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青天を翔ける  作者: 灰猫
【第2章】氷解。そして、ある"春"の終わり
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27.波紋(天恵9年6月下旬)

「……驚いたぜ」

「俺の方が驚きだったよ。――何でお前らが、気付かねーのかってさ」

「っぐ……」


 大会明けの部活。練習が始まる前に、なんとなく集まった面々は、先日判った衝撃の事実について、ぽつぽつと言葉を交わしていた。しみじみと呟く江間に、風祭が呆れた目を投げている。

 風祭がそう言うということは、長距離をやっている人間であれば気付いて然るべき、と思っているということだ。それほどまでに――。


「あの、なんていうか……有名なんですか? 六連先生って」

「あー。お前はしょうがないよな、流風。いいか? ――皆も。昴先生はな、確かに極北大学院の出身だ。篠崎久蓮、如月蒼と共に、極北大学を"その年" の全日本大学駅伝優勝に導いた立役者。そして――」


 流風の零した疑問に、風祭はいくらか芝居がかった口調で六連の来歴を口にした。「そして」と言ったところで言葉を切った彼は、その反応を確かめるように、聞き入る部員たち一人ひとりゆっくりと見回した。


「――学部生時代は、あの箱根駅伝の王者・青谷学院の主将兼エースを張っていた。そんな選手、だよ」

「っあの!?」

「! ……い、いや、青谷の六連……って、もっと――」

「……ま、言いたいことは解りますけど。間違いなく、本人ですよ」


 騒然とする部員たちの、その驚きの意味は、流風には良く解らなかった。けれど、「箱根駅伝」――それは、ついこの間まで運動に縁がなかった流風でさえ知っている、きっと、世の長距離ランナーたちの憧れの舞台だ。そんなところで走るだけでもすごいのに、それどころか六連は、そのトップを走る選手だったのだという。

 そんなすごい選手に、教わっていたのだ。自分たちは。恵まれすぎているようにも感じるこの()()に、流風はただ唖然とした。


   *


 確かにあのインタビューのとき、どこか()()()()()()()名前が話題に上ったとは思ったのだ。そして、おかしいと思ったのだ。()()()走りができる「選手」が、平凡な経歴である、などということは。それでも。

 どうして颯太が()()を知っているのか。そんなことも些末なことに感じられるほどに、その口から告げられた事実は衝撃だった。そもそも、「六連昴」は、もっともっと、剥き身のナイフのような鋭さを湛えた人物だったはずだ。そんな疑問も、あっさりと凛太郎に一蹴された。


「なんで、こんなとこで……」

「不本意ですよ。……あの人だって、本当は――」


 恭輔の零した疑問に、どこか痛みを含んだ声で、凛太郎は告げる。その様子が、なんだかとても凛太郎らしからぬものに感じて、恭輔はぱちりと目を瞬かせた。

 不本意。それは、そうかもしれない。()()瞳を――あの焔の揺らめきを目にしてしまえば。今までこの学校で目にした昴の姿は、その全てが生易しい気さえした。


   *


「……俺は、認めない」

「――っ、」

「雄大!」


 いつも通りに始まった練習前の集合の場で。ずっとずっと、もやもやと心の内に燻っていたどす黒い感情をそのまま吐き出して、雄大は目の前の青年――この部活の新任顧問を睨みつけた。その言葉を聞くや否や、傷ついたように顔を歪めて息を呑んだ六連に、心がぎしりと軋んだ。それでも、一度零れ出た感情は、留まることを知らなかった。


「心の底では、馬鹿にしていたんでしょう! 遅い俺を、ずっと!」

「そんな、」

「だから、言わなかったんだ。あんたは、自分の正体を……!」

「っ違います、僕は……」

「やめろ雄大!」

「お前らも、この人の味方すんのかよ。――そうだよなあ!」


 言えば言うほど、惨めな気持ちが湧いて出て、雄大は唇を噛み締めて言葉を切った。悲痛な面持ちの六連と、心配そうな仲間たち。その視線から逃れるように踵を返し、雄大はその場を逃げ出した。


   *

 

「……追わないんですか」

「黙っていたのは……本当ですから……」


 駆けていく背中を辛そうに見つめる昴に、颯太は小さく問いかけた。答えるその声は、酷く硬く尖っている。含まれる感情は後悔、いや――自責、だろうか。ちらり、と流し見て、颯太は息を呑んだ。激しいほどの求心力をもってして、腐っていた恭輔を引き上げた強い瞳は鳴りを潜め、そこに在るのは頼りないばかりに瞳を揺らした――。

 颯太はぎ、と恭輔を睨んだ。昴が沈んでいる今、意固地になっている()()()に声を届けられるのは、この「天才」くらいだろう。もとはと言えば、こいつが腐りなどしなければ、ここまで拗れることもなかった気がする。


「っち。……任せろ」


 颯太の視線の意味を正確に酌んだらしい恭輔は、舌打ち一つを残して、雄大が消えた方向へと駆けて行った。そんな背中を見送って、颯太は溜息を吐いた。あちらは恭輔に任せておくとして。問題はこの空気をどうするか、だ。

 ちらり、と再び昴を窺うと、陰った瞳と視線が重なった。


「……バカにしてたんですか、貴方は」

「誓って、そんなことはしません」


 解っている。昴がどれだけ真摯に自分たちに向き合っていたか。今、敢えて問うたのは、部員たちにそれを聞かせるためだ。


「知ってますよ、そんなこと!」

「てか、()()()()されちゃねぇ! 走るの大好きだー! ……ってまる分かりですよ」

「ほんとうは、雄大先輩だって知ってますよ。だって、あのビルドアップの時、凄く嬉しそうだった」


 静かに首を振った昴に、部員たちの怒涛の言葉が降り注いできた。ぽかんとした表情で目を瞬かせている昴は、部員たちの反応に心底戸惑っているらしい。


「伝わらないはずないでしょ」

「……お前にも、か?」


 いつの間にか傍らに立っていた凛太郎が、不敵な笑みを浮かべてきた。確信に満ちたその表情に驚いた颯太は、思わずそう問うていた。その問いに、返ってきたのは、苦笑――。

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