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青天を翔ける  作者: 灰猫
【第2章】氷解。そして、ある"春"の終わり
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25.待ち望んだ光景(天恵9年6月下旬)

「いいものを見せてもらったな」

「夜さん!」


 いつの間にやら蒼桜高校のベンチに現れていた夜に、昴はぱちりと目を瞬かせた。よりにもよって、今日。だから昴は、夜がここに来た目的を瞬時に察してしまった。


「もう一つ、()()()()()があってな」

「……」

「範昭には、"行けないが、中継を見る" と伝えてある」

「……どうして、そこまで」


 もう、逃げ道はないと思った。皆に着々と埋められていた外堀に、昴は観念したように瞑目した。そうして息を吸い込み、再び目を開けたとき。昴の視界には、こちらを見つめる真摯な瞳の生徒たちが在った。


「少し――僕の我侭に付き合っていただけますか?」


   *


 唐突にも感じる、どこか観念した様子で放たれた六連の言葉に、流風は目を瞬かせた。自身の事に関しては何かと遠慮しがちなこの顧問の「我侭」など、そう難しいことではないのだろう。そして、そう考えるのは、流風ばかりではなかったようだ。


「どうせ、そう大変なことじゃないんでしょう」

「そう、例えば。――この()()を見る、とかね」

「んな、」

「どうした昴。お前……随分、分かりやすくなったな?」


 呆れたような苦笑を浮かべて風祭が答えれば、ひょこりと顔を出した財前が、ひらひらとスマホをかざしながらに言う。図星を指されたらしい六連は、ぽかりと口を開けて珍しい放心顔を晒している。珍しい物を見たとばかりに呟く清崎の声に、六連は苦笑を零した。

 そんな小さな騒動に、長距離以外の部員たちも、なんだなんだと寄ってくる。にわかに賑やかになった輪に、流風はくすりと笑った。


   *


「日本選手権?」


 昴が告げた事情の説明に、流風と慎悟が顔を見合わせて首を傾げている。


「ええ。もうすぐ、男子一万メートルの開始時刻なのですが……僕はどうしても、このレースを見なければならない――見たいのです」

「……? あ! もしかして、()()()()()()!?」

「ええ」


 昴が付け加えた説明に、はっとした慎悟が問う。短い返しは肯定だ。それを聞いた流風と慎悟は、もう一度二人で顔を見合わせて目を瞬かせた。


「なーんだ、そんなのいいに決まってますよ」

「え、僕たちも一緒に見ていいんですか?」

「え、てか……日本選手権?! 先生の後輩ってそんな凄い選手だったの?!」


 慎悟の言葉を皮切りに、集った面々がわいわいと驚きの声を上げている。昴の事情を知っている颯太からすると最早なんということのない事実(それ)は、部員たちに大きな衝撃をもたらしたようだった。そして、昴の目当ての人物を知っている颯太は、「()()()()()じゃないけどな」とぼんやりと考えながら、とりあえずはこの騒動を落ち着かせるために口を開いた。


「ま、落ち着けお前ら。――見れば解るさ」


   *


 小さな画面の中で、爽やかな風がふわりと揺れた。スタートラインに並び立つのは、色とりどりの――よく見慣れたユニフォームたちだ。選手紹介の意を込め、一人ひとりをアップで映していく画面から、昴は目を離すことが出来なかった。順々に映るのは、誰も彼も、懐かしい顔たちだ。もしかしたら、自分も彼らと共にそこに立つ未来があったかもしれない――。

 だから、嫌だったのだ。浅ましくも未だに未練を振り切れない自分に嫌が応にも気付かされるから。


「蒼……」


 画面に、二年間慣れ親しんだ紺銀のユニフォームが映り、昴は小さくその名を呟いた。()()()()で劇的な成長を遂げたかの後輩は今や、三年生ながらに関東勢を抑えて学生陸上界の頂点に君臨している。

 そして。その隣、真新しい赤基調の、()()ユニフォームが映り込んだ時、昴は思わず息を呑んだ。声も出ない。できることは、ただ静かに見つめることのみだ。


『日本中が待ちわびた! "至宝" 篠崎久蓮、()()レース!!』

「"至宝" 、ね」

「"無敗の帝王"よりは、落ち着いた二つ名ですね」

「……そうか……?」


 駅伝の実況では最早お馴染み、邨山アナの歓喜に満ちた声が、端末から響いてくる。その言葉に、夜と凛太郎、そして颯太がコメントをしているが、それすらも遠い。そこに映るのは、かつてと違わぬ笑みを悠然と浮かべた――。

 高らかに、号砲が鳴り響く。始まったのは、心から待ち望んだ光景、揺らめく焔。たった十センチ程の画面に映るそれが、今、昴の全てだった。


   *


 こんな、勝負があるのか。

 たった十数センチの画面の中で繰り広げられるレースに、流風は声も出せないままに魅了された。そこに在るのは、確かに日本最高峰――なのだろう。そう、素人目にも解るほどに、凄まじかった。


「――っ、」


 誰かが息を呑む気配が揺れた。バチバチと弾け飛ぶ、青に赤に煌めく焔が、画面をはみ出してこちら側まで焦がし尽くすようだ。

 選手たちは、一つの集団となって、その幻想的な光景を創り出している。誰もが、この一瞬の勝負を、心の底から楽しんでいる――そんな想いが伝わってくる。そして、その先頭を駆けているのは、紺銀と、黒紅の、二人――。


「流風、よく見てなよ。……あれが昴先生の見ていた世界だ」

「――え、」


 ふ、と。財前が耳許で囁いた言葉。その意味を理解したとき、流風は驚きに目を見開いて、かの顧問を見遣った。その表情を見て、流風ははっと息を呑む。いつも穏やかなその表情は鳴りを潜め、今そこにいるのは、画面の中の選手たちと何ら変わりない――いや、その殆どより、余程――。

 凄い人だとは思っていた。その走りを見たときから。いや、見る前からずっと。けれど、これは。もしかしたら、自分たちの顧問は、流風や皆が思っているよりも、もっとずっと、凄い人なのではないだろうか――。

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