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第7話 魔鳥フレス

 フレスは空の上から山々を見ていた。


 警戒していたというほどのものではない。

 特に何があったわけでもない。ただ主であるアーディンが寝ているから、暇を持て余して辺りを飛んで見ていた、という程度のものだ。


 だから、フレスがそれを見つけたのは偶然だったと言ってもいい。


『マスター』


 警戒すべきそれを見つけたフレスは、すかさずアーディンに呼びかけた。

 しかし、いつもならすぐに返事があるはずの主の声がない。


『マスター?』


 呼びかけても返事はない。寝ている気配だ。


(……マスターは変わられた)


 フレスは心の中でため息をついた。

 以前のアーディンであれば、たとえ寝ているとしても、敵意を持った存在にこの距離まで気付かないことはなかった。

 それだけではない。

 龍を殺すまでに至り『天空の星さえ動かす』と讃えられた魔法力が見る影もない。

 帰還以来本格的な戦いには参加していないから誰も気付いていないが、ずっと昔から共にいて一心同体といえるほどに至っているフレスには分かっている。


(たとえそうだとしても)


 フレスの仕事は変わらない。


 主の望みはフレスの望み。主の誓いはフレスの誓い。

 フレスは、森の中を静かに進む黒い影に向かって急降下を開始した。





「姫様っ!」


 テントの中に、槍を持ったアールヴの少女が駆け込んできた。


「近くで魔物同士が戦ってる。少しずつこちらに向かってきているみたいだ」

「数は?」


 レイシアはすかさず質問した。


「2体。ひとつは黒い狼のような魔物で、もうひとつは赤い鳥だ」


 エマの脳裏にフレスの姿が浮かんだ。


「赤い鳥、もしかしてすごく大きい?」


 少女はエマを怪訝そうに見た。


「答えてやれ」


 レイシアがそう告げたので、少女は目に警戒を残したまま頷いた。


「大きい。大人達の倍くらいの大きさはあるかもしれない」

「フレスかもしれない」


 エマは立ち上がった。


「アーディンさんの使い魔なの。近くにいる魔物から守るために戦ってくれてるんだわ」

「ただの推測だ」


 レイシアの言葉は冷たい。


「使い魔に指示してわざと魔物をおびき寄せたのかもしれないじゃないか」

「そんなことはしないよ」

「そう断言できるほど深い付き合いではないだろ?」


 エマは黙るしかなかった。


「だが……」


 レイシアは言葉を続けた。


「どちらにせよ、私たちは逃げた方がよさそうだ。キリア、皆に移動の準備をすぐにするよう伝えてくれ。間に合いそうか?」

「今の感じなら」

「よし、すぐに取りかかってくれ」

「わかった」


 少女が急いで外に出て、皆に指示を伝えていくのが聞こえた。


「エマ、私たちはここを引き払って遠くに移転しようと思う。魔物も出たし、君たちに場所を知られてしまったしな。君はおそらく良い人間だが、人間全員がそういうわけではない。どこにどう話が伝わって行くか分からない以上、そうした方がいいんだ」

「行ってしまうの?」


 それでもエマは尋ねた。

 少し話をしただけだが、レイシアが正直な性格なのは分かっていた。エマではなく人間自体が信じられないのだろう。このまま行かせたら、この先もずっと警戒しながらの大移動を続けるのではないかと、エマは危惧した。


「行く」


 レイシアの返答は短い。


「どこにたどり着けば落ち着いて暮らせるの?」


 レイシアは一瞬目を閉じて考えをまとめた。


「人間がいないところ」


 答えは断固たるものだった。


 エマがテントの外に出ると、10人ほどのアールヴたちが大急ぎでテントを折りたたんでいるところだった。


 素早い。

 ものすごい速度で天幕が剥がされ、骨組みが折りたたまれていく。


 誰の作業も手慣れていて、これまで何度も同じように大急ぎでの撤収をしてきてきたことがうかがわれた。


(アーディンさんを呼びにいかなきゃ)


