21.求めるモノ(天恵9年5月下旬)
いつでも明るく前向きに振舞っているその同輩は、悔しさを御しきれないときは、決まって独り、皆と離れた遠く陰の在る場所に向かうのだった。今までだってそんなことには気付いていたけれど、そんな彼に声をかけたのは、今回が初めてだった。自分の出る幕ではないと思っていたから。だから、今日のコレは、単なる気紛れだ。ただ、皆の「熱さ」に、少し流されただけ――。
凛太郎は、そんな空事を浮かべながら、壁に手を着いて俯いている己の同期に声をかけるべく、口を開いた。
「ねえ」
「――っ、」
「……別に取って喰いやしないよ」
「……」
驚くと解っていて声をかければ、案の定。そんな反応を意に介さず、凛太郎は小さく溜息を吐いて肩を竦めた。それでも相手――努武は、どこか恐れを含んだ瞳でこちらを見つめてくる。粗方、何を言われるのか、とビクついているのだろうが。努力をしている人間の上げ足を取るように責め立てるほど、凛太郎も人間が腐っている訳ではない――はずだ。
同期と言ったって、数えるほどしか言葉を交わしたことはない。それなのに自分が今日、この青年に声をかけたのだって、結局はただの興味本位だ。皆の瞳に灯る、熱い焔の理由を求めて。それは、あの顧問に問えば的確な答えをくれる気がしたけれど、どういうわけか凛太郎はそれは嫌だった。それはきっと、自分のものにはならないから――。
「悔しいの」
「っ、き、まってるだろ!」
「そう。……どうして?」
「え、……」
「ふざけているのか」と。そんな鋭い瞳を投げつけてきた努武に、けれども凛太郎は静かな視線を返すのみだ。怒りを買う問いだというのは、折り込み済。気の利いた問いなんて元々できやしないのだ、自分には。
*
同期でありながら、何を考えているのか、解らない。いつも居眠りばかりで、真剣に勉強や部活に取り組んでいるところなど、見たことがない。それなのに、学力は常にトップ。走りだってそこそこ。そんなこの青年が、努武は正直苦手だった。
今日だってそうだ。独り悔しさに奥歯を噛み締めているところにふらりとやってきて、「どうして悔しいの?」などと。馬鹿にしているとしか思えなかった。湧き上がる怒りに任せて睨みつけたその先、彼――凛太郎の浮かべる表情に、努武は息を呑んだ。
「な、……んで。そんな表情……してんだよ」
「何……」
「気付いてないの?」
「?」
いつも、何もかもを見通すような冷めた瞳で、つまらなさそうに世界を見つめている凛太郎の顔は、どこか寂しそうにも、焦っているようにも見えた。そのことに言及しても、当の本人は全く気付いていなかったけれど。
もしかしたら、今日こうし珍しく努武に話しかけてきたのも、これが関係しているのかもしれない。この、らしくない様子が。
「……当然だろ。ずっと目指してるんだよ、俺は。中学のころから、先輩の隣に並び立って、そして――その背を追い越すことを」
だからなのかもしれない。敢えて言葉にして他人に伝えるのは照れくさいその想いを、こんなにも真っすぐに口にできたのは。
「でも、まだ、届かなかった」
「……! ……そう」
努武の言葉を聞いた凛太郎は、小さく目を見開いて、小さく眉を下げた。そしてあっさりと踵を返す。唐突なそれに驚いた努武の耳に、小さな呟きが届いた。ともすれば聞き逃していただろうそれは、きっと彼の偽らざる――。
「それは……、……羨ましい」
*
「慎悟! ファイト!」
スタンドの上から、流風が自分を応援する声が聞こえた。笑みを浮かべてひらりと手を振る。入部したころはどこかびくびくと身を竦めていた彼は、今や笑顔で慎悟へ声援を飛ばしてくれている。
慎悟は走ること――陸上が好きだ。だから、そんな陸上を流風もまた好きになってくれていることが、慎悟はとても嬉しかった。
「がんばるぞ!」
本当は、まだまだ実力不足だろう。でも、それで物怖じするような自分ではない。応援してくれる流風に、自分も少しでも応えるのだ。
晴れた空に響き渡る号砲に、慎悟は口角を上げて飛び出した。
*
号砲と共に一斉に駆け出す選手たち。それを眼下に眺めて、流風は祈るように手を胸の前で組み合わせた。男子八百メートル、その予選第一組目。慎悟は集団の真ん中あたりにつけて、虎視眈々と前へと出る機会を窺っていた。
「慎悟……!」
祈るように呟く。真っすぐに前を見つめて走る、慎悟の瞳には熱く焔が燃えている。その姿は、とても――。
「格好良い……!」
「――ええ」
ぽろりと零れた心の声に、六連が優しい声で同意をくれた。
あっという間にラスト一周の鐘が鳴り、ラスト二百メートル。選手たちが我先にと勝負を仕掛けていく。ぐわりと一気に上がったペース。瞬きをする程の間に、第三コーナーを回ったばかりだった集団は、その形を縦に伸ばしながらホームストレートに戻ってきていた。
三着までが決勝に進める。そんな勝負の際で慎悟は、三番目を走る栄朋高校の選手と一進一退の攻防を繰り広げていた。
「慎悟ーっ! ラスト、ファイトー!」
「行け、慎悟!」
白熱の順位争い。そんな様相を呈する眼前の光景に、ベンチの応援にも自然と熱が入る。流風も気付けば、声を張り上げていた。
必死に腕を振る慎悟。彼らの息遣いが酷く間近に感じられて、その迫力に流風は目を見開いた。その勝負の熱量に、ただただ圧倒される。一体この空間に、自分は飛び込んでいくことができるのだろうか――。
唖然とレースの結末を見つめる流風を、六連が静かに見ていた。
*
「皆さん、今日はお疲れ様でした」
そんな六連の言葉で始まった、終わりの集合。結局のところ、県大会を勝ち上がり北信越大会への切符を掴んだのは、颯太と恭輔の二人だけだった。努武も慎悟もあと一歩というところで、出場は叶わなかったのだ。そんなに、高い壁――。
悔しさを滲ませながらも更なる飛躍を誓う彼らの熱量に、流風は、凄いと思うと同時に、どこか戸惑いを感じるのだった。




