第8話 源泉
「さて、火龍よ」
翌日、アーディンはエマとレイシアを連れ、火龍の元に来た。
「こうして見事俺は課題を解決して見せたわけだが、温泉旅館、作ってもいいよな?」
「……」
アルスディオーはじっとアーディンを見ていた。
その目からは何を考えているのかうかがい知ることができない。
(そもそも何が課題かも言われてないのに、大丈夫なのかな)
エマは不安を覚えずにはいられなかったのだが、アーディンは大丈夫の一点張りでここまで来たのだ。
「ふむ、我の出す課題を解決したというのか。それで、お前は何が課題だと思っていたのだ?」
「簡単なことだ」
ふ、とアーディンは笑った。
「温泉旅館に必要な従業員を揃える、それが課題だ」
「……」
「……」
「……」
突っ込む気さえ失せた2人と1体の沈黙がそろった。
「火龍よ、まさか実は別のことが課題でしたーなどと、見苦しい言い訳をしようというのではあるまいな?」
(口先で丸め込む気だー!?)
エマは驚愕した。
「もちろん事前に課題が何か言っていないから、今から別の課題だったとでっち上げることもお前には可能だろう。もしそうなれば、龍という圧倒的な力の前に俺たちは泣く泣く諦めるしかない。だが火龍よ、あえて問いたい。それで龍たる誇りが保たれるのか、と。卑小な人間相手に口先で勝利をもぎ取って満足なのか、と」
己のことを完全に棚に上げて、アーディンはアルスディオーに問いかけた。
「むむ……」
アルスディオーがうなった。その口の端から火がもれていた。
エマは祈った。
(どうか私たちを焼き払おうという結論に至りませんように……)
アーディンがどんなに強かろうと、火龍には勝てないとエマは思っている。
しかし恐怖は感じなかった。
きっと、この数日で恐怖すべき事が多すぎて、もういちいち恐れてなどいられないと麻痺してしまっているのだ。
一方、レイシアは淡々と火龍を観察していた。
(これが、龍か)
レイシアはこれまで龍という存在を会ったことも見たこともなかった。妖精の森にはずっと古代に龍がいたらしいが、とうの昔にいなくなっていた。
(懐かしさ、では無いと思うんだが)
不思議な印象が胸の奥にある。
「なるほど」
火龍が呟いた。
「確かに、我は課題が何か明言していなかった。そうすると、指示した場所で発生した何らかの問題を解決すれば、それはたしかに課題を解決したと言ってもいいのだろうな」
声音からは少し面白がっているようにも聞こえた。
「よかろう、人間。我の目の届く範囲で温泉旅館をやることを許す」
数時間後、アーディンは一人、空の上にいた。
従業員も確保し、龍の許しも得た。そうなれば次にやるべき事は、温泉を見つけることだ。
遙か上空からディオレス山を見下ろして、アーディンは人差し指と中指を顔の前で立て、精神を集中した。
二本の指の周りに光が舞い、文字の形を作っていく。
(魔法文構築、超広範囲探索。検索条件は温度40から80のたまり水。探索対象は地上……)
基本的な条件を設定し、さらにそれに微調整の条件を連ねていく。
ほどなく探査魔法の設定が完了し、アーディンは魔法を走らせた。
探索の魔法が周辺を走査し、結果をアーディンに返してくる。
「……」
『マスター?』
沈黙をいぶかしんだフレスの声がアーディンの頭に響いた。
(な、なんだ?)
『もしかして、見つからなかったのですか?』
(な、なんのことかなぁー)
図星であった。
『マスターの出たとこ勝負癖はよく理解していますが、どうするんです?』
(いやいや、いまのは条件設定の仕方が良くなかった。考えてみれば山の中に水が湧いたら流れるじゃないか。川底に湧き出れば川の水と混じって温度がさがる、なんということも考えられる。もう一回だ、もう一回)
言い訳がましく返して、アーディンはもう一度探査魔法を組んだ。
再び探査魔法が走査した。
(結果30地点……。さて、回るか)
今度は該当があったが、数が多い。
アーディンはその全ての場所にマーキングを施してから、全てを巡って確かめることにした。
1地点目は、山中を流れる沢の脇にあった。
沢の岩の隙間から細い筋のような湯が流れ出ているが、すぐに沢の流れに一体化してしまっていた。
触ればほんのり暖かい。
(温度も湯量も足りない)
ここは使えない。
そう判断してアーディンは次の候補地に向かった。
2地点目は、崖際の岩を伝って幾筋もの水が流れ落ちてきているところだった。
それなりに水量がありそうで1地点目よりは期待が持てる。
だが、さわってみるとここは沢の水よりは温かい程度の冷たさしかなかった。
(これで掛け流しをしたら凍えてしまう)
ここも使えない。
アーディンは早々と次の候補地へ向かった。
3地点目。
そこには滝があった。
もちろんただの水の滝である。どこに探査魔法に引っかかる要素があるのかと思って再度近距離の探査魔法を走らせてみると、ぽたぽたと岩から滴っている雫の温度が高い。
手に落とせば、
「熱っ!」
と口にしてしまうほどの温度だが、これではいかんせん量が足りない。近くにもう少し豊富に出ているところはないか調べてみるが、なさそうだった。
次々に地点を回ってみるが、どこも似たようなもので、これだという源泉はない。
ようやく満足いくものに出会えたのは23地点目だった。
川の流れの端に湧いているポイントで、手を入れてみると、川の水と混じっているところはぬるいが、湧き出しているところに手を近づけると、かなりの熱さが感じられた。
魔法で、一時的に川の流れを変えて避けてみると、たちまち湯気が立ちはじめ、そのままでは入浴に適さないほどの高温の湯が湧いていることが分かった。
「これだ」
『見つかりましたか?』
(あぁ。少し冷ましてやればいい湯になりそうだ)
『おめでとうございます』
(早計だ。こういうのは、理屈じゃ無いんだ)
アーディンは魔法を操り、河原の石の配置をかえて水の流れを整理して、その場に即席の湯船を作り上げた。
ばっと服を脱ぎ捨て、その中に飛び込んだ。
「はー、計算通りの湯加減……」
至福のため息をひとつ。
「コッチに戻って来て初めて生き返るような風呂に巡りあえた……。これだ、これだよ」
『ご満足ですか?』
「あぁ……。疲れが全て溶け出していくようだ。いい湯だ」
『それでは、この湯で決まりで?』
(一応、もっと良いところがないか残りのポイントも見ておく)
そう伝えてアーディンは残り7つのポイントも調べたが、23地点目を超えるようなポイントは無かった。
「本当に熱いお湯が湧いてる」
温泉を見つけた、とアーディンが江間をそこに連れてくると、エマは23ポイントの源泉に手をつけて温度を確かめた。
「あると言っただろ。ちなみに、脚だけつけて入る足湯という作法がある」
「足湯」
エマは繰り返した。
迷いは1秒ももたなかった。エマはさっと靴と靴下を脱ぐとワンピースの裾を少したくし上げ、源泉の湯船の縁の岩に座った。
「こ、これは……!」
「いいだろ?」
「良いねぇ。じんわりくるねぇ」
エマは嬉しそうに湯の中で脚を動かした。
「それで、アーディンさん。この後はいかに?」
エマは流し目でアーディンを見やった。
「湯が得られれば、旅館の建物をつくる番だ。だが安心しろ、俺にしては珍しく、そこはちゃんと考えてある」
「自覚あったんだ」
「ははは。当たり前だろ、俺を誰だと思ってるんだ」
「“泥船”のアーディン?」
「新しい称号だな、ありがとう」