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青天を翔ける  作者: 灰猫
【第2章】氷解。そして、ある"春"の終わり
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17.硬直(天恵9年5月中旬)

「なんだ、そんなことですか」


 六連に場所を移してもいいか、などと聞かれたので、何事かと身構えたものの、その事情を聞いた颯太は、呆れたような声を出した。


「そんなこと、とは。酷いですね、僕にとっては一大事です」

「何が一大事、ですか。そんなの、観に行けばいいでしょう」

「全く……簡単に言ってくれる」


 神妙な顔をして切り出された話は、颯太の予想とは違っていた。いや、本質的には、同じなのだろうが――。

 六連の話を要約すると、怪我で戦線を離れていた大学時代の後輩が、近々復帰レースに出場する、と。そういう報せを聞いた、ということだ。そんなもの、悩むまでもなく観に行けばいいと、颯太は思うのだが。重い溜息を吐いた昴に、颯太は肩を竦めた。


――――ま、その()()が問題、なんだろうな。


 近々復帰するというその六連の後輩――それは、颯太でさえも知っている、ともすれば、六連以上の才能の持ち主だ。颯太は映像でしか見たことはないが、高校時代には、()()()()()などという仰々しい二つ名で呼び称されていたほどの天才――篠崎久蓮その人である。六連としても浅からぬ縁、きっと特別な想いを抱く相手なのだろうが――。


「何を遠慮することがあるんです」

「……。……今更……合わせる顔などないですよ」

「?」


 颯太は、六連の言葉に首を傾げた。篠崎ともう一度走りたければこそ、六連は極北大で院生などという立場にいたのだと思ったのだけれど。そこで、何かがあった、ということだろうか。


「僕は結局、約束も守れず、前にも進めなかった人間ですから」

「――え?」


   *


 監督室を出た颯太は、大きく溜息を吐いた。結局、六連が驚くほど後ろ向き、と、それに尽きる気がするのだ。青谷学院時代の六連からも、教壇に立つ六連からも、そんなネガティブな雰囲気は感じられなかったのだけれど……。そんな思考に至ってしまうほどには、六連にとって陸上が大切で、そして運動誘発性喘息(あれ)が六連にとって初めての挫折――ということなのだろうか。そうだとして――。


――――俺たちに出来ることって、なんだ?


 重たい悩みを抱えて溜息を吐き、瞳を開いた颯太の視界に飛び込んできたのは、期待を浮かべた部員たちがこちらを向いている姿だった。


   *


「後輩のレース?」


 風祭の報告に、流風は首を傾げた。風祭曰く、六連の様子がおかしかったのは、怪我で休んでいた大学院の後輩が、今度復帰レースに出るのだという。それが突然の報せだったので、驚いていた、と。

 それは確かに、ワクワクそわそわしてしまうのも仕方がないだろう。


「先生~! おれのフォーム、見てください~」

「慎悟さん。分かりました、どうぞ」


 遅れて監督室から出てきた六連は、もうすっかりいつもの彼に見えた。慎悟の絡みに答えて、真剣に慎悟の走る姿を見つめる六連に、流風はほっと安堵の溜息を吐いた。けれど――。


「ほんとに、それだけ……だと思う?」

「……え?」


 去り際に、財前が、ぽつりと問いかけてきた。なんだか不穏なその言葉に、流風は不安に包まれて、首を傾げた。それだけ――でなかったら、一体なにがあるというのだろうか。財前は、何か知っているのだろうか。

 湧き上がった不安を振り払うように、流風はダウンジョグを始めた。


   *


「噓、吐いたでしょう。――先輩」

「吐いてねーよ。嘘()


 練習が終わってしばらくが経つ。すっかり日が暮れたそこで、凛太郎は、まだ居残っていた颯太に、そんな言葉を投げつけた。不躾な言葉だったけれど、颯太は怒ることなく、淡々と返してきた。嘘()、などと含みを持たせるあたり、隠す気はないらしい。


「実際さあ、凛太郎。お前、どれだけ知ってる」

「俺ですか? なーんにも、知らないですよ。ただ予測しているだけ。あの人が、こんなところに来ることになった理由も、思いも」

「お前、相変わらず凄いな」

「別に……。俺にとっては、これが普通」


 きっと颯太は、六連本人から、いろいろと聞いているのだろうけれど。今回のこの()()()()は、六連と、部員たちと、どちらの為か――おそらく、その両方だ。


「後輩――篠崎久蓮、でしょ」

「どうして……」

「六連昴の正体を正しく理解していれば、解るでしょ。それに、当時あの人の周りで大きな怪我をしてたのは、彼くらい」

「……」


 黙り込んだ颯太をぼんやりと視界に映して、凛太郎は暫し逡巡した。


「先生は、いかないよ」

「それじゃ……」

「その件で、俺たちに出来ることもない」

「……っ、」

「だから、あんたが気に病むこともない」

「――!」


 柄にもない励ましを告げたことが照れくさく、颯太が何か言葉を続ける前に、凛太郎は踵を返した。

 我らが主将を悩ませるとは。けれど、凛太郎としては、六連の気持ちも理解できてしまう。どうにもならない事情を前に、蹲ることしかできないのは、とても悔しく、惨めだ。そして、そんな状況から、凛太郎を引っ張り上げようとしてくれたのは、六連だ。それなのに――。


「あんたは、そこに蹲ったまま、なの?」

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