 エマはそう思って、檻がある方へと足を向けようとした。

 そのエマの手首をレイシアが掴んで引き留めた。


「私たちの撤収が終わるまで、待ってくれ」

「でも」

「頼む」


 短い言葉。手首を掴むレイシアの力は強かった。

 間に合うのだろうか。

 間に合わせるつもりなのだろう。

 だがもし間に合わなかったときはどうなるのだろうか。

 危険すぎるのではないか。


 エマの頭の中で疑問がぐるぐると回った。

 どん、と地面と大気が震えた。森の向こうに大きな火柱が渦を巻いて立ち上っていた。


 エマの顔にもチリチリと熱気が当たってきた。

 戦っているのだ。

 思っていたよりもずっと近くだ。

 火柱はすぐに収まった。


「姫様!」


 火が上がった方から、一人の少年が駆けてきた。


「思ったより近づくのが早い。もうすぐ来ちゃうよ!」

「皆、聞いたな! すぐに南へ走れ!」


 レイシアが指示をすれば、アールヴ達は一斉たたみ終わっている分のテントだけ持って移動を始めた。

 レイシアだけは森の向こう、魔物が近づいてきている方を見ていた。


『ヴォォォオオオオオ!!』


 森の奥から、獣の咆哮が轟いた。

 その迫力にエマは一歩たじろいで下がった。


「姫様」


 アールヴが一人、おそらくさきほどテントに駆け込んできた少女が、手に槍を二本持って近づいてきた。


「キリア。どうやら、すこし足止めが必要なようだ」

 レイシアはそのうちの一本をキリアから受け取って森の奥へ向かって構えた。


「私も」


 とキリアはレイシアに並んで槍を構える。


「頼む。鳥の方は襲ってこないと見てもいい。警戒は必要だが、特に黒狼を注意しろ」

「はい。そこの人間は?」

「エマは、ここにいても危険なだけだ。逃げろ」


 レイシアにそう言われても、エマの足は震えて動かなかった。


 エマは街の城壁の奥で暮らしてきた町娘である。身近な危険と言えば少し柄の悪い不良くらいのものだった。


 魔物なんて言うものは、旅人の話の中にしか存在しないものだった。

 これまでは。


 先ほどの咆吼。

 あれはこちらを狙っているぞという威嚇だ。

 エマは、初めて浴びた魔獣の殺意に身がすくんでいた。


 レイシアがチラリとエマを見て状況を悟り、すぐに森に目を戻した。

 レイシアとて余裕があるわけではない。

 見知らぬ魔獣を相手に、時間稼ぎに戦い、その後に逃げ切らなければならないのだ。


 レイシアとキリアは周囲の森に気を配っている。

 どこから魔獣が現れても良いように。

 しかし、なかなか魔獣の姿は見えない。

 レイシアはふと胸騒ぎを覚えて、上を見た。


「あ」


 そこに、そいつはいた。木のてっぺんに器用に体を丸め、真っ黒な巨大な獣がこちらを見ていた。

 エマにはそいつが巨大な猫のようにも見えた。

 獣がニィ、と笑う。口の中に大きな牙が見えた。


「よけろ!」


 キリアが叫んだ。

 獣が飛びかかってくるのを、キリアとレイシアは左右に分かれて飛んで避けた。


 エマは避けられない。

 体が動くのを拒んでいる。


 獣の前足がエマを襲おうと振りかぶられた。その横合いから赤い影が突っ込んできた。


 赤い影はその足で獣を弾き飛ばすと、エマの目の前に着地した。

 赤い翼が広がる。


『キェェェエエエエ!!』


 フレスの金切り声が獣を威嚇した。


「フレ……」


 思わず喝采を上げかけて、エマはやはり絶句した。

 フレスの体には明らかに大きな傷がいくつも付いていた。体中の羽は乱れ、赤い液体があちこちに染みている。


 対する魔獣の方は、フレスに弾き飛ばされて地面を転がったものの、すぐに跳ね起きて身構えた。黒い毛並みは傷がよく分からないが、フレスに比べると、無事なように見えた。


 フレスに加え、レイシアとキリアが槍を構えて魔獣と向き合った。

 魔獣は油断なく三者を見比べている。

 エマはまたしても動けなくなっていた。


 下手に動いてはいけない。

 フレスはエマを守ろうとしてくれているのだ。


(空も飛ばずに……)


