18.その背を押す手は、(天恵9年5月下旬)
才能は、残酷だ。そんな当たり前のことを、いつだって俺は、突きつけられて生きてきたのに――。
中学時代、江間恭輔は、八須雄大の憧れの選手だった。学校は違ったけれど、一年生のころから、地区大会の決勝に名を連ねる、地元のヒーロー。そんな存在だった。同じクラブチーム出身だという芳賀佳人との競り合いは、いつだってワクワクしたものだ。
そんな江間恭輔と、同じ高校になるなど、あの頃の自分は思ってもいなかった――そう思ったのもつかの間、高校生になった彼は、自身の才能に限界を感じて腐っていた。
「それでも、俺は、信じてた……のに」
一年生のころから、雄大は恭輔のやる気を取り戻させようと、必死になっていた。そんな様子を見ていた颯太にも協力をしてもらい、奔走した一・二年生。けれど、一向に変わらない恭輔の心と、一向に伸びない自身の実力に、いつしか雄大は諦めてしまったのだ。自分には、何もできないと。凡人の、自分には――。
*
今日のメニューはビルドアップ走。だんだんとペースを上げて走る距離走だ――なのだけれど、設定ペースが、キツい。集団の一番後ろにつきながら、雄大は荒い呼吸を零した。手足は重く、前を行く恭輔たちとは、大きな実力の差を感じた。
また二千メートルが過ぎ、ペースが上がった。
「――っ、」
前との差が、みるみる広がっていく。そう、雄大が全く切り替えられていないのだ。いつだってそうだ。才能というのは、残酷だ――。
――――"結局お前は、諦めてるだけだろ。そうやって自分に言い訳してさ"。
呆れと失望の色を乗せ、投げつけられた颯太の言葉が、脳裏を過った。凄いやつだと思う。天才たちが見せつける力にもめげず、ひたむきに練習を重ねてインハイを目指すその意思の強さは、マネできるものではない。そう、誰にでもできることではないのだ。
「うるさいよ。誰もがお前みたいに、前だけ向いて頑張れるわけじゃない」
「――全くです」
「っ、六連、先生――?!」
零れ落ちた呟きに、予想もしない答えが返ってきて、雄大は驚きに振り返った。いつの間にか並走していたのは、先ほどまでマネージャーの横で練習を見守っていたはずの顧問・六連昴だった。
「誰もが順風満帆に行くのなら……誰も苦労しません……っ」
その言葉には、どこか悔しげな色が乗っていて、雄大は混乱した。この間見せたあの走り、生徒たちに慕われる頭の良さも、六連の全てが、あちら側の人間――悩みなどないように思えたのに。
ぐ、と背中を押され、前を行く彼らの背中が、少しだけ近くなった。
「ちょ、先生! いいって、俺なんか――」
「では……っ、諦め、続けるんですか?」
「な、こと……。でも、」
「心が嫌だというのなら、……足掻けばいい……!」
アウトコース側からかけられる声は、常の六連に似合わず、熱いセリフだ。押された背中から、六連の体温が伝わってきて、じわじわと心が温かくなる。その温かさが恐ろしくて、雄大は拒絶の声を上げた。
「あなたに! 何が解るって言うんですか!」
「わかりませんよ……っ、貴方の悩みは、貴方のものだ……っ」
「なら――」
「……がむしゃらに頑張るのが嫌ならば、無理強いはしない! だが、後悔して欲しくないんだ! ……ただ、俺は――」
雄大の拒絶を切り裂いて、六連は言葉を投げつけてきた。その必死さに、雄大は困惑する。どうして、この人は、こんなにも一生懸命なのだろう。教師だから? 教師だからと言って、皆が皆、生徒の為に親身になってくれるとは限らない。そんなことは、痛いほどに知っている。では――?
いつの間にか、離れていた前との差は、手が届きそうなほどに、近づいていた。
「――!!」
「……ほら、な。できるだろう?」
「どうして――」
「っ、――ゲホゲホゴホ、……っ、は」
自信たっぷりな、満足げな声。それが、六連の口から出たと気づくのに、少しの時間を要した。この、雰囲気を――雄大はどこかで、観たことがある気がする――。
問いかけようとして、雄大は言葉を切った。突如、六連が苦しそうに胸の辺りを掴んで、咳込んだからだ。いきなりのことに驚いた雄大が、伸ばした手は空を切り、次の瞬間。その身体が崩れ落ちていくのが、いやにゆっくりと、雄大の視界に映っていた。
「先生!?」
*
「ちょ、努武! タンマ、」
「え、颯太先輩――?」
雄大に並走してトラックを走る六連の姿を目で追いながら、自身のメニューを熟していた颯太は、一緒に練習をしていた後輩の進藤努武に声をかけ、驚きの声を上げる彼を置き去りにして駆け出した。すでに五キロ以上並走を続けている六連が、突然苦しそうに胸を押さえる仕草をしたからだ。
「先生!?」
監督室から薬を持ち出した颯太が、六連のもとに辿り着く前に、六連の身体が崩れた。驚愕に染まった雄大の声を聞きながら、颯太は舌打ちを零して駆けた。
「ゲホゲホ、ヒュー、……っ、はあっ、ゼイ、っ……」
「先生、薬!」
「はっ、……あり、……ヒュ、ゼイ、っ」
練習どころではなくなったグラウンドは、驚きに染まっている。吸入薬の音と共に、酷く荒れていた六連の呼吸が、徐々に静かになっていった。上下する胸の動きが普通に戻ったのを見て、颯太は安堵の息を吐いた。何度見ても、慣れるものではない。
ふと顔を上げると、六連に負けず劣らず青い顔をした、長距離のメンバーが視界に映った。通常運転なのは、凛太郎くらいのものだ。
「どういうことだよ、颯太。説明しろ」
「……ったく……。いつか、こうなると思ってましたよ」
「すみ、ません……」
言いたいことは、皆同じなのだろう。鋭い剣幕で凄んでくる恭輔に、颯太は溜息を吐いた。




