短編小説「一輪の花」
これはとある街中の公園でのお話です。
その公園には、こんな噂がありました。
それは、“公園のベンチで願いを言うと、ある花が現れ願いを叶えてくれる”というものでした。
信じるものもいれば、ただの迷信だという人もいました。
なぜならば、願いが叶う人と叶わない人がいたからです。
そういう噂がある公園とは知らずに、毎朝出勤前にベンチに座る女性がいました。
この日は曇り空でした。
その女性はこの日も噂のベンチに座り、空を見上げました。
朝だというのに、毎朝女性はこの曇り空のような曇った表情をしていました。
そんな女性に誰かが話しかけました。
「どうして泣いているの?」
女性は声がする方を振り返ります。しかし、そこには誰もいません。
「ねぇ、どうして泣いているの?」
もう一度問われた女性は、また振り返ります。
やっぱりそこには誰もいません。
「空耳かなぁ? 確か男の子の声が聞こえたと思ったんだけど」
すると、また声が聞こえてきました。
「空耳じゃないよ。ベンチの横を見てごらん」
女性はベンチの横を見てみました。
女性の目に留まったのは、一輪だけ咲いていた見慣れぬ花でした。
見た目は一見白色のチューリップのように見えます。
「あっ、綺麗なチューリップ。だけど周りに誰もいないわね」
誰も人がいなかったため、女性はやっぱり空耳だったと思い、そのまま仕事に出掛けていきました。
翌日も女性は同じベンチで座って空を見ていました。大きな溜息を何度も付きながら。
「今日も泣いてるね」
また、あの声が聞こえてきました。
女性はまたベンチの横を見てみました。そこにはやはりあの、白色のチューリップに似た花が一輪だけ咲いていました。
「一輪だけこの花が咲いてるのね。何て名前かしら」
女性がボソッとつぶやくと、どういうことでしょうか。その一輪の花は、風が吹いてないのに揺れ始めました。
すると、一輪の花から何度も問いかけてきた男の子の声が聞こえてきました。
「やっと僕見つけてくれたね。君、名前は?」
女性は驚いて辺りを見渡し、誰もいないことを確認しました。
「私、幻を見ているのかしら? いや、それとも夢? どこかになんかの機械でも置いてあるのかな?」
一輪の花はまた少し揺れて、クスッと笑いました。
「そんなのないよ。君が見てる花で間違いない。せっかくお話出来たんだ。僕には君の心が泣いているのが分かるんだ。君の泣いていた理由を教えて。僕が聞いてあげるよ」
女性は悲しみを抱えていました。誰にも話すことが出来ず、ずっと落ち込んでいたのです。
女性は、花が喋ることなんかありえないと思いつつも、一輪の花の声が自分にとって心地良くて落ち着くのだと分かり、気付いたら話をしていました。
「私は晴子〈はるこ〉っていうの。最近、ショックなことがあって、ずっと落ち込んでる。あなたの名前は?」
一輪の花は、花びらを少し揺らしました。
「ショックな出来事があったんだね。辛いね。それはなんだったか聞いていい? それと、僕には名前がないんだ」
晴子は一輪の花に言われるまま話ました。
「大好きな彼にフラれたの」
一輪の花は聞きました。
「何があったの?」
晴子は、話すうちに段々胸が苦しくなり、次第に目からは涙が溢れていました。
「私には夢があった。
彼にも夢があった。
私の夢には彼が入っていたけど、彼の夢には私は入っていなかった。
彼は夢を追ううちに、私が邪魔だと言い始めた。
彼は私ではなく、夢を取ったの。共に夢を追うことも出来たはずなのに、彼は私を置いていってしまったのよ。
私にとって、彼は初めての人だったから、私は恋の終わり方なんて知らなかった。
こんなに辛いなんて、知らなかった。
話せる人もいなくて、ずっと泣くことしか出来ないでいるの」
一輪の花は晴子に言いました。
「泣いたらいいよ。
気が済むまで泣いたらいい。
そしたら後は、次のスタートを踏むしかないんだから。
涙が止まるのを待つんだ。
その為に僕がいる。
僕はここにいる。
だから、涙が止まったら、ちゃんと次のスタートを踏むんだ」
一輪の花の言葉は、晴子の心にスッと入ってきました。ここまで自分に寄り添ってくれる存在が晴子には愛おしく感じました。
それから毎日、晴子は公園に何度も足を運びました。一輪の花に会うためでした。
一輪の花と居るときだけは、晴子は晴子でいられました。
そのことに気が付いたとき、いつの間にか涙が止まっていることに気が付きました。
いち早く感謝の言葉を述べたくて、一輪の花に会いたくて、晴子はまた公園に出掛けました。
しかし、そこにはもう一輪の花はいませんでした。
いつもベンチの隣で座るかのように咲いていた一輪の花。
ベンチに隠れて誰も気が付かなかったであろう一輪の花。
そこには最初からいなかったかのように、花自体を抜いた後もなく、付近で話しかけてみても何も返事はありませんでした。
晴子はまた、ベンチに座り空を見上げつぶやきました。
「一輪の花、ありがとう。そう言えば、名前がないって言ってたな……」
それからという毎日、晴子はいつもの公園のベンチに必ず座って、空を見上げました。一輪の花に届くように
「一輪の花よ、ありがとう」
そうつぶやくようになりました。
いつしかそれは、晴子の日課になっていました。
そして、日に日に一輪の花に会いたいという想いが募っていきました。
そして、とある日のことです。
この日も晴子はベンチに座っていました。
「僕からもお礼を言わせて」
どこからでしょう? あの優しい一輪の花の声が聞こえました。でも少し、大人の男性的な低い声です。
「ありがとう。晴子の想いが届いたんだ。毎日公園に来るのは大変だったでしょう? 後ろを見てごらん」
そこには、一人の男性がいました。白いトップスに紫のボトムス、爽やかな男性でした。
驚いて固まってしまいましたが、晴子にはすぐわかりました。
あの、一輪の花です。ありえないことだと頭では分かっていましたが、晴子の心は確信していました。
晴子は、気が付いたら涙が零れていて、一輪の花だった男性の元へ駆け寄りました。
もう、悲しくて泣いているのではありませんでした。嬉しさがいっぱいで泣いていたのです。
「会いたかった。ずっと会いたかった。ありがとう。私の方こそありがとう。私はあなたに会えて本当によかった!」
「僕もだよ。それに、名前ありがとう。晴一〈はるいち〉って名前、気に入ったよ!」
晴子は一輪の花が消えたとき、一輪の花に名前を付けていました。
『一輪の花、ありがとう。そう言えば、名前がないって言ってたな……。そうだな、どこかで繋がっていたいから、晴子の晴れに一輪の花の一で、“晴一”って呼ぼう! 男の子の声だったから、男だよね』
晴子は嬉しそうに笑いました。そんな晴子を見て、晴一は晴子の頭を優しく撫でました。
空は気持ちのいい青空でした。
~エピローグ~
晴子が公園の噂を聞いたのは、その後のことでした。二人はあの後も公園に散歩に出掛けてはベンチに座り、青空に向かって
「今日もありがとう」
とつぶやきました。
そして、そんな二人を見守るように、ベンチの隣には、ひっそりと二輪の花が咲いていました。チューリップに似た容姿で、紫色とピンク色の花でした。
二輪の花は、仲良く寄り添うように、今日も美しく咲いていました。
【終わり】