 鳥としての最大の有利を捨てて。

 2人と2体は対峙したまま互いの様子を探り合っている。

 場面の停滞は、エマにとっては何分も続いたように思われた。


 ふわ、と風が木々をそよがせた瞬間、魔獣が跳ねた。


 狙うはキリア。

 その魔獣を追うようにフレスも跳んだ。フレスは数度羽ばたいて加速し、魔獣を横から蹴り飛ばした。

 魔獣はフレスに蹴飛ばされ吹っ飛んだように見えたが、森の木にぶつかる前に上手く身を翻すと、木の幹に着地した。

 跳躍。

 今度の狙いはレイシアだ。


 フレスも再び跳び上がり、魔獣へと向かった。

 今度もフレスが魔獣を蹴っ飛ばすかに思われた瞬間、魔獣が身をよじった。飛びかかるフレスの脚と、突き出される魔獣の右手が交錯した。


 どうなったのか。

 見守るエマの前で、フレスの体が地に崩れ落ちた。


 魔獣は改めてレイシアへと向き直り、その腕を大きく振った。

 レイシアの槍の柄でその腕を受け止めようとしたが、魔獣はその槍ごとレイシアを吹っ飛ばした。防御した槍の柄が折れている。


 魔獣は今度はエマを見た。


 その目に見据えられただけでエマの足腰から力が抜けた。

 エマはぺたんと地面にへたり込んだまま、魔獣が飛びかかってくるのを見た。


 振り上げられた獰猛な爪。

 次の瞬間にはエマを切り裂こうと振り下ろされる。


(死ぬ……)


