13.「あの頃とは違う」(天恵9年5月中旬)
ついにこの日がやってきた。六連と江間の、二回目の勝負の時が。流風は始まりの時を、今か今かと待っていた。そして、それは流風一人に限ったことではない。そう――部員たちは、どこかそわそわと練習はじめの集合を迎えたのだった。
「それじゃあ、短距離とフィールドは、週末に渡したメニューから変更なし。中長距離は、――雄大、よろしく」
「了解。まずは、恭輔以外のメニューからなー。恭輔は時間みてアップ」
「はい!」
「おう」
リーダーたちの言葉で、今日も練習が始まっていく。解散しようとしていた江間のところに、財前が歩いていった。何事だろうか? パートの皆が見つめるなか――。
「先輩。本当に六連先生に勝ちたいなら、五千ですよ」
「――え?」
「凛太郎!!」
財前は、江間にそんな言葉をかけた。唐突なそれに、ぽかんと聞き返す江間だったけれど、それは流風とて同じだ。江間の得意な距離らしい千五百メートルよりも、五千メートルの方が良い――?
けれど、財前は至って真面目に――淡々と告げたその瞳は、真っ直ぐに六連を射抜いていた。焦ったような風祭の声を遠くに聞きながら、流風はただ成り行きを見守った。
*
「先輩。本当に六連先生に勝ちたいなら、五千ですよ」
「――え?」
「凛太郎!!」
自身の発言に、周りが驚いているのがわかる。皆からしたら唐突なそれも、凛太郎からすれば確かな根拠を持ってのことだ。
恐らく、六連の事情に気付いている唯一の部員――颯太が、驚いたように凛太郎を咎める声を上げている。けれど、凛太郎はただ六連のみを見つめていた。六連の反応を、少しも逃さないように。
「僕は、どちらでも構いませんよ」
「いや、変えなくていい。千五百メートルで勝負してくれ」
凛太郎の狙いは、六連の本気を見たい――それに尽きる。あの六連昴が、教師などやっている、その理由を考えると、恭輔の勝利の鍵は、出来るだけ長い距離を走ることだと思う。焦ったような颯太の反応を見るに、それはきっと正解だ。
六連は、ただ苦笑して、余裕の言葉を紡いだ。眉一つ動かさず、動揺もなし。それだけ自信があるのか、強がりか――固辞した恭輔に、あてが外れた凛太郎は、黙して成り行きを見守ることにした。
*
「いきましょうか、恭輔さん」
「……負けねぇ……!」
――――!!
自身の練習を終えてすぐ、二人の勝負は始まりの時を迎えた。そんな二人を見て、凛太郎は驚いた。負けない、と闘志をぶつけ意気込んだ恭輔に、六連の表情が酷く好戦的な色を孕んだから。
――――どこまでいっても、あんたの居るべきはそこなんじゃないの?
そこ以上に、六連が輝く場所は、きっと――。凛太郎は、心の中で六連に語りかけた。そんなこと、きっと彼は解った上で、ここにいるのだろうけれど。
そんなことを考えているうちに、二人が地を蹴って駆け出した。二人が孕む熱を、凛太郎はとても羨ましいものに感じた。
*
手足の動きは非常に良く、周囲の景色が気持ち良く流れていく。久々に心地好いレース、その感覚に恭輔は笑みを浮かべた。前回と同じく、自分の僅かに前を走る六連の息遣いが、靴音が、鼓膜を揺らして恭輔を駆り立てた。
凛太郎の真意は解らないけれど、恭輔としては、千五百メートルでなければ意味はない。千五百メートルで大敗を喫したのだから。
「っ、この……!」
ちらりと視線を流され、恭輔は思わず悪態を吐いた。この間のような挑発は、なかった。視界に映る首筋に流れる汗が多いのは、前回よりも気温が高いからか。
前回と打って変わったような、静かな時間が流れている。そこに、会話はない。けれど――。
――――こんなの、知らねぇ……!
ぴりぴりと肌が粟立つような感覚が走って、恭輔は目を見開いた。反射的にスピードを上げて、アウトレーンから六連を抜きにかかった。横に並ぶと、六連の視線がこちらへ流れて、目が合った。
「!!」
「――っ、」
言葉は、なかった。六連は僅かに目を瞪ると、嬉しそうに――好戦的に微笑んだ。開かれた瞳には、強く激しい焔が燃え盛っている。これが、この青年の本質なのだと嫌が応にも思い知らされる、そんな焔だ。
ぐ、と上がったスピードに、恭輔はかろうじて反応した。乳酸が溜まった身体は鉛のように重いけれど、それでも走る。もはや意地だった。
「……くっ、……!」
思わず苦しげな声が漏れた。隣を走る六連の視線が、ちらりとこちらへ走る。焦熱の宿った瞳に射抜かれて、恭輔の心臓がどくりと音を立てた。
以前よりも真摯に練習に向き合い、この一ヶ月でタイムを縮めた恭輔。目指してみて、よりはっきりと分かる。
――――この人は、特別だ――。
六連が仕掛ける。その背は、いまだ遠く。近づくどころか、むしろ。
勝てるわけがねぇ。そう考えたとき、ぱちり、と六連と目が合った。どくどくと鳴る鼓動。過去の自分が、問いかけてきた。また。
――――また、諦めるのか――?
「……ざけんな……っ!」
それでは、今までと何も変わらない。そんな自分に嫌気が差していた。気付いていたはずだ。ぎりりと歯噛みして、前をいく六連を追う。
勝てないと悟ったし勝負。必死にその背を追いかける恭輔は、久しく感じていなかった充足感と高揚に包まれていた。




