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青天を翔ける  作者: 灰猫
【第1章】春風に吹かれて芽吹く
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14.疑念(天恵9年5月中旬)

 流風は、声も出せずに、ただ勝負の行方を見詰めていた。前回より善戦している江間は、六連の横に並び、彼を引き離そうとスピードを上げた。それにしっかりと反応する六連が凄いのだが、いずれにせよ――。


――――かっこいい。まるで別世界、だよ。


 いつも何気なく話している二人は、流風には想像もつかないような勝負を繰り広げている。飛び散る火花は、熱く激しく、流風の側まではみ出してくるようだった。


「江間先輩のあんな表情(かお)……はじめて見た」

「うん……」


 慎悟の呟きが耳に飛び込んできて、流風は反射で頷いた。

 六連に敵わないことに、悔しそうに歯噛みしながらも、熱に浮かされたようなその表情は、心からこの勝負を楽しんでいた。江間にこんな表情をさせる六連は、――。


「やっぱり、凄い人――だ」


   *


――――俺の二年間は、一体何だったのだろうか。


 雄大は、唖然としてそのレースを見つめていた。()()()颯太は見たことがなかった。顔を輝かせて六連を追う恭輔のその姿に込み上げるのは、嬉しさと、それから――。


「やっぱり、俺は――」


 暗い呟きは、ぽろりと零れ落ちて、淀むように、消えた。


   *


 荒い呼吸が、溢れて止まらない。恭輔は膝に手をついて、荒れた呼吸を整えていた。

 またも、完膚なきまでの敗北。それなのに、このレースの余韻から、恭輔は未だに抜け出せていなかった。身体を包んでいた焦熱は、消えるどころか、どんどんとその激しさを増しているようだ。


「なんだよ、……これ……」


――――こんなの、知らねぇ……。


「っ、ゴホッ、……っ。……まだ、()()()()()()()。っ、ゲホゲホッ」

「昴先生、ちょっと」


 まるで、恭輔の心を読んだようなタイミングで、六連が声をかけてきた。"先"――恭輔は、その言葉に息を呑んだ。興奮も、焦熱も、まだまだもっと、激しく弾ける()()がある。だから、()()まで来い、と。六連はそう言っているのだ。

 苦しそうに酷く咳き込んだ六連が、颯太に引き摺られていく。その姿を見送って、恭輔ははっと我に返った。


「あの人……」


 六連は、この間の勝負の後も、あんな風に咳き込んでいなかっただろうか。レース中は、身体の運びも、呼吸も――()()()()()()()()()()()

 そう思い至った瞬間、恭輔は走り出していた――。


   *


「なんだよ、……これ……」


 ゴールした恭輔の、唖然とした呟きが、鼓膜を揺らした。その声に乗るのは、興奮、戸惑い、そして――少なくとも、マイナスの色を含んでいないその声に、颯太は笑みを浮かべた。


「っ、ゴホッ、……っ。……まだ、()()()()()()()。っ、ゲホゲホッ」


――――!!


「昴先生、ちょっと」


 今回も、いい方向へと向かった、恭輔の気持ち。そのことに颯太が安堵した瞬間。恭輔に声をかけようと口を開いた六連が、酷く苦しそうに咳き込んだので、颯太は意識を現実へと戻した。振り返ると、顔色の悪い六連が、()()に耐えるように立っていた。

 颯太は、慌てて声をかけ、その手を引いて監督室へと急いだ。


「先生、椅子――もう、いいです。我慢しなくて」

「っ、ぜい、ゲホゲホッ……ヒュー、ッ……」


 もう誰も見ていない、と声をかければ、六連は途端に喘ぐように口を開けて、喘鳴を零した。しっとりと湿った額に浮かぶのは、冷や汗だろう。大きく上下する肩も、色の悪い唇も、六連の苦痛を物語っている。

 積もる焦りに震えながらも、前回の丹羽の処置を思い出した颯太は、六連の鞄から薬を取り出して服用させた。


「っ、はっ……、は……。……すみ、ません」

「謝るくらいなら――」


 喘鳴が収まってきた六連が、それでもまだ苦しそうに紡いだのは、謝罪。そんなものが欲しかったわけではない。それより、もっと身体を大事に――。色々な言葉が頭のなかを廻ったけれど、颯太は口をつぐんだ。結局颯太も皆と同じ――六連の走りに魅入っていたのだから、同罪だ。

 ぱちり、と目を瞬かせた六連が、苦笑する。


()()()()にも、似たようなことを言われたな。――ありがとう」

「それは、……ずるい」

「はははっ」


 ありがとう、などと言われたら。颯太はきっとまた、――。からりと笑った六連へジト目を投げて、颯太は溜息を吐いた。


「凛太郎が五千を提案したときは、焦りましたけど……。貴方の()()を知ったら、恭輔はどう思うでしょうね」

「今更そんなタイミングがあるとは思えませんが、……その時は、小細工はしません。隠していた僕が悪いので」


 六連の言葉に、颯太は肩を竦めた。

 恭輔の心は解らないが、何事もなければいいと思う。恭輔が、バカにされたと――裏切られた、と思わなければいい。六連が生徒たちに真摯に向き合っていることは、痛いほど伝わってくるから。六連か向き合っていないのは、むしろ――。


「おい! 六連……先生、――?」

「き、恭輔……!」


 空事を考えていた颯太の耳に、第三者の声が飛び込んできた。声の主は、今まさに話題に上がっていた颯太の同期――江間恭輔だった。


   *


 二人の消えた監督室の扉。その前に立った恭輔は、躊躇なく扉を開け放った。先程の六連の姿に、なんだか嫌な予感がしたからだ。


「おい! 六連……先生、――?」

「き、恭輔……!」


 突然の乱入者に、中の二人が驚く気配がした。驚きに声を上げ、振り返った颯太。その向こう、肩越しに見えた六連の顔色の悪さに、恭輔は言葉を失った。

 紙のように青白い顔色、紫色の唇。ぐったりと椅子に沈んだその姿は、いかにも病人然としている。


「アンタ……体調悪かったのかよ?」

「まさか、それならあんなに走れませんよ。そんな風に見えますか?」

「……」


 す、と居住まいを正してそう答えた六連に、恭輔は黙り込んだ。確かに、六連の言う通りなのだ。あんなに走れるはずがない――その通りなのだが。

 恭輔は、込み上げる苦い思いを無理やり飲み込んで、目の前の教師を睨みつけた。


――――それでも。そう見えるから、聞いてんだろうが……!

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