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第6話 妖精姫

 

 アーディンは後楽館の縁側に置かれた蔓製の椅子に座り、酒杯を片手に夜空を眺めていた。


「最後に神は、自らの後継として人を作ろうとした。神が命の器たる人形を作り、いよいよ完成させようとしたとき、龍達が神に反乱した。神は龍と戦うことになり、人に完全な力を与えることができないまま、神の国へと退かれた」


 ゆったりと思い出すように語っている。


「ゆえに、世界は本来神の導きの元人間が統べるべきものであり、神に反旗を翻した龍達を許してはならない。龍を滅ぼしたとき、神は再び地上に戻られ、人間を完全な姿へと完成させるだろう。そう教わって俺は、俺たちは、龍と戦った」


 アーディンの声は昔を懐かしんでいるようにも忘れようとしているようにも聞こえる。


「龍と」


 アーディンの隣に置かれたもう一つの椅子では、一美がアーディンの横顔を眺めて相づちを打っていた。


「あぁ、龍と。この国では、龍神として神としてたたえているのだっけ」

「えぇ、水を司る神様として」

「龍を神のようにまつる者達がいたな。遠い遠い国のことだが」

「龍を悪者とみていた国もあります。遠い遠い国の昔のことですが」

「この前話してくれた宗教か」


 一美は頷く。


「なんとなく似ていますよね。あなたの教会とは」

「そうだな。だが……俺は間違っていたのだろうか」


 アーディンの声は小さかったが、一美の耳にはしっかりと届いていた。

 しかし一美は、そのアーディンの言葉には何も返さず、そっと徳利を差し出した。

 触れて欲しくないところに敢えて触れるべき時と、触れるべきでない時がある。


 今は後者なのだった。

 アーディンの酒杯に透き通った酒が注がれた。






 有言実行、アーディンはすぐに夢の世界へと旅立っていった。


 エマはその寝顔を見ながら短くため息をついた。


 昨夜、エマはほとんど寝れなかった。

 床が柔らかければ寝れるというような簡単な問題ではない。捕われ、押し込められて、縛られてはいないとはいえどうなるかわからないのに、ぐっすり眠れるような図太い神経を彼女は持ち合わせていない。


 アーディンは強い。

 どのくらい強いかは分からないが、アーディンはエマが見たこともないような高度な魔法を操り、龍を恐れないだけの自信も持ち合わせている。この状況にも全く不安などないのだろう。


 年不相応。

 エマの知っている同じくらいの年の男は、もっと幼稚な無謀さで走っているものだ。


 アーディンは無謀ではあるが、背後に自信からくる余裕が感じられる。

 アーディンといる限り、エマは安全だ。

 龍を相手にしてもエマを守ると言えるだけの男である。

 理屈でそうと分かっても不安が無くなるわけではない。


 そもそも、仮に今が安全だとしても、金貨1200枚を一年以内に用意できなければ、エマは気持ちの悪いあの男の嫁にならなければならないのだ。


(旅館を作れたって、そんな利益を上げることが可能なの?)


 エマにはそれが分からない。

 エマはモルドが嫌いだ。

 すぐ金に物を言わせようとするところ。自分では何もしていないのに親の力を自分の力だと思っているところ。小ずるいところ。


 あの男の話には絶対に乗りたくなくてこうなったが、賭け金は非常に高い。


 アーディンは、いったいどこまで具体的に、1200枚稼ぐことを考えているのだろうか。

 エマは膝を強く抱きしめて、時間が過ぎるのを、変化を、待った。




 それは1時間もしないうちにやってきた。

 アーディンが目を開け、体を起こした。


「来るぞ、エマさん」


 アーディンの視線は格子の向こう。立っている見張りのそのさらに向こう側。

 一人のアールヴが歩いてきていた。

 見た目は、見張りの少年達と変わらない。簡素な貫頭衣に顔半分を覆う仮面で男女の別もわからない。

 見張りの少年達が居住まいを正した。それで、現れたそのアールヴが偉い立場にある人物なんだと言うことが分かった。

 3人目のアールヴは、格子際まで歩み寄ってきて、中のアーディンとエマを観察した。


「女王か?」


 アーディンが問いかけた。

 3人目の目がアーディンをじっと見た。意図を探っているようだった。


「女王は、私の母だよ」


 声は少女のものだった。

 