 エマの頭の中が全て真っ白になり、ただただ目だけがそれを見ていた。

 エマの体を紙のように切り裂くはずのその爪が、寸前でまるでそこに壁でもあるかのようにピタリと止められるのを。


「やれやれ間一髪」


 呟くようなぼやくような声は、エマが一番待ち望んでいた男の声。


「不覚だ。全く不覚を取った。本当に俺は、いつもいつも大事な何かに気がつくのが致命的なほどに遅い」


 エマの後ろから歩いてくるその気配に、魔獣が飛び退き距離を取った。


「すまない、エマさん。守ると言っておいてこのざまだ」


 歩いてきたのはアーディンだ。

 アーディンはエマの横に並ぶと、軽く身をかがめてエマの背中に手を当てた。


 ぽう、と暖かい光がエマを包み込んだ。


「怪我はないな、よかった。もう大丈夫だ」


 アーディンは周囲をぐるりと見回して状況を把握した。

 その姿がふっと消え、今度はフレスの横へ。


「お前のおかげで助かった。ありがとう」


 アーディンがそう言って手を添えると、フレスの体もエマと同じように光に包まれた。

 次にアーディンが目を向けたのはレイシアだ。


「妖精姫、怪我は?」


 レイシアはアーディンを睨んでいる。


「何のつもりだ? 助けてやるから働け、とでも要求するつもりか」


 アーディンは、レイシアの視線をものともしていないようだった。


「まさか。俺はお前達に交換条件を出せるような立場にはない。ただ俺は、俺の過去の罪滅ぼしとして、今日お前達を守るというだけだ」

「いらん」

「まぁそう言うなよ。文句は後で聞いてやる」


 そうしてようやく、アーディンは魔獣を見た。


 魔獣はアーディンに向かって吠えた。


 森中に響き渡るような大きな咆吼だったが、エマにはそれが、虎に挑もうとするネズミの虚勢にしか見えなかった。

 魔獣がアーディンに向かって跳んだ。


 エマが見ていた中で、これまでで最も鋭い跳躍。

 それに対しアーディンはゆっくりと右手を挙げると、眼前に迫った魔獣に向かって、指をパチンと鳴らした。


 閃光一閃。

 魔獣の体が縦に真っ二つに分かれて地面に落ちた。

「後楽館で学んだ新技、素晴らしき万象両断術、味わうがいい」


 地面に落ちた魔獣の体から、無数の棘が伸びてアーディンを貫いた。


「ほぅ」


 棘に貫かれたアーディンは面白げだった。その体が霞のように消えた。


「残像なんだがね」


 アーディンは長く伸びた魔獣の棘のうち一本の先端に立っていた。


「2つに分かれても生きているとは興味深いやつだな」


 アーディンが再び指を鳴らす。

 いくつもの閃光が魔獣を切り裂いた。


「100分割。さて?」


 魔獣はもはやただの黒い山のようになっていた。

 その山から棘が伸びアーディンを襲う。先ほどのように、棘はアーディンの残像しか貫けなかった。

 アーディンは着地ざま、両手の指を鳴らした。


「ならば一万分割」


 光の刃が魔獣を微塵に切り刻んだ。

 アーディンはしばらく塵になった魔獣の体を見ていたが、すぐに左手の指を鳴らした。

 風が巻き起こり、魔獣だったものが巻き上げられた。風は少しずつ黒い塵を小さくまとめていき、最後には黒い球体を作ると、やんだ。

 球体がどん、と地面に落ちた。


「……アーディンさん?」


 なにがどうなったのか、エマは聞いた。


「ん、斬っても死にそうにないから、固めて封印した」

「死なないの?」

「さぁな。灼いたり凍らせたり、手はまだ他にもいくらでもあるが、無理に今殺す方法を探す必要は無い。どうも妙な特性を持っているようでもあるし、封印しておくのが一番だよ」


 アーディンは黒い球体を拾い上げ、手の上でそれを消した。


「これは俺が仕舞っておく」

「そう、なんだ」


 エマはよく分からないがとりあえず納得しておくことにした。


「人間」


 レイシアが、アーディンに声をかけてきた。


「ん?」

「私は“残り雪に咲く一つ椿”のレイシア。お前は?」


 レイシアはエマからアーディンの名前を聞いている。敢えての名乗りだった。


「アーディン=アルヴィトール。世界一の温泉旅館を作る男だ」

「そうか、アーディン。今日助けて貰ったこと、心より感謝する」

「どういたしまして、妖精姫レイシア。これくらいで俺の償いが終わるとは思っていないがね」

「そうだな。お前は、我々の同胞を何人殺した?」

「一人だ。俺は強敵専門だったからな。確か名は“月明かりに踊る角梟”のヴィノトーと言った」

「私の兄だ」

「そうか」


 レイシアとアーディンが短く言葉を交差させた後、少しの間、沈黙が辺りを包んだ。


 沈黙を破ったのはアーディンだった。


「ま、戦いにはそういうこともある。それで、これが聞く最後の機会になるだろうから、聞いとくぞ。お前達、やはり俺の温泉旅館で働かないか」

「普通今の流れでその話を持ち出すか?」

「なにせ今しかない。ほっといたらすぐに遠くに逃げるだろ。俺には従業員が必要なんだよ。助けてくれないか」


 アーディンは両手を広げてレイシアに訴えた。


「正直なやつだな」


 レイシアはあきれ顔をしていた。


「正直にすべき相手にはそうする」


 レイシアは大きくため息をついて見せた。


「私の一存では決められない。一晩待て」

「いいとも。朝になって誰もいなくなっていても、俺は追いかけないぞ」


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