24.二人のエース(天恵9年6月下旬)
しとしとと降り続く雨の切れ間。空には美しい青色が広がっていた。降り注ぐ陽光は、いつの間にか夏の匂いを漂わせて、明るく流風たちを包み込んでいるかのようだ。
六月も最終週の今日。高校総体の北信越大会が行われるのだ。新潟、長野、富山、石川、福井――その五つの県で、それぞれ県大会を勝ち上がった選手たちが集う、凄い大会。県大会よりも更に一段上のひりついた空気に、流風は思わず息を呑んだ。
「……す、っごい……」
「ようやく、戻ってきたぜ」
「ったく、遠回りしすぎなんだよ、お前は」
「……るっせ」
早くも会場の雰囲気に圧倒されている流風の鼓膜を揺らしたのは、感慨深げながらも自信に満ちた先輩二人の軽口だった。この緊張感あふれる空気をものともしない二人――風祭と江間の様子は、流風にとっては頼もしくも異次元にすら感じるほどだ。
「お、お二人とも……。緊張しないんですか……?」
「あ?」
「ん?」
恐る恐る尋ねた問いに、二人は瞬間疑問符を浮かべ、そして二人顔を見合わせた。
「しねーよ、緊張なんて。……だってよ、わくわくすんだろ」
「そりゃ、多少はね? でも、そんなことより楽しみだ」
なんだか似たり寄ったりな答えに、流風は目を瞬かせた。この二人は、そんなに仲が良くはないと思っていたのだけれど。「走り」に対する姿勢は、実はかなり似た者同士なのかもしれない。
「先輩たち、被ってる」
「頼もしいですね、その意気です」
くすくすと笑うのは財前だが、そんな楽しそうな彼は珍しかった。そう感じていたのは流風だけではなかったようだ。流風のちょうど反対側で、彼の同期でマネージャーの水越が、大きな目を見開いてその笑顔を見つめていた。
二人のエースの意気込みに、静かに微笑むのは六連だ。その顔は、いつもの頼れる顧問そのもの、だった。
*
晴れた空に号砲が鳴り響く。
まず始まったのは、江間の出場する男子千五百メートル、その予選だ。一日に二度も本気で千五百メートルを走るなんて、流風にとっては恐ろしい話に聞こえるが。今日、江間はそんなレースに挑むのだ。
一斉に飛び出す選手たちの中で、江間は先頭からやや後ろの位置につけている。
「うん、良い位置取りですね」
隣に座る六連が、満足そうに頷いている。ちらりとそちらを窺うと、「確実に決勝に進むには、三位以内に入らないといけないんです」と教えてくれた。
「この組には芳賀君もいないですし。今の恭輔さんの実力なら、注意すべきはあの富山の彼くらいでしょう」
そういって六連の示す先――集団の先頭では、藤色のユニフォームに身を包んだ背の高い青年が力強くレースを引っ張っていた。
流風がその迫力に気圧されているうちに、あっという間にレースはラスト一周を残すのみ。ベンチの声援にも熱が入る。鐘の音と共に始まるラストスパート合戦に、息をつく暇もない。江間は元の位置からぐんぐんと順位を上げ、三着でゴールラインを割った。
*
「凄い! 恭輔先輩、決勝だ!」
恭輔の勇姿に、ベンチがわっと沸いた。そんなチームメイトたちを余所に、凛太郎は眼下で息を整えている恭輔の姿を、静かに見つめていた。垣間見えるその表情には、小さな安堵と満足感、そして――。
「その、熱――」
「どうしたのよ、寝太郎?」
思わず小さく呟きが零れたそのとき、隣に座っていた由希が半目でこちらを覗き込んでいた。一見冷たくすら見えるその瞳の奥に、ちらりと心配の色が揺れていて、凛太郎は不思議な気持ちになった。「話しても解らない」という思いと、彼女なりに受け止めようとしてくれているという現実がせめぎ合う。
凛太郎はぱちりと瞬きをすると、ふっと苦笑を零した。
「よかった、と思って」
誤魔化し、とも取れるその言葉は、それでも確かに凛太郎の本心でもあった。由紀は小さく目を見開くと、「そうね」と微笑んだ。
「見てろ、お前ら。――次は俺の番だ」
恭輔の走りに感化されたらしい我らが主将――颯太が、好戦的な笑みを浮かべてそう言った。その熱量に当てられて、凛太郎の胸の中に、ちりり、と火花が散った気がした。
*
次に始まったのは、風祭の出場する四百メートル――その予選だ。スターターピストルの音と共に飛び出した選手たち。各組の一着のみが決勝に進めるという厳しい戦い。そんな緊張感をものともせず、風祭は風を切っていく。
「主将ーーっ!」
「颯太先輩! ファイト!」
あっという間にホームストレートに帰ってきた選手たち。風祭は、その先頭を堂々と駆け抜けていく。そのブレのないフォームは、同じ組を走る誰よりも――。
「凄い……!」
必死に応援の声を張り上げるチームメイトたちの傍らで、流風はただその光景を見つめて目を見開いた。いつもいつも同じ場所で練習している仲間――部を引っ張る主将の勇姿に、込み上げるこの気持ちは何だろうか?
危なげなく決勝への駒を進めた風祭に、そして先ほど好走を見せた江間に――流風は感じたことのない想いに駆られて立ち尽くした。
*
「危なかったな、お前」
「っるせ、……分かってるよ」
自身と颯太のレースが終わり、ダウンを終えてベンチへと戻ってすぐ。にやにやとした笑みを浮かべた颯太が、そんな言葉を投げてきた。正直、ぐうの音も出なかった。なんとか、全国の切符は掴んだ。けれど、六位までが全国の出場権を得る――そんなレースで、恭輔の順位は六着だ。危なげなく二着で表彰台に立った颯太とは大違いだった。
「次は、もっときっちり走ってやる」
「――頼もしいな」
「……!」
「清崎監督……!」
次のレースまでの成長を悔しさに乗せて呟いたその時、聞き馴染みが薄い声が、感心したように響いた。とっさに振り返るとそこには、六連の先輩である常翔高校の監督――清崎夜が立っていた。