「そうか、ではアールヴの姫よ、俺たちを解放してくれないか?」

「それはできない」


 姫の声は感情が押し殺されていて、考えを推測することはできない。


「俺たちに害意はないんだが」

「言葉だけでその証としては不十分だ」

「それもそうだな。そうしたら、俺はここで良いから、このエマだけでも出してやってくれないか。見ての通り人畜無害な少女だ」


 姫は目だけを動かしてエマを見た。


「少女であることも、無害だという証にはならない」


 アーディンは肩をすくめた。とりつく島もない。それだけこのアールヴ達が警戒しているということだ。


「お前達は、何をしに来た?」


 姫が質問をしてきた。


「分からん」


 アーディンは正直に答えた。


「火龍アルスディオーからこの辺りに行って問題を解決するように指示されて、そうしたらご覧の通りだ。俺たちはアールヴがここに住んでいるなんて知らなかった」

「龍……。龍がいるのか、ここには」

「いる」

「龍は、私たちを追い出したいのか」

「さぁな。どうだろう。アールヴの姫君よ。お前達が俺がこれから作る温泉旅館で働くというのなら、火龍と話をつけてみせよう」

「オンセンリョカンだと?」


 なんだそれは、と姫。


「あぁ。そこに滞在する全ての者に安らぎを提供する、癒やしの極みだ。俺は、それをこの地に作りたいと思っている」

「全ての者に安らぎなど……。そんなことができると思うのか」

「簡単ではない。俺も、かつて教会の言葉に従うままに多くの罪を犯した。妖精狩りも含めて、だ」


 妖精狩り。その言葉に、姫と見張りの少年に緊張が走った。


「……お前、妖精狩りか」


 姫の言葉の温度が一気に下がった。


「そうだった、という話だ。いまではそれは間違いだったと思う」

「……」


 姫はしばらく無言だった。

 脳裏に浮かぶのは、生まれ育った妖精の森を出ることになった時のことである。




 妖精の森。

 太古の昔には龍がいたというその森が、アールヴ達の故郷であり、住処だった。

 春には草、夏には魚、秋には木の実、冬には獣、一年を通して食料が豊富に採れ困ると言うことがない。


 恵みの尽きない森。

 近隣に住む人間達はそう呼んだという。

 その最奥にあるエルフの女王の居館に彼女はいた。


「今夜の内に森を離れなさい」

「いやです!」


 母である女王の言葉を、彼女はすかさず拒絶した。


「レイシア」


 女王は娘をなだめつつ咎める。


「この状況が分からないとは言わせないわよ」

「分かりません」


 彼女、レイシアは意地を張った。


「私も最後まで戦う」

「私たちは、狩猟はできても戦いは知らない。それでもこれまで守ってきたのは、この森の深さゆえ。この森を奪い返しに来た人間達が森を燃やしたくない為に、少しずつ伐り拓いてしか侵攻できなかったため」

「母様。この森は元々から私たちのものです。世界の支配者である人間の手に取り返すなどという奴らの戯言に負けてはなりません!」


 レイシアは母を睨んだ。


「レイシア」


 女王は目で諭す。

 その目に見つめられて、レイシアは肩を落とした。


「分かってます。分かってますけど……」

「もう数日もすれば、脱出はより困難になるわ。だから今夜の内に若い者だけを連れて行きなさい」

「……はい」


 レイシアは力なく頷いた。




 それが、5年前のことである。

 人間の目から隠れるように妖精の森からひたすら遠くへと向かって移動を続けてきた。目的地のない旅である。


 森を出るとき30人いた仲間達は、道中の事故でもう半分に減っていた。


 レイシアは、目の前の人間の男と女をじっと見た。銀髪の男と、栗毛の女。女は、銀髪の男が言った妖精狩りという言葉にも、その言葉が何を意味するのか分かっていない様子だった。


