夜もまた笑みを浮かべた。


「アレ? ね、夜センパイ。あれ、昴サンとこの――」

「ん? ――! お前、良く判ったな」


 感慨に耽っていた夜の服の裾を引いて、久蓮が指さした先には、ここ数ヶ月でよく見知った二人が居た。見慣れたチームジャージではない彼らを、関係者でもない久蓮は、こうも容易く認識してみせた。それがこの後輩だとは、あの三年間で、すっかり思い知ってはいたけれど。

 どうにも不穏な空気を垂れ流している彼らに顔を見合わせると、夜は久蓮と共に、彼らに声をかけるべく近寄った。


   *


「清崎監督! と、ぅえ!? ――篠崎久蓮!?」


 自分でも、情けない声だと思った。でも、それも仕方のない事だと思うのだ。蒼桜高校に程近いこんな小さな公園で、常翔高校の清崎監督に出くわすだけでも驚きだ。それなのにその傍らには、つい先日テレビで見たばかりの、あの日本長距離界の"至宝" が立っていたのだから。


「ちょ。|"至宝"っての《それ》、あんまりスキじゃないんだケド」

「"無敗の帝王" よりはいいだろう」

「どっちもヤ、です」


 子供のように唇を尖らせる姿に毒気を抜かれた恭輔は、ぽかんと、隣に佇んでいた雄大と顔を見合わせた。そして、数拍の後、篠崎が()()()()()()()()呟きを拾っていたことに気が付く。驚きに声も出せずに目を白黒とさせれば、篠崎に悪戯っぽく笑われた。


「で? どうしたお前たち。そんな空気を出していたら、近所の子供に通報されるぞ」

「っ、それは――」

「あー、コレ……オレが余計なコトしちゃったヤツ、か」


 夜の問いに、気まずさ一杯に口ごもった恭輔と雄大を見て、篠崎は小さく頭を抱えた。


「……センパイ。昴サンって、ココでどんな感じです?」

「変わらんさ。極北でのあいつとな」

「ナルホド。――、オッケー」


 小さく問うた篠崎は、清崎の答えにそっと目を伏せて、ゆらゆらと視線を彷徨わせた。そして再びその漆黒の瞳(モルダバイト)がこちらに照準を合わせた――瞬間。吸い込まれそうなその漆黒に貫かれ、恭輔は思わず息を呑んだ。そして、それは隣の雄大も同じ、ようだった。


    *


「キミみたいに悩んだヤツを、オレは腐るほど知ってる」


 小さな唇が笑みの形に弧を描くのを、雄大は縫い付けられたように見つめていた。そこから零れ落ちるのは、酷薄な――才能のない者を突き放す声色を持った言葉だった。「天才」特有の、それ。


「好きにすればいいさ。全て自由だ、進むのも戻るのも」

「――っ」


 深いふかい黒に、全てが見透かされている気がした。小さく卑しい自分が、全て。その瞳が恐ろしく、雄大は息を呑んで目を反らした。

 ふ、と、篠崎が小さく息を漏らした。それは、失望の溜め息にも、慈愛の微笑にも聞こえて、思わず顔を上げた。視界に映った篠崎は、どこか遠い目をして、歌うように告げた。


「逃げたければ、逃げればいい。だけど、それが少しでもその心に反するのなら――その()()はともすると、いくら後悔しても足りないぜ」

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