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青天を翔ける  作者: 灰猫
【第2章】氷解。そして、ある"春"の終わり
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16.懐かしい影(天恵9年5月中旬)

「あれ? 六連先生、……ちょっと元気ないですか?」

「……え?」


 流風が、六連に思わずそんな声をかけたのは、江間と六連の勝負があった、その翌日のことだった。いつものように、部活に顔を出した六連が、どこか心ここにあらずといった様子だったからだ。六連は流風の言葉に、反応鈍く答えるのみだ。

 これはやはり、流風の想像が正しい――いま六連には、心を乱す()()()が起きている――。


「先生、練習始まりますよ」

「え? ……すみません、行きましょう」


 微笑みを流風へと向けて、六連は集合の輪へと歩いて行った。その背を見つめながら、流風はなにか自分にできることはないかと思案した。


   *


「先生の様子がおかしい?」


 練習前。集合が終わり、皆がアップへと散っていくタイミングで、流風は風祭たちに声をかけた。考えれば考えるほど、打開策は見つからない。そこで、流風は早々に、先輩たちに助け舟を求めたのだ。


「そうかー? いつもと変わらねぇように見えるけどな」

「俺もそう思うな」


 江間と風祭が顔を見合わせて首を傾げた。江間の練習態度が真面目になってから、風祭の態度もまた、やや軟化したように思う。


「そんなこと、ないと思います。普通に見えるだけで……」

「んー。つってもよ、俺あんまりアイツのこと知らねぇし」

「……いや、流風の言う通りだと思うよ」

「凛太郎?」


 自身の思い違いだったのだろうか、と、流風は不安になった。皆の目がこちらに集まっているのが怖い。……自分で切り出したことなのだけれど。皆の視線に耐え切れなくなったころ、財前がぽつりと流風の言葉を肯定した。その言葉に、流風の言葉に安堵が広がる。


「あの人、多分なんかあったよ。で、悩んでる」

「……え?」

「マジで? そうは見えねぇけど」

「ボクたちに、できることはないでしょうか……?」

「さあね。多分、学校とは関係ないことだから、難しいんじゃないの? ……もしかしたら、主将になら何か話すかな?」

「……俺?」


 何か訳知り顔で話す財前だが、語るその視線は左右に揺れている。おそらくは、財前の言葉も、憶測なのだろう。それでも、六連の様子に何か、違和感を覚えているのは間違いない。


「……分かったよ、後で聞いとくから。さ、練習するぞ」


   *


 まさか、流風に悟られるほどに、態度に出ているとは。

 今日も今日とて、真剣に練習に打ち込んでいる部員たちの姿を眺めながら、昴はひっそりと溜息を吐いた。


「気を付けなければ。彼らには、関係ない」


 小さく呟くと、昴は気を引き締めた。昴が頭を悩ませているということは、事実だ。けれど、その内容は、完全に私事――ひたむきに練習に取り組んでいる彼らには、なんの関係もないことなのだから。

 もう一度溜息を吐いて、昴は、自身の悩みの原因――昨夜の出来事を思い起こした。


   *


 人気(ひとけ)のなくなった職員室。昴のいる辺り以外、明かりの落ちたそこは、薄暗い。静寂の中で、ただ昴のタイピング音のみが響く室内は、まるで院生時代のようだ。研究と陸上に没頭していたあの頃――それが、楽しく愛おしいものだったと、今でも確信している。そして、自身のタイピング音に、時折重なった、()()()の気配が――。


――~~♪、~♪


「――っ!?」


 突如、静寂を切り裂いて着信を告げた自身の携帯電話の音に、昴はびくりと肩を揺らした。

 揺れる心臓を押さえながら、昴は恨めしげにディスプレイを見つめた。そこには、知らない番号――いや、昴の記憶にこそあるものの、昴の今の携帯番号(この番号)を知らないはずの相手の番号が、煌々と輝いていた。


「……はい」

『どうも、お久しぶりです。……って、なんて声だしてんだよ、そんなに嫌か?』

「そんな訳ないでしょう。ただ、驚いて。この番号、どうやって知ったんです? ――範昭(のりあき)さん」


 懐かしい声が、呆れた色をもって、鼓膜を揺らした。遠慮のない言葉は、あの頃のままで、懐かしさと気まずさで、昴は苦笑を零した。

 清野(きよの)範昭(のりあき)。それが、彼の名だ。昴が極北大学の院に進んだその年、陸上部の四年生だった、後輩。ぶっきらぼうな言葉と態度に、優しさを隠した、不器用な青年だ。昴も在学中は、何度も助けられたこの後輩は、大学を卒業した去年から、ムーンベルクに入社し、営業として頑張っていると聞いている。


「夜先輩から。あんた、あんまり心配かけんなよな」

「なるほど。……それは心外です」

「じゃ、なんで()()にも、消息絶ってんだよ」

「……」


 とにかく、番号の謎は解けた。夜は、昴よりも余程、範昭たちとの方が付き合いが長いのに、すっかり失念しているとは。そして、いつの間に、そんなに心配をかけていたのか。そんな態度を悟られるなど、余程煮詰まっているな、と、昴は苦笑を零した。

 範昭の言葉に反論するも、図星を突かれて黙り込む。


「っはー……。……ま、大体分かったわ。けどな、()()()、ヘコんでんぞ」

「……」

「連絡してやれよ。お誂え向きに、あいつ今、戻ってきてんぞ」

「……っ」


 この後輩には、一切合切、バレているようだ。昴の悩みも、葛藤も。それでも、情けなくも踏み出せない昴は、黙り込む。


「……そんな雰囲気出すくらいなのに、何を怖がってんだか。いいか? 日本選手権、一万メートル――このレースを、あんたも待ちわびていた筈だぜ。昴さん」

「待っ――」


 それだけを告げると、範昭はさっさと通話を切ってしまった。途端に落ちた静寂に、昴は、沈黙した携帯電話を、唖然と見つめることしかできなかった。


   *


「――生、昴先生!」

「――っ!? ぁ、……颯太さん」


 気配に全く気が付かなかった。心配そうにこちらを見下ろしている颯太に、昴は苦笑を零す。どうしてこの青年には、いつもいつもこんなところばかり見られてしまうのだろうか。何か言いたげな視線に肩を竦め、昴は観念して口を開いた。


「場所、移してもいいですか?」

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