「……女の方だけ出してやる」


 レイシアはそう判断した。

 男の方はともかく、女の方は表情もみるからに疲れていて、憔悴している。戦士のたぐいではないだろう。


「ありがとう。と言っても、いじめるためじゃないだろうな?」


 男が油断なく聞いてくる。


「私たちがそんなことをするように見えると?」

「確認だよ。確認しておかないと、エマさんが安心できないだろう」

「なるほど。そうだな、お前が大人しく捕まっててくれるなら、こちらも丁重に扱うつもりだ」

「オーケー。俺は良いよ、ここはここでなかなか住めば都だ」


 そう言って男はごろりと横になった。


「アーディンさん」


 エマと呼ばれていた女は迷っている様子だった。


「大丈夫。もし助けが必要になったら一瞬で行く。頼んだぞ。俺はまた夢でも見てる」


 男の方はもう動く気はない様子だ。

 エマはそれでもしばらく躊躇っていたが、ひとつうなずくと立ち上がり、見張りが格子を動かして作った隙間から外に出た。

 レイシアは歩き始めた。エマは何も問うことなくその後をついて行った。


 エマがレイシアについて行くと、森の中に大小のテントが並んでいるエリアについた。

 テントはどれも、木の骨組みに獣の皮が張られた簡素な物だ。


 レイシアはその中の最も大きいテントに入っていった。


 レイシアは入り口で履き物を脱いだ。エマも、レイシアから目で求められ、同じように靴を脱いだ。

 テントの中はレイシアとエマが普通に立っていられるくらいの高さがあり、床には毛が付いたままの獣の皮が敷かれていた。

 物は少ない。簡素な家だった。


 レイシアはその中央に、入り口の方を向いて座った。

 エマは無言の指示に従ってその前に座った。


「それで、あの男とはどういう関係なんだ?」


 レイシアが尋ねてきた。

 エマは問いには答えず、レイシアの仮面をかぶったままの奥の目を見た。


「私はエマ。エマ=クルトール」


 エマは短く名乗って黙った。


 沈黙。

 互いを試すようなその沈黙が続いた後、レイシアは頭の後ろに手を回し、仮面を外した。

 エマは思わず息をのんだ。


 すっきりとした顔立ちに、意志の強そうな凜々しい目元。冬のバラのような赤い瞳が燃えるような視線を発している。髪の間から飛び出るとがった耳朶が彼女が人間とは違う種族であることの証だった。


「“残り雪に咲く一つ椿”のレイシア。私たちに人間のような名字はない」


 レイシアの名乗りを受けて、エマは微笑んだ。持ち前の負けん気を総動員した成果だった。


「あなたは、私たちにも普通に接してくるのだな」

「そうね。アーディンさんは妖精族と言っていたけど、そうした人に会うのは初めてだしね」

「そう。私たちはここからずっとずっと北の土地から来た。きっと、そこにしかいなかったのだと思う」

「そう。妖精狩りってなんなのか、聞いてもいいこと?」

「気乗りのする言葉じゃない」


 レイシアは短くつぶやいた。そして首を振った。


「その言葉を知らない人間がいるところまで、私たちは来たんだな」

「そうね」


 エマは相づちを打った。


「人間たちが、私たちの住む妖精の森を奪う戦いをそう呼んでいたんだ。人間こそこの世界全てを統治する権利を持つ神に選ばれた存在、アールヴの住む森も当然人間が支配するべきもので、不当に占拠する妖精族を狩り駆逐するのは当然の権利だ、とね」

「追い出されてしまったの?」

「そう」


 レイシアの目線が、エマの価値観を問いただしてきていた。

 しかしエマには大きな目線での見解は出せそうになかった。だからエマは、感想を言うことしかできなかった。


「辛いね」


 レイシアはゆっくりと目を閉じた。何かを思い出しているようにも、エマの言葉を吟味しているようにも見えた。


「……あの男は、何者なんだ?」

「私もよく知らないの」


 エマは嘘がつけない。


「ただものすごく強くて、何かすごく悲しんでいて、それで温泉旅館を作ろうとしているんだと思う」

「エマは、温泉旅館というものを知っているのか?」

「知らない。ここからさらにずっと遠い国にある宿屋みたいなところ、らしいけど」

「そこで私たちに働けと。ふふ」


 レイシアの笑いは怒っているようにも聞こえた。


「悪気はないと思うよ」

「信じる理由はない」

「そういえば、私にもない」

「なんだそれ」


 レイシアは初めて笑った。レイシアはエマには少し気を許してもいいと思ってくれたようだった。


「それならなんで一緒にいたんだ?」

「そうだね、じゃあ今度は私の身の上話をしようか」


 そう言ってエマは語り出した。



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